※職業パロ、巻島が教師
…もしかしてわたしは間違っているのだろうか。机の上に置かれているプリントをまじまじと見つめながら一人そう思う。
先週の火曜日、英語の授業で行われた小テストがさっき返ってきた。結果は上出来。丸だらけの解答欄と点数欄に書かれた50点満点中48点の文字。そのすぐそばには“Very Good”と書かれている。1年前のわたしじゃ考えられないほど、本当によくできていると自分を褒めてやった。何せわたしは、全教科の中でも英語が一番苦手なのだ。
……だけれども。一生懸命勉強して、こうやっていい点数を取れたことはもちろん誇らしいし、すごく嬉しい。例えその動機が不純であろうが結果が全てだ。こうやって勉強頑張っていい点数を取ることが、きっと先生にとっても嬉しいことに違いない。…って、さっきまで思ってたんだけどな。
「え〜巻ちゃん先生肩凝ってんじゃん。揉んであげる!」
「いらねぇっショ。いいから早くテスト直しして来い!」
「現役女子高生に肩揉んでもらえるんだよ?もっと喜んでもよくない?」
「揉んでもらったところでお前の成績は変わらねぇけどな。」
「ケチ過ぎだろ」
「いや普通っショ…」
呆れた顔を浮かべた先生がその子の頭を教科書ではたく。先生の肩に手を置いていたその子も、PTAに訴えてやる〜とか何とか言いながら席に戻って行った。…このやり取り何回目なわけ。毎回毎回テスト返しの度にああやって先生に絡みに行くの、やめたらいいのに。真面目に取り組んでる人に失礼だとか、迷惑だとか思わないのかな。
なんていうわたしの文句も、外に出ることはなくわたしの中だけで消化されていく。募る苛つきに気付かないフリをして、わたしは再び手元のテスト用紙へ視線を戻した。たったの1問間違い。テスト用紙と一緒に配られた解答用紙へ目をやれば、ただのスペルの間違いだった。うっかりミスというやつだ。はぁ、と自然に漏れたため息を隠すこともなく、赤ペンで正しい解答を書き込んでいく。…たったこれだけで2点落とすとか、ほんとわたしバカ。
今回は結構自信あったのになぁ、と内心でグチグチ文句を言いながら、直したテスト用紙を持って教卓の方へ歩く。教師としてその髪色はどうなんだって始めの頃は何度も思ってたけど、サラサラとした長い髪の毛が揺れる度に少し羨ましく思ったりして。さすがにあんな奇抜な髪色にはしないけど、卒業したら真っ先に美容室に行ってやるんだ。パーマもあてたいし、そうだ、ピアスだって開けたい。
高校生って、女子高生ってもっと自由なものだと思ってた。だけどそれは所詮ドラマや雑誌の中だけのものだと、入学してから初めて分かった。校則結構厳しいし、勉強だって中学よりずっと大変だし難しいし、制服は可愛いけど着崩すなんて放課後くらいしかできないし。あと、高校生になったらもっと恋愛ごとで忙しいのかと思ってたけど、まるでそんなことなかった。期待した分だけ何となく落ち込んだのを覚えてる。
「惜しかったな、みょうじ」
「ですよね。スペルくらい見逃してくださいよ先生。」
「そうしてやりたいくらいには最近のみょうじは頑張ってるっショ。」
「巻島先生の教え方が上手いんです。次こそ満点取りますからね。」
「おー、期待してるっショ。」
赤ペンで訂正した部分に青いペンで丸をした先生はテスト用紙をわたしに渡して、いつの間にか後ろに並んでいた男子のテスト用紙を受け取った。わたしはそれを横目に見ながら、さっさと自分の席へ座って手に持っているそれをファイルへしまい込んだ。…先生に褒められた。嬉しいはずなのに、いつもなら飛べるくらい舞い上がってるはずなのに、どうして今日はこんなにもモヤモヤしているんだろう。
「巻ちゃんせんせー、できた〜!」と一番後ろの席から教卓の方へ走って行くその子の姿を見れば、答えなんて自ずと分かってしまったけど。…どうしようもないな。
わたしが苦手な英語を頑張っているのは、巻島先生に褒められたいから、とか、巻島先生にもっと見てほしいからとか。そんな不純で下心ばかりの理由なのに何を一丁前に嫉妬なんてしてんだか。そもそも、わたしにとって巻島先生は先生であって、巻島先生から見てもわたしはただの生徒で。何百人いる中のたった一人。
今年の春、巻島先生はこの学校へ赴任してきた。赴任式では何だあの髪、って周囲がざわざわしてたのを覚えてるし、実際わたしもそう思ったわけで、慣れってすごいなぁなんてしみじみ考えたりする。
いつからかなんてことはもう覚えてないけど、わたしは気付けば巻島先生に対して特別な感情を抱いていた。それは例えば、授業中だったり廊下ですれ違ったときだったり、窓の外にその姿が見えたときだったり、言葉を交わす瞬間だったり。ふとしたときに、そう実感してしまう。特別な感情にもいろんな意味があるけど、わたしの感情は間違いなく恋愛のそれなのだと思う。
だからって本当にどうしようもない話ではあるし、どうこうしたいだなんて図々しいことは何も考えてない。ただほんの少しでも、巻島先生の視界に映りたいだとか、わたしのこと考えてほしいだとか、それ程度のものだ。多分、周りの子がしてる恋愛とそれほど差はない…はず。相手を間違ったってだけで。
「いい加減にしないと補習になるっショお前…」
「巻ちゃん先生の補習ならまぁ別にいいよ、面白そう。」
「ふざけんな」
……そっか、そんなやり方もあったんだ。
危ない思考に陥りかけたところで、はっとして自分に制止をかけた。いやダメだ、ちゃんと頑張って先生に喜んでもらう方が断然いいに決まってる。…でも、そっか、補習かぁ。
楽しそうに話してるあの子はきっとわたしみたいな下心なんて全く持ってなくて、ただ先生のことが先生として好きなだけなのだと思う。そう思うと余計、わたしはいつも追い込まれていった。
「お前もみょうじ見習えよ」…そんな言葉が聞こえてきて、嬉しいような複雑なような。ああ、結局頭を抱えて耐えるしかない。
▽
「急用できちゃったから、代わりに頼んでもいい?」
ごめんね、と手を合わせて心底申し訳なさそうにそう言ったクラスメートに了承の言葉を伝える。どうやら委員会の当番の日らしい。仲のいい友達は既にみんな帰って行ってしまったみたいで、ちょうど教室に残っていたわたしに声をかけたみたいだ。わたしもわたしで特に予定はなかったし、同じく友達はみんなそれぞれの用で帰ってしまった後だったから、何の躊躇いもなく引き受けた。ただ貸し出しするだけだって念を押すように言われて、うん分かった大丈夫だよ、なんて笑って返したのも記憶に新しい。
数週間ぶりに来た図書室は何も変わりなくて、司書の先生に代わりに来ましたと伝えれば仕事内容を簡単に説明された。…あれ、案外ややこしいかも。図書室が混む昼休みじゃなくてよかったとほんの少しだけほっとしながら、わたしはカウンターの奥にある椅子へ腰掛けた。
「みょうじさん、先生ちょっと用ができたからしばらく職員室戻るけど大丈夫?」
「あ、はい!大丈夫だと思います。」
「そう?何かあったら…多分あっちの机に巻島先生がいると思うから。」
「え?」
「巻島先生も一応図書委員の担当なのよ。」
そう言って「それじゃあよろしくね」と小走りで図書室を出て行った司書の先生を見送る。…巻島先生?が、奥の机に?思わず立ち上がってカウンターを出て、それからこっそり覗いてみた。本棚と本棚の隙間からはっきりと見えたその姿に、自然と口角が上がってしまう。何かの作業をしているらしく、こっちに気付く気配は全くない。ラッキーなことに今図書室にはわたしと、黙々と読書している数人しかいないし……、
チャンスだ、とわたしは気付かれないように背後からそっと先生へ近寄った。何がチャンスなのかは自分でもよく分かっていないけど、先生と二人で話す機会なんてなかなかない。巻島先生の周りにはいつも生徒が群がっていたり、とにかく誰かがそばにいるもんだからなるほど、そう考えると確かにチャンスだ。
そーっと、足音を立てないように努める。巻島先生の背後までやって来たところで、ポン、と肩に手を置いてみた。図書室内じゃ大きな声は出せないからと思ってやったことだったけど、それが逆に効果的だったらしい。「っショォ?!」と驚きの声をあげた巻島先生に、つい吹き出してしまった。
「ふっ…ははは!先生驚き過ぎですよ!」
「な、みょうじ?!」
「みょうじです。」
「…今ので減点っショ。」
「えっ嘘、ひどい!」
「冗談だ。にしても珍しいことすんじゃねぇか。」
「そうですか?てか先生なにしてるんです?」
「仕事」
「いや分かってますよそれは…あ、他のクラスの小テストだ!」
「見んなショ」
「見てないですよ!でも今誰かが25点だったのは見えました。見たんじゃなくて見えました。」
「忘れろ」
わざとらしく腕で小テストの山を隠し始めた巻島先生に、わたしは「見ませんし見えません」と笑う。採点の最中だと言う巻島先生は、その細長い指で赤ペンを握って少しだけだるそうにキュっと丸をつけている。その姿をじっと見つめながら先生と向かい合う前の席へ腰を下ろせば、一瞬だけこっちへ視線を向けた巻島先生が「帰んないのか?」と問いかけてきた。はい、とだけ返して机に肘をつく。それからまた、じっと見つめてみる。ほんとは写メ撮りたいけど、携帯没収食らうのはさすがにつらいし。
このまま図書室に誰も来ないことを祈りながら、先生がペンを滑らせるその手元をただただ眺める。たまに出そうになる欠伸を噛み殺して、図書室の入口付近にも気を配って。もし今司書の先生が帰って来たら怒られちゃいそうだけど、まぁいいや。
巻島先生がわたしに言った「珍しい」という言葉には多分、巻島先生にとってのわたしが“優等生”であるからって意味が込められていたんだと思う。でも正直に言わせてもらうと、めちゃくちゃ必死に頑張ってるのは英語だけだ。他の教科ももちろんそれなりにやっているけど、そこまでいい点数を取れるわけでもない。あくまでも校則を守っているだけで、中身は全然優等生なんかじゃないと思うし、まさか他人への下心ってのがこんなにも力を発揮するとは思いもしなかった。
わたし、先生のこと好きなんですけど。だから英語、頑張ってるんですけど。でももし二人っきりで補習できたりするなら、多分そっちに転んじゃうくらい、単純でバカで下心満載な女子高生なんですけど。
言えるはずのない言葉をそっと飲み込んで、そもそも頼まれた仕事を放棄している時点で優等生も何もないな、と自分に呆れてみたり。
「先生って何で教師になったんですか?」
「…何ショ急に、そんな質問…」
「何となく気になっただけですよ。イギリス?にいたんですよね?」
「ああ、大学でな」
「へ〜そうなんですね、すごーい。」
「大して興味がないなら最初から聞くな!」
「めっちゃありますよ興味。むしろ興味しかないです。」
「何なんショみょうじ…」
「先生、教師以外にやりたいこととかなかったんですか?」
「別に…あー、しいて言うなら自転車?」
「自転車?」
「ロードバイクっつう…競技用の自転車があるんショ。」
「へえ〜!初めて知りました。」
「初めて言ったからな。」
「じゃあ今度乗ってるとこ見せてくださいよ!あれ?そういえば先生、行き帰り自転車じゃなかった?」
「まさにそれっショ!見たことあるんじゃねぇか!」
「忘れてました〜」
笑顔でそう言ってのければ、巻島先生はどこか呆れたような脱力したような様子でわたしを見ている。そうだ、そういえば前、委員会の仕事で遅くなった日にたまたま巻島先生が自転車乗って帰ってるとこ見たことある。その頃はまだ恋心なんて抱いてなかったから全く気にしなかったけど、そうか、あれがロードバイクか。…あんまり覚えてない、くそー。
巻島先生はイギリスで大学行ってたことと、教師以外でやりたいことは自転車。結構些細な情報だと思うけど、これだけで嬉しい。やっぱりわたし的には、相手が先生ってだけで周りと大差ないような気がするんだよな。
カウンターの辺りを覗いてもまだ誰もいなかった。もしかしてほんとに今この瞬間が大チャンスだったりして?…なーんて考えたって、告白するわけでもできるわけでもないのに。この気持ちは一生誰に伝えることもなく、墓場まで持っていくつもりだ。友達との恋バナなんて隠すのに必死で、正直周囲の恋愛ごとにはそれほど興味を持てなかったりする。
そういえば巻島先生って、彼女とかいるのかな。見ている限りじゃ指輪もしてないし、結婚の線は大丈夫な気がする。まぁそれを知ったところでどうにもならないのが悲しいところで、そんなだから聞く気にもならないけど。
わたしにできるのは、英語の授業やテストを頑張ること。何度考えてもやっぱり、ただそれだけだ。
「…先生、」
「ん?」
「わたしほんとは英語苦手なんですよ。」
「ああ…それはまぁ知ってるっショ。」
「英単語見てるだけで蕁麻疹出てくるレベル。」
「……それは、相当だな…。」
「でも巻島先生の授業好きだから頑張れるんです。ほんとに分かりやすいし、楽しいし…、」
「お…おう、嬉しいショ、サンキュな…。けど急にどうした?」
「…何となく?日頃の感謝を込めて!」
「です!」と言い切れば、ぽかんとした表情を浮かべている巻島先生につい笑ってしまう。だけど、すぐさま照れたように眉を下げて口角を上げた先生が、わたしの頭をポンポンと二回撫でた。あ、ちょっとやばい。
途端に恥ずかしくなってきて誤魔化すように立ち上がる。まるでタイミングや空気を読んでくれているみたいに、本を持った男子がカウンターの方へ向かっていた。わたしも慌てて「実は今日、図書委員の代わりなんですよ!」と巻島先生に伝えたわけだけど、ああ、これは失敗だった。自分からサボりをバラすバカがどこにいる。
巻島先生の中にあったみょうじは優等生説は消えてしまったかもしれないけど、わたしはこれからも英語を頑張るつもりだ。だって次の小テストでは満点取るって、約束したもんね。
「サボりかよ」と笑った巻島先生に、違いますよ休憩です、と拗ねたようにわざとらしく唇を尖らせてみる。今わたし、巻島先生のこと独り占めしてたんだなぁって思うと、ものすごく嬉しくて幸せなはずなのに何故だか泣けてきた。撫でられた感覚がまだ残っている気さえする。
だって、わたしと巻島先生はどこまで行ってもただの生徒と教師だ。きっとわたしは先生である巻島先生のことしか知らなくて、それ以上もそれ以下もない。巻島先生だってそれは同じ。
教師なんてやってなくて、好きだと言うロードバイクに乗ってる巻島先生と、何かとんでもなくミラクルな出会いでも起こしたかったなぁ。…なんて、どうしようもない想像をするのはこれで何回目だろうか。
「図書委員いるー?」
「あ、はいはい〜!」
呼ばれてはっとする。滲んでいた涙も一気に引っ込んだ。小走りでカウンターの方へ行って、貸し出し作業に没頭…したかったけど、たった一人しかいなかったため数十秒で終了。ニーチェか、いいよね。
ぼうっとどうでもいいことを考えながら、わたしは再び奥にある椅子へ腰を下ろした。図書室内はもちろん静かで、ひそひそと小さく話す声くらいしか聞こえてこない。…ああこれ、さっきわたし相当うるさかったかもしれない。多分巻島先生も負けてなかったと思うけど。
周りに置いてある本を適当に手にとって読んでいると、「みょうじ」とわたしを呼ぶ声がした。そこにいたのは巻島先生で、カウンターに小テストであろう結構な量のプリントを置いて一息ついている。
わたしが何でもないふうを装って「何ですか?」と返すと、目の前に差し出されたのは可愛らしい包装紙に包まれたチョコだった。
きっと頭上にハテナが浮かんでいるであろうわたしに向かって、先生は言うのだ。
「さっきのお返し。頭使うと甘いモン欲しくなるだろ?これやるっショ。」
「…ありがとうございます」
「まぁ、なんだ…俺が受け持ってる生徒の中でも、みょうじは努力家な方だと思うショ。」
「はい…ありがとうございます…」
「…こんなこと俺が言うのもおかしいかもしれねぇけど、」
この後に続く言葉を、わたしは聞くべきだったのかそれとも聞かない方がよかったのか、今でも分からないままでいる。
「みょうじは自慢の生徒だ」
三度目のありがとうございますが震えていなかったか、正直不安だった。細心の注意を払ったつもりだけど、そんな、嬉しそうに言われるとさぁ。
「もう先生!貸し出しの邪魔になるのでさっさと退散してください!」と置いてあったプリントを押し付けて、もらったチョコをスカートのポケットにしまう。「何ショそれ!」と文句を言いながらも、どこか楽しげなのは隠せていない。…自慢の生徒、かぁ。
こんなにも誇らしい言葉はない。先生の為に英語を頑張ってきた、こんなにも嬉しい言葉はないはずなのに。先生、恋人はいますか。きっとあの子なら、ふざけてでも聞けるんだろうな。だって聞いても、聞いたところでどうしようもないんだもん。裏目に出てるとか、そんなことは微塵も思わない。
ただちょっと、わたしはやっぱり英語が嫌いなんだなって、そう思っただけだよ。先生わたし、最後まで頑張るよ。
一番近くが無理だったときは
(title by わたしのしるかぎりでは)
20151001