別に、胡座をかいていたわけじゃない。
だって全くそんな素振りを見せなかったから。周囲も、鳴子自身も。わたしの目にはいつだって、今の今まで何ら変わりない日常が映っていたはずなのに。ガラガラと音を立てて崩れていくのは、多分、わたしの気持ちだけだった。
上手く笑えているだろうか、ちゃんと呼吸はできているだろうか。胸は苦しいはずなのに、引きつるように口角を上げたまま、きっとわたしにしか分からない乾いた笑い声を零す。
目の前で満面の笑みを浮かべている鳴子には、わたしの言い訳じみた汚い感情なんて、とても言えたもんじゃない。もう、何もかも遅いのだ。


「後輩の子なんやけど、生意気にもイキリの友達らしいねん」
「そうなんだ!え、どんな子?写真とかないの?」
「あんで〜!イキリに貰ってん、プリクラやけど」
「えっ、可愛い!こんな可愛い子が鳴子のこと好きなの?嘘でしょ?」
「ほんまやっちゅうねん!何なら証拠に紹介したろか?」
「いやいいよ、目の前で見せつけられるのはちょっと勘弁」
「カッカッカッ、せやろせやろ!独り身にはちょ〜っと刺激の強い話やったな…」
「初彼女できたからって調子に乗らないで」
「うっうっさいわ!初ちゃう!」
「今更そんなこと言われてもな〜」
「何をニヤニヤしとんねん!ほんま腹立つ〜!」
「そっか〜鳴子もリア充の仲間入りか〜」
「羨ましいやろ」
「べっつにぃ…わたしも鏑木くんにイケメン紹介してもらうし」
「とか言うて、ほんまは寂しいんやろ〜?分かっとんで、みょうじはワイみたいなんがタイプやからな」
「は?今泉くんみたいな長身イケメンになってから出直してくれる?」
「スカシよりワイのがめっちゃ男前やわ!!外面だけが全てやない!!」


それ、外面については認めてるってことになっちゃうけど。
そう思ったものの口には出さず、「はいはい男前男前」と適当に言葉を返す。こうして鳴子の発言を流すことはわりと日常茶飯事なのだけど、どうにかして早く会話を終わらせたくて意図的にそうすることは初めてだった。クッソオオオ、と悔しそうに声を上げている鳴子はいつも通りなのに、やっぱりどこか違って見える。それが気の持ちようの問題なのだと分かっていたって、もうわたしの中には今まで通りの二人なんて、どこにも存在していない。
誰とでも仲良くなれるし、友達も多い。かなり社交的でコミュニケーション能力が高い。人に好かれる才能があって、いい意味で他人の領域に簡単に入り込んでしまう。そんな鳴子と1年生からクラスが一緒で、入学して間もなくの席替えで席が前後になった。もちろんわたしだって例外じゃない、鳴子と仲良くなるのにそう時間はかからなかった。赤い頭が後ろへ振り向く度に、わたしの方を向く度に、嬉しくてたまらなかったのも本当だ。
男女の友達にしては距離が近いのでは、なんてことを言われるまでに仲良くなれたことが、幸運だったのか不運だったのかは分からない。ただ、何故だかわたしは信じ切ってしまっていた。いつかは終わりが来ることも、わたしと鳴子はやっぱり男女なのだということも、一緒にいるだけで全部忘れてしまっていた。
唐突に訪れた終わりがわたしにとって失恋になるのだということも、こうなってから初めて気付いたんだから、ほんとわたしって救いようのないバカだ。鳴子のこと言えない。
今の関係に胡座をかいていたわけじゃ、決してない、けど。


「ほんでなみょうじ」
「やだよ」
「まだ何も言うとらんやろ?!」
「絶対ロクなことじゃないって分かりきってるもん…」
「さすがみょうじやな、ワイのことよぉ分かっとる」
「自分で言う?…どうせプリント見せてとかお金貸してとか、そういうことでしょ」
「ほんまにすごい!や〜すごいわさすが!てことで後者や」
「ごめんね鳴子、わたし今日お弁当だし財布ん中ほぼ空っぽ〜」
「肝心なときに使えへんなほんまに」
「そんなこと言っていいの?何と、わたしの鞄の中には今朝食べなかったパンがあります」
「は?!」
「しかも〜、メロンパン!」
「くれ!!」
「どうしよっかなぁ」
「ケチくさいこと言うなや!」
「じゃあほら、それ相応の態度ってもんがあるんじゃないの?」
「みょうじ様、哀れな私めにどうかお恵みを」
「………バカじゃないの」
「言われた通りにしたっただけやん!バカて!」
「うそうそ、あげるって」
「みょうじサイコーほんまおおきに」


そう言って堂々とわたしの鞄の中をあさる鳴子はいっそ清々しい。せっかく綺麗に整頓していた鞄がゴチャゴチャと物で溢れ返っていくその様子をまさか黙って見ているはずがない。すぐそばにしゃがみ込んでいるせいで見えているつむじを押してやれば、「ギャー!下痢になる!!」と大袈裟に騒ぐ鳴子を見て、わたしは漸く素直に笑うことができた。
せめて、少しくらいそういう素振りを見せてくれたらよかったのに。彼女できたなんていきなり報告されて、一体鳴子はわたしにどうしてほしかったんだろう。…ってそりゃ、おめでとうって言ってほしかったのかもしれないけど。鳴子のことだから、きっと自慢したかったんだろうけど。
…あれ、そういえばわたし、ちゃんとおめでとうって言ったっけ。
たった数分前のことを忘れるはずがない。そんな記憶は微塵もないことを思い出してから、わたしはまた自己嫌悪に苛まれた。本当にわたしは、最低のトモダチだ。







何の因果なのか、鳴子に彼女ができて早一ヶ月が経った頃、わたしはあまり知らない先輩に告白された。どうやら手嶋先輩のお友達らしい。鳴子を通して少し話すくらいの仲ではあったけど、その少しの繋がりからこうして予想外の出来事が起きたりするんだから、やっぱり先のことなんてわたしには分かったもんじゃない。
断るわけでも前向きな返事をするわけでもなく、わたしはただ一言「考えさせてください」と返していた。何を考えるんだ、と自分自身にツッコミを入れてしまったのは嘘じゃないし、告白されて初めて知った相手をいきなり好きになれるわけでもなかった。もちろん、先輩の中身なんて知らないから嫌なわけでもない。受け入れる理由も、断る理由もなかった。
ただわたしが思うことといえば、先輩と付き合ったら鳴子のことなんてすぐ忘れられるかなぁとか、もしわたしに彼氏ができたら鳴子はどう思うんだろうとか、自分でも引くくらいの鳴子尽くしだった。こうして考えてしまっている時点で、どう足掻いても苦しむことは目に見えているのに。
だって、例え鳴子が彼女と別れたとしても、それでわたしにチャンスが巡ってくるのかと言われれば、絶対にそうじゃない。
先輩に告白されたんだけど、なんてわたしも同じように自慢してやればいいのに、それができないんだから笑ってしまう。鳴子へ好意を抱いているという何よりの証拠だ。わたしの知っている“友達”は、こんなに汚くてやりきれない感情を抱いたりしない。


「なぁ、パーマ先輩から聞いたんやけど」
「…何を」
「告白されたんやって?」
「まぁ」
「まぁって!反応うっすいなぁ!」
「いいじゃん別に、鳴子には関係ないでしょ」
「何でそないな言い方するん」
「…恥ずかしいから!察してよ!」
「恥ずかしい?!は〜っ、今更やなぁ!ワイとみょうじの間に恥ずかしいなんて単語が出てくるとは思わへんかった!」
「うるっさいな!わたしのことより鳴子はどうなの!昨日も一緒に帰ったんでしょ、相変わらず彼女は可愛いか?!」
「ああ、昨日別れてん」
「は?」
「ワイのことはええやろ、みょうじの話聞かせろや」
「いや……え?」
「ええねんて、別に傷心中とかやないし」


「慰めは無用やからな」と言った鳴子は、確かに気にしている様子もなく、ただただいつも通りだった。…え、なんで?こんなに普通ってことは、もしかして鳴子から振ったってこと…?それにしたって、あまりにも平然とし過ぎなんじゃない?別れたとか、そんなヘビーな話あんな軽々しく言うもんじゃないでしょ。
窓から見える景色はこんなにも明るくて空は青く晴れているというのに、わたしの中で渦巻いているものはこんなにも薄暗い。何があってそうなってしまったのかは分からないけど、鳴子に彼女がいる日常がやっと溶け込み始めていた矢先のこれだ。自分でも理解しがたいほどに動揺しているのは間違いなんかじゃない、…喜べるもんなんかじゃない。
隣の席で足を組んだまま、わたしの方へ体を向けている鳴子は片肘を机についている。何てことない見慣れたはずの姿なのに、じっと視線を向けられればどうすればいいのか分からなくなる。そういえば、鳴子に彼女ができたと言われたあの日からずっと、あまりまともに視線を交えなかったかもしれない。思い返してみれば、こうして真っ正面から鳴子の大きな猫目を見るのは久しぶりだ。
本当、今更だと思う。照れくさくなって慌てて目を逸らしたのに、「みょうじ」とその声で名前を呼ばれてしまえば、わたしは自然と鳴子の方へ視線を上げてしまうのだ。


「どないするん、その先輩」
「え?」
「まだ返事してへんのやろ」
「…何で知ってるの」
「パーマ先輩に聞いてんて」
「手嶋先輩っておしゃべりなんだね…」
「まぁワイの為やし悪く思わんとって、普段はもっと口堅い人やから」
「…?どういう意味?」
「ほんで?みょうじはどないするん?」
「な、るこには、関係ない」
「関係ある、大ありや」
「何で?!」
「何でも」
「鳴子さっきからわたしの質問にはまともに答えてくれないじゃん、だったらわたしも何も言わない」
「…ワイが言うたら、みょうじも教えてくれるんやな?」
「…教、えるけど」
「よっしゃ分かった、ならよぉ聞いとけよ」


そう言ってニッと八重歯を覗かせた鳴子は、「ま、ほんまはこないなこと言いたなかったんやけど」とよく分からない前置きを置いて、一度だけ小さく息を吐いた。かと思えば、こちらへ向けていた体を前へ向き直して、頬杖をついていた肘も机の上に寝かせて、そのまま顔を伏せてしまった。授業中に寝ている鳴子を見たことは何度もあるけど、それ以外でこんなふうに俯いてしまう鳴子を見るのは初めてで、やっぱりどうすればいいのか分からない。
なかなか聞くことのないくぐもった声を耳にしながら、また見えた赤いつむじをつい凝視してしまう。


「ワイな、昨日フラれてん」
「…え、フラれたの?」
「せやで」
「フラれた側なのに、何でそんな平気そうなの…?」
「平気なわけちゃう、けど、ワイが傷つくんもけったいな話やねん」
「…どういう、」
「彼女にな、言われたんや。先輩はいつもみょうじ先輩の話ばかりするんですね〜て」
「…なにそれ」
「ほんまやで、ほんま何やそれって感じやろ?けど、嘘やないねん。確かにそやなって納得してん」
「…………」
「ワイの勘違いやったらスルーしてほしいねんけど、みょうじ、最近ワイのこと全然見いひんかったやろ」
「…そうかなぁ」
「そうや」
「…ごめんね」
「いや、ええねん!嫌われとんかなって不安になったりはしたんやけど、気にしてへんから!」
「それ気にしてないって言える…?」
「…昨日の帰り道にな、ワイ何かしてもたんかな〜て彼女に相談したんや。彼女言うても元カノやけど…みょうじがワイのこと見てくれへんねんって言うた」
「…うん」
「そしたら言われてん、別れましょうって」
「ちょ、っと待って、話が急展開過ぎて着いていけない」
「どこがや!ここまで言うて分からへんとか言わせへんで!!」
「分かんないよ!てか鳴子、いい加減顔上げたらどうなの?!」
「嫌や!今顔上げたら一生もんの恥さらしや!!」
「はぁ?!意味分かんない!恥さらっ…し、って…」


思わず閉口してしまったのは、鳴子の真っ赤な髪の毛の隙間から覗く耳を見てしまったせいだ。静かに息を飲んで、それからゆっくりと吐き出す。…え、だって、鳴子、え。声にならない戸惑いが繰り返される脳内は、自分が思っているよりもずっと混乱しているらしい。
いつも目を引く真っ赤な髪の毛に負けないくらい、耳まで真っ赤になっているのが見える。おまけに顔を伏せているせいで見えている首筋だってそうだ。赤が似合う鳴子が、いつも自ら赤を望む鳴子が、赤くなった顔を隠そうと必死に俯いている。そう指摘すればきっと「それとこれとは話が別やろ!」と言われてしまうだろうけど。
…ここまで言って分からないとは言わせない。その言葉の真意さえ掴めないわたしに、鳴子は一体何を分かれと言っているのか。自分にとって都合のいい方に思考回路を持って行ってしまうのは、人間の悪い癖だと思う。後になって苦しくなるのは自分自身なのに。
ポジティブなのかネガティブなのか、ちょうどその中間地点にいるわたしは、どっちに転んだら正解なんだろう。顔が見えない分、鳴子の気持ちだって伝わりにくいんだってことに早く気付いてほしい。


「…あんまり、見んといて」
「顔伏せてるくせにわたしが見てるって何で分かるの」
「ワイは後頭部にも目があんねん」
「…じゃあ、わたしが今どんな顔してるのか分かる?」
「それは分からへんけど」
「設定雑だな」
「かっこ悪いやん、こんなん」
「何が?」
「……ワイは全部言うたから、今度はみょうじの番や」
「…わたしまだ何も分かってないんだけど」
「それはみょうじの理解力に問題があるだけやろ!ええからはよ答えろや!」
「何だっけ?」
「カーッ!忘れとるんかこの状況で?!」
「ごめん」
「先輩はどないするんって話や!覚えときやそれくらい!」


多分鳴子は勢いのままに顔を上げてしまったんだと思う。バッと思いきり起き上がったかと思えば、思いきり目が合って、思いきり逸らされた。思った通り真っ赤になっている顔に、わたしはまた都合のいい方へ転んでいきそうになる。ダメだダメだと思っても、今のわたしにとっては目の前にいる鳴子が全てなのだ。
どうしよっかなって思ってる、と素直に口にすれば、途端に鳴子は眉をつり上げて「はぁ?!」と声を荒げた。まさかこんな反応をされるとは思ってもなかったけど、確かにこんな優柔不断な答えを聞かされればそうも言いたくなるよな、なんてどこか他人事みたい。
わなわなと震えている鳴子が、「みょうじはその先輩のこと、好きなん…?」と少しだけ小さくなった声で問いかけてきた。そんなわけないとすぐ否定すればよかったのに、一瞬だけ悩む素振りを見せてしまったわたしに鳴子はとうとう机をバン!と叩いて勢いよく立ち上がった。
そのせいで椅子が後ろに倒れて随分と大きな音が教室中に鳴り響いたけど、そんなことはまるで気にしていないようだった。


「そんな得体の知れん奴に渡すくらいなら、スカシの方が数万倍マシやわ!…いや、それはちょい言い過ぎかもしれへんけど…けど!」
「わたしまだ何も言ってな、」
「断れ!今すぐにや!」
「は?!」
「ワイが認めた男以外あかん!」
「なんっ…で、鳴子にそんなこと言われないといけないわけ?!」
「分からへんねん!自分でも!」
「……なに言ってんの」
「嫌やなもんは嫌や!!ワイか、せやな〜…小野田くんならええわ!せや、小野田くんなら許す!!」
「はぁ…?!」
「あーもうええ、ならはっきり言わせてもらいます!」
「最初からそうしてよ!」
「みょうじ、ワイと付き合って!」
「は、」
「お願いします!!」


それはそれはもう見事なお辞儀だった。しっかり90度腰を曲げたまま、右手をわたしの方へ差し出している。教室中のクラスメートの視線が突き刺さる中、わたしはというとぽかんと口を開けることしかできない。とても状況が理解できなかった。…いや、そうだったらいいなって薄々思ってたことが、いきなり現実になった感じ。ありえないかって考えるのを避けてたことが、本当の本当に現実になった感じ。
確かに相当大きな声ではあったけど、わざわざ廊下側の窓から覗いてくるなんて、お願いだから勘弁してほしい。
差し出された鳴子の手を取ることもできないまま、「えっと…」と第一声を出したときには、とっくに鳴子が限界を迎えていたらしい。「何やってんだ、授業始まるぞ〜」と気だるげな声音でそう言った先生が教室へ入って来た瞬間、わたしは鳴子に腕を引かれて教室を飛び出していた。後ろで先生の呼ぶ声がするけど、もちろんガン無視だ。
「ほんっまありえへん!!」と珍しく焦ったように言う鳴子の背中を眺めながら、少々運動不足の体で必死に後ろを着いて行く。


「何で分からへんねん!ワイはみょうじのことが好きやねん!」
「そっ…え」
「ワイのバカ!アホ!こうなるまでほっとくからや!」
「なにっ…は、ちょ、まって…!」
「今からでも遅くないやろ?!そうやんな?!な?!」
「うん、うんっ…分かったからねぇちょっと止まろうよっ…!」
「頼むから、誰かのもんにならんといて」


振り返ることも止まることもなくそう言った鳴子の耳はやっぱり赤くて、どこかやけくそになっているようにさえ見えた。わたしの言葉なんて全く聞いてくれないまま、行く宛もなく進んでいく鳴子は一体どこを目指しているんだろう。戻ったら絶対、説教が待っているのに。
繋がれている手は熱い。わたしの体温なのか、鳴子の体温なのかなんてことはもう分からない。知る由もない。
…わたしもそう言いたかった。けど、言えなかった。もう絶対に、誰かのものになった鳴子なんて見たくない。素直にそれを伝えたくたって、今はまだ鳴子が聞く耳を持ってくれないんだから、なかなか前進することもできないのだ。息も切れ切れに、なるこ、と名前を呼べば、わたしの手を握る力がほんの少しだけ強まった。
今はただ、駆け抜けて過ぎ去る景色に目を向けるだけ。



エンドロールは最後まで
(title by 愛嬌)
20160813