東堂尽八とは、出会ったときから馬が合わなかった。
ああいう調子乗りでナルシストでうるさい男が大嫌いなわたしにとって、東堂は目障りで耳障りな存在だった。だから初めて話しかけられたときだって、わたしはまともに言葉を返さなかったし相手にしなかった。
普段から女子にちやほやされている東堂にとってはそんなわたしの反応が珍しかったのかもしれない。それからというもの、しばらくの間東堂はまるでストーカーのようにわたしに話しかけてきたりついてきたりして、そりゃもう鬱陶しかった記憶しかない。毎日毎日ストレスが溜まる一方だった。
そうしてある日ついに耐えられなくなったわたしは、今まで散々我慢してきた怒りを全てぶちまけてやった。そりゃあもう思い出すだけで物凄い罵詈雑言だったような気がする。制御が効かなかったし、そもそも相手はあの東堂尽八なのだからわたしがまたわざわざ我慢する必要なんかないかって思ってたっけ。
わたしの言葉にあのいつもの余裕の笑みを崩して、これでもかってくらい眉をつり上げて歪んだ東堂の顔、今でもはっきり覚えてる。忘れられるはずがない。
もちろん罪悪感なんてなかった。だって大嫌いだったから。
本当、人の心って単純だよね。もう取り戻せるはずがないのに、ただ偶然東堂がロード乗って走ってる姿見ただけで、いつものチャラついた東堂とは違うその姿を見ただけで、何でか全部全部持ってかれちゃったんだもん。バッカみたいだよね。
ああ、今までわたしが見てたのは結局表面だけだったんだって。嫌われるのもひどいこと言われるのも全部全部わたしの方だって。取り戻せなくなってから気付かされたの。
「……邪魔だ」
あの東堂からは考えられないような低い声だ。教室のドアの前で友達とおしゃべりしていると、どこからか戻って来た東堂にそう言われた。わたしを睨むその目は氷のように冷たく、軽蔑以外の感情は見受けられない。わたしは無言のままドアの前から少しよけて、その目と顔を合わせないように少し俯いた。
「ねぇほんとに何したの?東堂くんが女子にあんな態度とってるのあんた以外に見たことないよ」と素直に現実を口にした友達の言葉に胸がジクリと痛む。…そんなことわたしが一番よく分かってる。
東堂が教室に入った途端、キャーキャーと楽しそうに女子が話しかける声が聞こえてきた。それにいつもの調子で応える東堂を見ていると、さっきのわたしへの態度はもしかして夢だったんじゃないかって思わされるほどに全てをズタズタにされる。泣きたくなるのをいつも堪える。
だってわたしにそんな資格はない。こうなった原因は紛れもなくわたしだ。東堂は何一つだって悪いことなんかしていないんだから。
きっと、東堂の中でわたしの存在はいないも同然なんだろう。
「…わたし、嫌われてるからね」
「……や、ごめんけどそんなの見てたら分かる。まぁ言いたくないなら無理に聞くつもりないけどさ。」
「ううん、…わたしが全部悪いから」
「そっか。私も東堂くんのことはまぁ普通に好きだけど、その前にあんたの友達だからね。それだけは忘れないで。」
「はは、ありがとう」
本当に優しくていい友達を持ったなぁと心の底から思った。こんなこと言ってもらう資格だってわたしにはないはずなのに、どうしたってそれに救われているのだから、もうどうしようもないな。
授業始めのチャイムが鳴って、じゃあねと友達と別れる。教室に入っていくその姿を笑顔で見送りながら手を振っていると、ふと東堂と目が合った気がした。ドクンと嫌な音を立てた心臓に思わず胸元の制服をぎゅうっと握った。もちろん見ていられるはずがなくて、すぐさま目を逸らす。駆けるように急いで自分の教室へ戻ると、既に先生が来ていて「遅いぞ〜」と間延びした声で言われた。
さっきまでのことだって全部現実のはずなのに、妙にわたしの日常に戻って来れたような気がして、ほっとした。
▽
「……と、うどう」
正直、何が起こっているのか分からない。
放課後の教室でわたしは一人、自分の席に座って何となく意味もなくぼーっとしていた。頭の中を巡るのは昼間の東堂のことばかり。どうしたって一人になるとどんどん思考がネガティブになっていく。誰もいないこの空間なら、一度くらい泣いてみたっていいだろうかなんていう冗談ごとを考えながら、静かな空気をただひたすらぼうっと過ごしていた。
だからわたしは気付けなかった。気付いたときには目の前に、東堂が立っていた。
驚き過ぎて思わず後ずさろうとした拍子にポケットから携帯が滑り落ちた。カシャン、と音がしたきり、また教室内は無音になる。
一気に渇いた喉からは掠れた声しか出なくて、自分なりに絞り出したはずなのに心底情けないもんだ。
微かに震える体を何とか抑えようとぎゅっと拳を握りしめたって、まさかそれだけで止まってくれるはずがない。
…どうして?何で?何でわたし、東堂、どうして?どういうこと?
あまりの混乱にまともに考えることができなくなっていた。こうして東堂と二人きりになるというのは、あの日以来なのだ。わたしが東堂を傷つけた、取り返しのつかないことをした、あの日以来。
「…外からお前の姿が見えた。」
「ぇ、…」
「こうして話すのはあのとき以来だな。」
その言葉に思わずひゅっと息を飲んだ。
「あのときの威勢はどうした?」と昼間と同じ目をわたしに向けながら笑った東堂に、返す言葉さえ浮かばない。…どうしてわたしの席、窓際なんだろう。そんな考えたってどうしようもないことばかりがぐるぐると脳内に浮かんでは消えてを繰り返す。
何も言わないわたしを見てどう思ったのかは知らない。もう一度ふっと鼻で笑った東堂は構うことなく続きを口にした。
本当に、何て感情のない冷たい目をする人なんだろうと、他人事のように思う。
「俺は、お前のことが好きだった。」
「っは…?」
「とても、本気で好きだった。だからあれだけ毎日、お前に付き纏ったし話しかけていた。」
「…とう、ど、」
「俺は少しそういうことに関しては疎いところがあるからな、まさかお前にあれだけ嫌われているとは思ってなかったのだ。他の女子と同じ、お前がちょっと不器用なだけで本当は照れ隠しをしているだけだと信じて何も疑わなかった。」
「…………」
「しかし俺も目が覚めたよ。少々引きずったが、今じゃもうすっかり吹っ切れた。」
「…ど、して、わたしのことなんか、」
「お前がそれを言うのか?…まぁ、どうしてだろうな。昔のことだ、自分でも分からんよ。」
わざわざ、それを伝えに来たのだろうか。ジャージを着ているということはここに来るまで部活をしていたはずだ。ほんのりと汗をかいている額もそれを物語っている。こんな状況なのに、いや、こんな状況だからこそ、ああ東堂かっこいいなぁなんて考えてしまうわたしは正真正銘の馬鹿だと思う。ただの現実逃避だ。
ほとんど話を聞くばかりで何も言えないわたしを、東堂は真っ直ぐ見つめて射抜き続ける。もしかしてこれからあのときのわたしと同じように文句に悪口にお構いなく言われるのだろうか。それとも用は本当にこれだけで、本当の意味で全てを終わらせようとしているのか。…分からない、何も。
…分からないはずなのに。東堂の目を見ていると何故か背中がぞわぞわして全身に鳥肌が立つような感覚に襲われた。こめかみに流れる冷や汗が、たらりと机の上に零れ落ちる。今すぐにでも立ち上がって帰りたいのに、それができない。
まるで、呑まれたようだと、思った。
「それでも少し腹の虫が治まらなくてな。」
「……、な、に」
「…お前、今、俺のことが好きだろう?」
「ッ!!」
「好きだっただけあって見ていればすぐに分かったよ。俺を見るお前の目が以前とは違う、熱を持っているものだと気付けた。」
「…だ、だったら、なに?」
「いや、…自分が不利な立場になった途端に強気に出るんだな。そういうところ、心底虫酸が走る。」
少し笑みを崩して眉間にしわを寄せた東堂に、わたしは口を噤んで唇を噛み締めた。痛いくらいに力が入ってしまって切れたらしい唇からは血の味がする。
東堂が言うこと全てが図星で、事実で、その度にカァっと顔に熱がのぼる。東堂はわたしの気持ちに気付いていた。いつからだ?いつから気付いてた?何でわたしは肯定してしまったんだろう。ああ駄目だ、冷静さを欠いている。今のわたしじゃ何か言う度に墓穴を掘るばかりだ。
きっとこの場に似合わない表情をしているであろうわたしの頬に、東堂の手が触れた。一瞬、ビンタでもされるのかと思ってビクリと身構えたけど、そんなことはない。信じられないくらい優しい手つきで、わたしの頬に触れる。
何が起こっているのか、やっぱり分からなかった。…全く、東堂の目は変わっていないのに。
それなのに、今までとは違う鳴り方をし出した心臓をいっそ止めてしまいたかった。
「…俺は、」
優しく頬に触れたまま、もう片方の手が後頭部に回された。そうしてあっという間に引き寄せられて、切れた唇には感じたことのない熱が落とされる。まるで噛み付かれているようなそのキスに、息をすることさえ忘れて目を見開いた。トン、と軽く胸板を押したって意味なんてない。
酸素を取り入れようと口を開けば、その隙間をこじ開けて容赦なく東堂の舌が侵入してきた。ぬるぬるとしたその感触に、ざらざらとしたその感触に、わたしは逃げることができなかった。されるがままに弄ばれて、やっとの思いで唇が離れたときにはどちらのものか分からない唾液でジンジンと傷が痛んだ。
もう、余裕の笑みを浮かべる東堂は、いなかった。
「お前のことが、大嫌いだ。」
泣きそうな顔をしてそう言った東堂と、泣きそうな顔をしてそれを聞くわたし。何て滑稽だろう。
ごめんの一言が出ない。どうしたって出ない。
東堂はきっと、同じ苦しみをわたしに与えたのだ。この思いが叶うことは絶対にない。だってそれはわたし自身が壊したから。とうの昔に、全て壊してしまったから。
謝ることさえできていないくせに、やっぱりわたしは最低な奴だね、東堂。
あんたのその表情の中に少しでも希望を見い出そうとするなんて、ああもうほんとう、馬鹿だよなぁ。
「…わたしは、好き、」
そう言って今度はわたしから東堂の唇に噛み付けば、抵抗されることなんてなかった。
復讐でも、何でもいいよ。キスされたの、たまらなかったの。ねぇわたし、どこまで堕ちればいいんだろう。
言葉にならないままの謝罪がどこか遠くへ消えていった。東堂の首へ腕を回せば、もっともっと貪るように深くなっていく。少し汗の匂いがする東堂に、ひどく欲情していた。
わたしにとっては夢みたいだったから。だから今だけ、今だけ。
ねぇ東堂、東堂は今、何考えてる?
夢見た少女は溺れゆく
20150326