人間は、後悔が先に立つ生き物だ。

いつだって、ああしておけば良かった、あの時こうだったら、と、そんな無限の繰り返しの中でたらればに侵食されながら息をしている。

「最近よく見かける女の人、一級術師なんだってな。家入さんと同い年くらいの」
「……は?」

治療で医務室を訪れていた虎杖の何気ない一言に、伏黒が眉間に深く皺を寄せた。

「ナナミンに聞いてさ。なんかいつも笑ってて幸せオーラ全開って感じの人。知らない?」

かく言う私も思わずピンセットを落としそうになる位には驚いて、言葉を紡げなかった。だっていまコイツ、幸せオーラって言った?

「あー私もその人ちょっと気になってたのよね。いつも任務でいないからどんな人かよく知らないけど」
「お、釘崎、だよな!」

まるでストーカーよろしく彼女の尻を追い回す男の顔が脳裏に浮かび、その姿を追いやる様に頭を振った。先日遂に五条とバッティングし半年振りに現場に連れ戻されたなまえは、矢継ぎ早に出張をぶち込まれ続けていてこの場にいないけど、今すぐにでも教えてやりたい。なまえよ、何も知らないこの子達の目には、アンタは幸せそうに見えるらしい。

「七海にどこまで聞いたの?」
「どこまでって……ナナミンと同じ一級術師だけど、暫く休んでて最近復帰したって」
「硝子さんの知り合いなの?」
「知り合いっていうか同期」
「は?!」「え?!」

たった四人の同期。たった一人の親友。今も、これからも、ずっと唯一無二の存在。誰もが平等に与えられる筈の青い青春時代をびりびりに破られて私達は大人になったけど、どうやらこの子達はまだ何も伝え聞いていないらしい。

「五条から何も聞いてないの?」
「何もって?」
「あの人先生と関係あるの?」
「へえ、お喋りなアイツがねえ」
「え、なになにめっちゃ気になる」
「ちょっと、家入さん」

半年前の出来事を思い出し思わずそう溢せば、虎杖と釘崎が食いついてきて、大体の事情を知っている伏黒が二人を制そうと口を開きかけたのをいなす。小さな頃から変わらない不満そうな目をじとりと向けられるけど、とりあえず無視。

「この先何も知らずに過ごす方が後々面倒だろう」
「それは家入さんじゃなく、なまえが決める事なんじゃないんですか」
「アンタほんとどこまでもあの子の味方だよね。どうせその内バレるんだから、変な噂聞くよりいいでしょ」
「…後で怒られても俺は知りませんからね」

デリカシーという言葉が辞書に無いクズを相方に持った所為で、なまえは見ず知らずのガキンチョ二匹の子育てに参加させられていた。私も何度か、週末の動物園やら科学館やらの引率に付き合った事がある。

「なにその二人の通じ合ってる感じ…硝子さんと伏黒って接点あったっけ」
「それがあるんだよ、私が学生の頃から」
「まじ?」

津美紀と恵。呪いのように二つの名前を繰り返し、目尻を下げるなまえの姿は到底理解出来ない世界のものだったけど、あの子が笑っているならそれでいいと思っていた。ずっと。それが間違っているかもしれないなんて、微塵も思わずに。

「しかもなに、そのなまえさん?って人とも伏黒知り合いなの?」
「まぁ」
「まぁじゃないだろ、あんだけ面倒見てもらっといて」
「……感謝してますよ」

自分の父親を殺めた男とその女によって生かされている事などつゆ知らず、伏黒姉弟はすくすくと成長した。原因不明の呪いに倒れ寝たきりの状態の姉を放っておけなかったなまえは、逃亡生活中も病院へ通い詰め、結局は五条に捕獲されたのだから元の木阿弥である。いや、それは違うか。彼女は本気で逃げる気がなかったし、五条も本気で連れ戻す気もなかった。そうでなければあの半年間は成立しない。

「ちょっと伏黒、どういう事か説明しなさいよ」
「ガキの頃から世話になってる人なんだよ」
「ガキの頃からって、五条先生もだよな?」
「え、まさか先生の彼女とか?」
「そ。ま、五条一回プロポーズして振られてるけどね」
「は?」「え?」

あ、なんかデジャヴ。驚きに声にならずただ口をぱくぱくする虎杖と釘崎を見て鼻で笑えば、残りの一人から冷ややかな目線を送られるが、今迄一番被害を受けてきたのは私だからこの位仕返ししたっていいだろう。

「えっ、えっ、マジ?!」
「びっくり…まあ、黙ってれば美男美女、ていうか振られたのに付き合ってるの?」
「色々あってね」
「てか伏黒がガキの頃からってことは……」
「アンタいくつの時に先生に会ったのよ」
「あー、確か小1」
「てことは随分長く付き合ってるのね」

昔を回顧したのか、伏黒がそっと目を伏せた。長い睫毛が影を作る。その仕草がどうしようもなくなまえに似ていて、少し胸が詰まった。もしも五条に出逢わなかったら。高専なんて入らなかったら。呪霊なんて見えなかったら。彼女の人生は、彼女の笑顔によく似合うもっと幸福に満ち溢れたものだったかもしれない。

「呪われてんだよなまえは」

抑揚の無い自分の台詞に、こちらを振り向いた切長の瞳が瞬いた。随分と背が伸びたのだなと少し驚いて。あいつらが大切に護ってきたこの子が、いまは目覚めないままのあの子が、これから先も幸せであればいいとそう心の中で憶う。

「……何に?」
「愛に」

本日二度目の沈黙が、部屋に訪れた。
嗚呼、なまえが出張から帰って来たら怒られるんだろうな。飲まなきゃやってらんねえなと思って、この子達が出てったら酒を煽りながら仕事しようと決めた。まだ十六時だけど、もういいでしょ。あんたらはさ、たらればの世界で生きるんじゃないよ。もう一度だけそんな思いを込めて、ゆっくりと瞼を閉じた。



あたしはあの子の泣き顔を知らない





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