始まりはいつだったのだろう。

 きっと、生まれたときから決まっていた。おみくじのように、くじ引きのように。世の中には当たりとはずれ、あるいは可もなく不可もなくのひとたちがいて。わたしははずれを引いてしまっただけ。きっとそう。引いたのはわたしなのだから、運に支配されたこの世を憎もうとも負け犬の遠吠えにしかならない。あたりは勝ちで、はずれは負け。あたりを引けばすべて済む問題なのだ。わかりやすく格差の生じるこの世界、はずれを引いたわたしがわるいから。
 そんなこと、とうの昔に知っていた。

 かつん、靴が鳴る。自分以外の人間が立てた音。誰がいるのか、振り返らなくてもわかる。だって、姿が見えていた。
 けれど振り返る。予定調和のように。そこにいる人間に確信を持って、目線をあげた。ほら、やっぱり。何万回繰り返そうと外れることはない。予想でも予測でもなく、実際に『見る』ことで相手を判断しているから。百聞は一見に如かずという諺は、わたしの強い味方である。
「珍しいね、考え事?」
 軽く笑んだ眼前の人間から向けられる、澄んでいるとは言いがたいくすんだ碧眼。うすくあわく、痛みを覚えない色の瞳。このひとが眩しくなくてよかった。焼かれては目がくらむ。痛くないから、ゆっくりと見ていられるのだ。
「いいえ。考え事はしていません」
「そうか」
 このひとは未来が見えるのだという。わたしの、ほかのひとの、すこし先の未来が。自分の未来に興味があるかと言われたら答えに困るけれど。見透かすような瞳をぶつけておきながら、彼がわたしに未来を教えてくれたことは一度もない。聞いたら教えてくれるのだろうか。わからない。わかるのはただひとつ、わたしから尋ねることはないだろうという確かな事実だけ。
 サイド・エフェクト。
 超能力のような不思議なちからを、ひとはみんなそう呼んだ。

 最初にひとがいなくなったのは、わたしが『見る』ことを覚えたあたりだった。わたしにとっての普通は他人にとってそうではない。理解するまで、ずいぶんと時間が掛かったように思う。誰も教えてくれなかったから。
 ひとには目がふたつあり、視界に映るわずか前方しか『見る』ことができない。目を閉じていても周囲が明確に見えたり、数キロメートル先まで細かく見えたり、後ろにあるものを正確に捉えたり、そういうことは不可能らしい。
 三門市程度ならまるごと端から端まですべて見通せるわたしは異端であり、ほかにこのようなちからを持っている人間はいないのだという。もちろん、広範囲を見ようとしたらするほどに反動もくるけれど。
 『千里眼』と呼ばれる能力はサイド・エフェクトの一種であり、彼のひとと種類こそ異なれど不思議なちからという点では同じである。
 けれど。異質を個性と受け取ることができるのは、そのひともまた同じように異質である場合だけなのだ。それがわからなかった幼き日のわたしは、拒絶されることで普通から切り離されてしまった。自ら去るべきだということに最後まで気がつかなくて。とはいえいまになって考えるとそれも当たり前のこと。だって、知っているはずないことを当然のように知られていたら。気づかぬ間に自分の行動を把握されていたら。すべてがすべて筒抜け状態だったら。誰だって、気味が悪いと思ってしまうでしょう。

 次にひとがいなくなったのは、近界民と呼ばれる存在が周知される前の話。たとえ明るみに公開されていなくても、それらはたしかに存在していたから。保有するトリオン量がひとより多いらしいわたしは、それはそれは格好の餌だった。わたしだけで済むならば、逃げることでどうにかなったのかもしれないけれど。偶然わたしの近くにいたひとたちが次から次へ、巻き込まれていく。いまとなってはメカニズムがわかっているものだからなんてことのない現象も、当時はどうしてかまったく理解できなかった。そのため疫病神扱いを受けようと、襲われたひとやその親族から憎悪の感情を向けられようと、どういうことなのかさっぱり理解することができなかったのである。
 なかでも特に疎ましがったのは両親のようなひとたちだった。当時のわたしは『千里眼』のせいですでに化け物のようなものだったのに、なおかつ敵を呼び寄せやすいなんて。巻き添えを喰らうかもしれない。本人だけではなく自分たちまで煙たがられるかもしれない。それは、底の見えない悪夢以外のなにものでもなかっただろうと思う。

 その次にひとがいなくなったのは、兄が亡くなったとき。彼が十九歳の時だった。
 当時の兄は、誠実で誰からも慕われていて。どんな相手にも優しさを忘れない、愛に満ちたひとだった。困っているひとを放ってはおけず、なおかつ実力を持ち合わせた優秀な人材だった。
 誰も彼もが悲しみ、早すぎる死を悼んだ。
 病気ではなかった。事故でもなかった。彼は、わたしを庇って亡くなったのだ。ほかでもない、このわたしを。
 みんな、口を揃えてこう言った。「妹のほうが死ねばよかったのに」と。わたしに聞こえる音量で、聞こえるところで、聞こえるようにと言っていた。
 兄は愛されていた。間違いなく、生まれたときにあたりを引いた人間だった。
 大切な存在の死が受け止められなかった人々は、次第に原因となったわたしをうらむことで精神を保つようになっていった。顕著だったのは、これまたわたしの両親のようなひとたちである。
 ひとごろし。
 みんな、口を揃えてそう言った。間違いだと。本来死ぬべきはわたしであり、兄は生きるに値する人間なのだと。本当なら得られたはずの輝かしい人生を奪ってしまった。わたしのせいで兄は死んだのだ。それは、わたしが兄を殺したと同義ではないか。
 黒トリガーと身を変化させることで兄はわたしを生かした。当時のことはよく覚えていないけれど。わたしが、兄を殺した。生きるために兄の命を犠牲にしたわたしは、もの言わぬ兄を利用して、生きるために戦いへと身を投じている。戦いこそが生きることなのだと。だったら生きるために戦い続けてみせようと。大層な信念はもう、とっくに忘れてしまった。
 戦うのは嫌いじゃない。むしろ好きなほうといえる。戦っている間は身体が軽くて仕方ない。敵を引き裂く瞬間の快感も強い相手と対峙したときの高揚感も、すべてすべて楽しさに変わるから。

 異端、疫病神、役立たず、人殺し。
 形容するに言葉は尽きず。
 わたしは、わたしが大嫌いだった。この世界より、近界民より、わたし自身のことが大嫌いだった。
 
 かつん。もう一度、靴が鳴る。
 鈍い空色がかすかに細まった。このひとのことはよくわからない。誰に言わせてもわからないのなら、わからない現状こそが正解なのだ。
「帰るか、名字ちゃん」
 軽い調子で投げられた声に二つ返事で応えると、手が差し伸べられる。はてな。意図が読めず、手のひらを見つめること数秒。
「手、繋ぐか?」
 どうして。彼ではないから、上手く汲み取ることができない。見えてもわからないことはたくさんある。わかりたいことも、わかりたくないことも。たくさんの事象が世界にはあふれていた。
「大丈夫です。捕まえずとも、わたしは逃げません!」
「おまえ相手にかくれんぼは分が悪すぎるな」
 彼はわたしを拒絶しない。なぜかはわからない。それでも気づけばこうして近くにいて、話すことが多々ある。いつだったか、彼のサイドエフェクトとわたしのサイドエフェクトは非常に相性が良いのだと聞かされたことがある。そのせいだろうか。
「んー、いや、そうじゃなくて。そうしてるとコイビトっぽいだろ?」
「……こいびと」
 彼──迅くんは、いつだったか神妙な声音でわたしに告げたことがある。それは甘い愛の台詞ではなく、笑顔のうちに冷たさをはらんだ脅しのような言葉。もちろん、脅されてはいない。それでも抵抗を絡めとるようなあのときの響きは彼の底知れなさをあらわしていたように思うのだ。
 よく、わからないひとである。

 わたしは、わたしが大嫌いだった。この世界より、近界民より、わたし自身のことが大嫌いだった。
 それでも。
 そんなわたしに課せられた責任があるのだとしたら、なにがあろうとも果たさなければならない。
 だって、あのとき彼が言ったから。わたしの名前を呼び、たったひとこと。

 ──責任を取ってよ、と。

祈り子よ詛え