たとえば、あの子を見るその優しくて愛おしげな目がわたしに向けられないかなぁとか。あの子の名前を呼ぶときだけ、少しトーンが低くなってとても柔らかいその声がわたしの名前を呼ばないかなぁとか。考え出したらキリのないことばかりが、一日のうちどれだけの時間脳内を占めているんだろう。
全部全部たとえ話。そして、ただの妄想と言っても間違いではない。
「黒田、告白しないの?」
「…何だよ急に」
「なんとなく。いけるんじゃないかなって思って。」
「お前さぁ、いつも言うけど何を根拠にそう思うワケ?」
「なんとなくっつってんじゃん。あれだよあれ、女の勘ってやつ。」
「ハイ、あてになんねーな」
「ぶー、ユキちゃんひどぉい」
「ユキちゃん言うな」
ベシ、とわたしの頭をはたいた黒田が、売店で買ったらしいサンドイッチを口にしている。触れられた箇所には黒田の手のひらの熱が少し残っているような気がして、何だか落ち着かない。叫びたい。頭触るとか、それ、女の子にとってはとんでもないイベントなんだぞって声を大にして言ってやりたい。…まぁ叩かれただけだけど。
わたしにはこうでも、きっとあの子の頭は髪の毛掬うみたいに優しく撫でるんだろうなぁ、とまたよくない方向へ考えを進めてしまう自分に制止をかける。だからそれは、当たり前なんだってば。
黒田は何も思っていない、何てことないつもりの行動でも、内容によっては夜寝るまでずーっと考えて引きずってしまうくらいの破壊力があることを本人は絶対に知らないだろう。それも当たり前だ。わたしと黒田はただの友達で、それ以上でもそれ以下でもない。友達という関係には、そんな感情はいらないし存在するわけもないんだから。
つまるところ、わたしは黒田のことが好きなのだけど、黒田は黒田で別に好きな子がいる。いつから好きなんだっけって考えても思い出せないくらい前から黒田のことを好きになったはずなのに、気持ちを伝えられないままに失恋した、意気地なしでかわいそうなのがわたしという人間だ。
ずるずるだらだらとただの友達という関係にバカみたいに胡座をかいて、黒田と一番仲いい女子はわたしだって信じては疑ってなかった。多分、実際そうなんだろうけど、残念ながらわたしはそれを望んでいない。
好きな子がいる、と黒田に相談を持ちかけられたのはいつのことだっただろう。正直思い出したくもない記憶だから、こうやってあやふやなまま、できれば忘れたい。
友達という名のレッテルを貼られて、信頼という名の言葉を向けられてしまえば、どんなに悔やんだってもうわたしにできることは何もない。黒田が信じる、友達のわたし。いつの間にか出来上がっていたのは、気軽に恋愛相談もできる仲のいい女友達ってわけだ。あー、やってらんない。
「うわ、これマスタード入ってんだけど」
「サンドイッチでしょ、別に普通じゃない?」
「俺苦手。みょうじ食う?」
「…食う」
「あーんしてやろうか?」
「いらなーい。ほら早くちょーだい。」
「可愛くねー」
「可愛くなくって結構です〜。あーおいし!!」
何があーおいしだ。間接キスじゃねーかよ。こっの天然タラシめ!ついにやけそうになる口元を隠すようにもぐもぐといつもより味わって食べてみる。黒田はマスタードが苦手なんだな、ってそんな小さなことでさえ知れたら嬉しい。まぁそれを知ったわたしがすることといえば、マスタード入りのシュークリームを食べさせるとかそんな程度のものなんだけど。
今のだって黒田にとっては何でもない日常で、わたしにとってはとんでもない非日常で。この差が埋まる日なんてもう一生来ないんだなぁって思うと、悔しくもなり切なくもなる。いちいち感傷に浸って涙を流すとかそんな時期はとっくに過ぎた。今はただ、黒田の思うわたしを演じることで手一杯だった。
綺麗な銀色の髪がさらさら揺れる度に、ああ触りたいな、なんて思う。きっと黒田はわたしがその髪の毛に触ったところで何も思わないし何も言わないだろう。けど、そうしてしまえばきっとわたしが戻れなくなる。
黒田がわたしに触れることと、わたしが黒田に触れること。その行為にこれだけの差が生まれてしまっている意味に関しては、やっぱり何度考えても悔しいかもしれないけど。…当たり前で仕方ない、そう簡単に割り切れれば、どれだけ楽なんだろうね。
ゴクン、と最後の一口を飲み込んだ瞬間に、教室のドア付近から「黒田くん!」なんていう可愛らしい声が聞こえた。…ああやだな、行かないでよ黒田。そんなわたしの願いも虚しく、心底嬉しそうな、浮かれたような表情をした黒田はわたしに断りを入れることもなく席を立ってその声の主の方へ行ってしまう。せめて何か言ってくれても、いいじゃん。
視界に入れることさえ嫌なはずなのに、わたしの視線は自然とそっちへ向いてしまうんだから、恋心って面倒くさいなって思ったりして。
あーあ、だらしない顔。鼻の下伸びてんじゃないの?ていうか、見てりゃ分かるじゃん。黒田ほんとにちゃんとその子のこと見てるわけ?どう見たって、どっからどう見たって、…両思い、なのに。
「それでね、よかったら今度、お弁当作ってこようかなって…」
「マジで?すげー嬉しい」
「ほんとに?よかった……あ、じゃあ私、次移動だからまた後で!」
「おー、ありがとな」
そう言ってひらひらと手を振る黒田の目はやっぱり優しくて、わたしなんかには絶対に見せることのない表情を浮かべてるもんだから、見なきゃよかったって今更後悔した。どこまでもどこまでも自分で自分を追いつめて、そんなループから抜け出せないでいる。…面倒だ、いっそやめてしまいたい。
さっきよりいくらか機嫌をよくした黒田が再びわたしの前へ腰を下ろす。よっこいせ、と言う黒田に「オッサンか」ってくだらないツッコミを入れるのももう慣れた。その度に黒田はちゃんとうるせーよって笑いながら返してくれるんだけど、いつもいつも、わたしは上手く笑えないでいる。黒田にそう言われるってことは、その直前まであの子が、黒田のすぐそばにいたって証拠なんだから。
どうしてこうも汚い考え方しかできないんだろうっていい加減嫌気もさすのに、わたしだって黒田のこと好きだもん、なんて全く勝ち目のない対抗心を抱いては自分を正当化してる。救いようのないバカ。
1ミリだって、黒田とあの子が上手くいくことを祈ったことはない。中身のないすかすかな頑張れという言葉を投げかけては、まだ友達でいられる、いい人な自分を保とうと必死なだけだ。
汚くて、気持ち悪くて、かわいそうでどうしようもない。黒田を好きな自分が、好きで嫌い。
「なぁ、今度弁当作ってくれるって。」
「聞こえてたよ。よかったじゃん。」
「…やばいな、好きな子の手作り弁当って、やばいよな?」
「やばいやばい」
「適当かよ!」
「もーうるっさい!さっさと告っちゃえ!!そんでフラれてわたしに泣きついてくればいいよ!」
「おまっ、さっきはいけるって言ってただろ!」
「勘違いだったかもね!わたしの勘なんかあてにならないって黒田も言ってたでしょ。」
「…なに、みょうじなんか機嫌悪くね?」
「そう見えるんならそうなんじゃないの」
「……どうした?」
「うっせうっせ」
「なっ、反抗期か!何でもかんでも当たり散らす中学生か!」
「…早く告って、早く付き合ってしまえー!バカー!」
「どっちだよ?!つか何だ、みょうじもしかして妬いてんのか?」
「わたしより先に幸せになるなんて許せない!黒田のくせに!!」
「なんっつう理不尽!!これでも食らえっ」
「っひょっと!!」
わたしの頬を両手で伸ばして引っ張る黒田は、随分と楽しげな顔をしている。ニヤニヤと、してやったりとでも言いたげな、悪戯なその表情。絶対ブサイクになってるとか上手くしゃべれないとか、もうそんなことは二の次でどうでもよかった。どうして黒田は、こういうこと、するわけ。
徐々に熱を帯び始める頬に気付かれたくなくて、ぶんぶんと首を横に振ると黒田はぱっとすぐ手を離してくれた。「犬みてぇ」とやっぱり笑う黒田に、顔を俯けたまま反抗期の中学生みたくうるっさいな!と返すことしかできない。…やだやだ、もうやだ、お願いだからこれ以上にやけないでねわたし。
鋭く突き刺さる何かには気付かないフリをしたまま、福富先輩よろしく鉄仮面とやらを意識してぐっと口の端に力を入れた。…とは言っても、とんでもなく不格好な顔になっているであろう自分が想像できてしまうあたり、結局意味なんてほぼないに等しいんだろうけど。
俯けていた顔を上げて、「黒田、」とその名を呼べば、いつも通り「なんだよ」と返してくれる黒田がいる。
「……好き、」
「は?」
「…な、人が、いるの。わたしにも」
「え、マジで?」
「超マジ」
「誰?」
「言わないけど」
「はぁ?自分から言っといて何だよそれ…」
「だって黒田に言ったところでどうにもならないでしょ」
「そんなことねーよ、俺だって協力ぐらいするし…つか気になんだろ、言え、吐け!!」
「黒田がね、…黒田がもし、もし上手くいかなかったら、そんときに教えてあげる。」
「…うわー、何だそれ。」
「はっはっは、さっさとフラれてくるこった。」
「だからどっちだよお前は!!」
眉をつり上げた黒田が、わたしの頭をまたはたいた。痛いな!ってむきになって返すだけで、わたしと黒田の関係は続けられる。それだけでわたしは、黒田のそばにいられる。
間違っても、好きだ、なんて言っちゃいけない。言ってしまえば、気持ちを伝えてしまえば、黒田はわたしに触れてくれなくなる。それどころかきっと、一緒にいることさえ許されない。…どっちだってそりゃ、フラれちゃえばいいって思ってるよ。わたしバカだから、最低だから。…でもね、何よりね。
すぅ、と小さく息を吸って真っ直ぐ黒田を見据える。「なに」と短く、怪訝そうに問いかけてきた黒田に、わたしはにんまりと笑って、言うのだ。
「上手くいくといいね」
「…おう、サンキュ」
黒田と一緒にいられるのなら、多分いつまでも幸せは願えないけど、早く告っちゃって上手くいって付き合っちゃえばいいって思う。そんな捻くれたわたしを、どうか許してほしい。
結局全部わたしのエゴでしかない。でもこれが、わたしの全てで、精一杯の恋だった。
初めて触れたその銀色は見た目以上にさらさらしてて、手のひらから簡単に零れ落ちていってしまう。少しだけ目を丸くした黒田を見て、そういうことなんだろうな、なんて、自嘲気味な笑いを一人噛み殺した。
空に恋した魚のおはなし
(title by 獣)
20150608