目の前でぐすぐすと鼻を啜っている女は、所謂“恋多き女”というやつだ。
面食いで惚れやすく、ちょっと優しくされたらほいほいそいつを好きになる、典型的なバカ女。
「荒北ぁぁ聞いてよおお…!!」
「分ァったから泣くな!」
「浮気浮気!浮気されでだ!!わたし現場を見ちゃったから問い詰めたの!そしたら何て言われたと思う?!」
「知るかボケナスが!おめェこれで何回目だヨ?!アア?!ちったァ学習しろって言ったよな俺ェ!」
「今回は絶対大丈夫だって思ったんだよ!絶対運命の人だって!」
「言っとくけどおめェそれ毎回言ってっからな。」
「それなのにね!…それなのにぃぃ…!!」
「泣くなっつってんだろ!!」
「「本命はお前じゃない」だってさ!ねえこれどう思う!どう思う?!」
「おめェが浮気相手だったってわけネ」
「あ゛あ゛あ゛」
「荒北いつもそうやってトドメ刺す!!」と目に涙を溜めたまま机に顔を伏せてしまったみょうじのつむじを眺める。派手めな明るい髪色をしているわりにサラサラとしたその髪の毛は、きちんと手入れが行き届いているらしい。細い腕や指も、薄いピンク色のマニキュアが施された爪も、白い肌も華奢な体も。今月は痩せる!やら女子力上げてかなきゃ出会いないじゃん?やら、そんな言葉をどれだけ聞いてきたことか。
簡単に言えば、男には好かれるタイプだけど、女にはそれなりに嫌われるタイプ。コイツに友達がいないわけじゃないが、たまにくだらない悪口なんかを耳にすることもあった。女という生き物はどうしてああも陰湿で、猫を被るのか。「なまえちゃんって男好きだし、多分ビッチってやつだよ」とか何とか言っていたあの女子に言ってやりてェ。みょうじはただの、正真正銘のバカ女だと。
周囲から見りゃ確かに軽い女に見えるのかもしれねェけど、毎回こうして泣きつかれる俺にとっちゃそんな噂話は鼻で笑っておしまいだ。軽いどころか彼氏ができたらそいつ一筋で、あまりに真っ直ぐ過ぎるせいか「重い」と言われてフラれることさえある始末。まァそりゃ、時間さえあれば他校の彼氏に電話かけまくったり、先輩と付き合っていた頃なんか休憩時間の度に会いに行ったり。正直仕方ねェよと言いたくなったのを抑えて、まず話を聞いてやった俺はもっと褒められてもいいと思う。
何の縁なのか、そんな女と3年間同じクラスで過ごしている俺は、気付けばコイツと友達になっていて気付けばコイツの相談相手になっていて、気付けばこんなバカ女に惚れていた。
「今回はわたし頑張ったと思うの!会いに行きたいのも我慢したし!昼休憩だけに抑えたもん!」
「そういう問題じゃねェだろ…」
「本命だっていう女の子の顔もしっかり見たけど!絶対わたしの方が可愛いし!!」
「僻みか」
「そうだよ僻みだよ!!悪口言ってごめんなさい!!」
「…オラ、とりあえず飲めばァ?」
「ありがと…荒北ほんと優しい…けど頭の上に乗せるのはやめて。」
おめェがいつまでも下向いてっからだろうが、とは言わず、素直によけて顔の真横に置いてやる。さっき売店に行ったついでに買って来てやったお茶のペットボトルを視界に入れた瞬間、「甘いのがよかった〜」と文句を言いながらもそれを手にしたみょうじがやっと静かになった。るっせェよ、こないだはお茶が飲みたいって言ってたじゃねェか。そんなこと覚えてる俺もキメェけど。
無造作に机の中に手を突っ込んで箱ごとティッシュを取り出したみょうじは、放課後で俺以外誰もいない教室に油断しているのか、思い切り鼻をかんだ。それをぐしゃぐしゃに丸めてから、少し遠いゴミ箱目掛けて投げる。見事に入ったことで機嫌を良くしたのだろう、満足げにペットボトルの蓋を開けてお茶で喉を潤しているその姿は単純極まりない。
こんな気の抜けたみょうじの姿を見られる男なんてきっと俺だけだろうが、それに優越感を感じられていたのも始めのうちだけだった。つまりそれは、俺のことをそういう目で見ていないという何よりの証拠であり、事実だ。
まァそりゃ、自他共に認める面食いが俺みてェな奴を好きになるわけがない。目つき悪ィことも自覚済みだし、新開や東堂が凡人以上なら、俺は完全に凡人以下な顔面をしていることももちろん自覚済みだ。
今更コイツに好かれてェとか、ンなことは思わねえけど。ただそろそろ、好きな女の恋愛遍歴を聞くのもさすがに嫌になってきた。
俺が毎回説教する度に、言われたことを律儀に守ろうとするその姿がもう、何つーか。
「わたしもうしばらく恋はいいや」
「デタラメなこと言ってんなヨ…」
「本気だもん」
「どうせまた3日後には新しい男好きになってんだろ、そういう奴だよおめェは。」
「そんなことない!」
「どの口が言ってんだ」
「だってもう懲り懲りだし…どう足掻いたってイケメンは好きだし…」
「清々しいほどの面食いだなァ」
「…ほんと、荒北がいてよかった。もしこれで放課後一人だったらわたし、引きこもりになるとこだったよ。」
「逆にしばらく引きこもっときゃその恋愛脳もちったァマシになるんじゃねェの?」
「ひどい!すぐそういうこと言う!でもわたしもそう思う!」
「ンだそれ…」
「あーあ…荒北みたいな人がいいのかなぁ、わたし。」
「は、」
「優しくて、気遣い上手で…ちゃんと叱ってくれるし、たくさん話も聞いてくれるし…何より一緒にいて安心するの。それって多分、友達だからなんだろうなぁって思うけど…でも、荒北みたいな人と付き合えたら、きっと幸せなんだろうね。」
みょうじの中には、多分、言葉以上の他意はない。
それでも、俺を動揺させるには十分過ぎるくらいの破壊力が今の言葉にはあった。机に頬杖をついて窓の外を眺めているみょうじの横顔をじっと見つめる。少しだけ腫れている目と、赤くなった鼻。閉じられた唇は乾燥知らずでいつだって潤っていて、そういえば綺麗な形をしている。ゴクリと息を飲んだのは、反射的だった。
今のを聞いて、期待すんなっつう方が無理なんじゃねェの。そう言いたくなったものの、「ねえ荒北ぁ、東堂くんてかっこいいよねぇ」と言い出したみょうじに心底落胆する。学習できねェのは、むしろ俺の方だったってわけだ。
つられて俺も窓の外へ視線を向ければ、確かにそこには東堂の姿があった。いつものようにキャーキャーうるせェファンに囲まれて、ファンサービスだというダッセェポーズで指をさしている。調子のいい笑い声まで聞こえてくるような気がして、思わずチッと舌打ちをした。
ああ、そうだなァ。確かにアイツはキレーな顔してる。
「舌打ちはよくない」
「るっせェ」
「ね、東堂くんて彼女いるの?」
「しばらく恋はしねェんじゃなかったっけェ?」
「しないよ、ただ気になるだけ。」
「あっそ。知らねーけどいないんじゃねェの。まァおめェみたいな奴が東堂に相手にされるとも思わねェけど。」
「ふーん、彼女いないんだ。」
「都合いいとこだけ聞いてんじゃねェぞオイ」
「…不思議なんだよね。」
「ア?」
「元カレのことはちゃんと好きだったし、まぁ顔から入ったんだけどさ。今度こそって言い聞かせてたけど、実はちょっと違和感あって。」
「…どういう意味ィ?」
「かっこいいな〜って思っても、前ほどときめかないの。自分で言うのもなんだけど、一目惚れとかザラだったじゃん、わたし。」
「そりゃおめェがおめェなりに成長してる証拠なんじゃねェの。」
「違う、なんか、荒北のこと思い出す。」
「は?」
「浮気されてたことはショックだったから泣いちゃったけど、実は今ね、それほど落ち込んでない。」
「…すげェ泣いてたくせに」
「だからそれは、普通にショックだったから。でも今は荒北がいるから平気。」
なに言ってんだコイツは、と思わず眉間にしわが寄る。期待とかそんなもんはもうとっくに通り越していた。みょうじが何でもないように言う言葉一つ一つに惑わされて、どうしようもないほどに悔しくなる。友達だから安心するとか、地獄みてェなこと言いやがって。クソ。
確か、高1の秋。隣の席になった女子が授業中にも関わらずグズグズ泣いているもんだから、つい机の奥でグシャグシャになっていたポケットティッシュを差し出したのがきっかけだった。授業が終わってからしゃべったこともねェのに、「荒北くん優しいね、わたしの話聞いてくれる?!」と前のめり気味に話しかけて来たのがみょうじだったのだ。俺の記憶が正しければ、そのときみょうじがフラれた相手は今のクラスメートだった気がする。
荒北くんと呼ばれていたものがいつの間にか荒北と呼び捨てになって、みょうじが失恋する度に話を聞くのが俺の役目になっていた。電話もっと控えろヨ!相手にも相手の生活があんだぞ!東堂かおめェは!だから顔だけで選ぶなっつってんだろォが!ちょっと優しくされたからってすぐ惚れてんじゃねェよ!おめェはいつも感情だけで動き過ぎなんだよちったァ考えろ!…俺も俺で、失恋直後の女子によくそんな言葉をかけたもんだと、今更になって思う。
無責任なことも、甘い言葉も吐けるわけがない。分かった、次は頑張る、と健気に頷き続けるみょうじを、俺は多分愛しいと思っているのだ。
「…ンなこと言っておめェ、もし俺がおめェの相手できなくなったらどうするつもりだヨ。」
「え?そんなことってある?!」
「なくもねェだろ、俺だって彼女できたらそっち優先するしィ?」
「え?!荒北彼女できるの?!」
「はっ倒すぞ」
「…次は絶対失敗しないから大丈夫!」
「バァカ、毎回それ言ってんじゃねェか。次は誰にすんだヨ、東堂かァ?」
「東堂くん狙ったらわたし殺されるでしょ」
「そーだな、おめェ友達少ねェもんな。」
「荒北に言われたくない!」
「おめェよりはマシだ」
「…てか今の言い方だとわたしめっちゃ尻軽女みたいじゃん!訂正して!狙うってなに!」
「自分で言ったんだろ」
「そうだ!名案思いついちゃった!荒北には彼女いないし、わたしも荒北のこと嫌いじゃないし…じゃあもうわたしと荒北が付き合っちゃえばよくない?全部解決する!」
「ア゛ッ…?!ハァッ?!」
「ていうのは冗談だけどぉ」
「マジでいい加減にしろヨ」
「でもさ、結局いつも荒北がわたしに言うことって、荒北みたいな人を好きになれって意味だよね。だって説教できるってことは、荒北自身はもちろんクリアできてるんでしょ?」
してやったり、みたいな顔をしているが、こっちは気が気じゃねェことをコイツは分かっているんだろうか。いや、分かってねェだろうな。分かってやってんだったらたち悪いどころか恐怖でしかねェよ。
みょうじが本気でそんなことを言うはずがないことはもう嫌というほど理解しているはずなのに、いちいち踊らされる自分に心底腹が立つ。…俺の気も知らねェで、全部忘れたみてェな顔して、笑ってやがる。たまにはこっちから何か仕掛けてやれないもんかと考えを巡らせても、墓穴を掘る結果になることは既に分かり切っている。
「あ〜!次こそ絶対いい人見つける!」と自分の言ったことをもう忘れているみょうじはやっぱりバカ女だ。やっぱり俺の予想通り、3日後にはまたイケメンがいただの今度こそいけるだの、いらねェ報告をしてくるに違いない。
髪の毛先をくるくると指に巻き付けながら枝毛を探しているその姿は、多分色目を使う男には見せない姿なんだろう。不格好に唇を尖らせて、目を細めながら真剣に毛先を眺めている。元々の顔立ちが悪くないとはいえ、普段周囲の男から可愛いと言われているその表情とは程遠い。
「オイ、東堂見てんぞ」
「えっ?!」
「ハッ」
「えっ、あ、嘘?!なんだ、びっくりした!やだ最悪、荒北のバーカ!」
「おめェに言われたくねーんだヨ」
「もう、やっぱさっきの取り消す!全然名案じゃなかった!荒北とは付き合えない!」
「こっちの台詞だっつのォ。おめェの歴代ダメ男に仲間入りなんざしたくねェからな。」
「ひどい!」
ひどいのはどっちだ。
言いたい言葉は全部飲み込んで、艶のあるその丸い頭に手のひらを置いてやる。見た目通りのサラサラとした流れるような触り心地に逆らいたくなった。前髪を掻き上げて額を丸出しにしてやれば、「は、ちょっと!前髪は命なんだけど!」と訳の分からないことを言うみょうじを無視して「なァ」と話しかける。
不思議そうに瞬きを繰り返しているみょうじが、首を傾げて俺を見上げる表情のあざとさといえば。ンでこういうときだけそんな顔すんだよ。
恋に生きる女のことなんて、俺にはよく分かんねェし、っつう言い訳。たまにはやり返してやろうと思っただけなのによォ。
「東堂、紹介してやろうかァ?」
「え!ほんとに?!」
ほらなやっぱり、墓穴掘った。
センチメンタル・ヒーロー
(title by パニエ)
20160601