黒歴史と言うには、なんつーか、ちょっと眩しすぎるような気もするし。かと言って、青春の一ページとして綺麗な思い出にするのも、違う気がする。というよりまあ、できるわけがない。
「…え、上鳴くんじゃん?」
「…みょうじじゃん?」
「久しぶり過ぎ、元気?…ってわたしが聞くのもおかしいけど。チャージズマ、大活躍だもんね」
「いや……まあな」
「あはは、調子乗ってる」
「そう言うみょうじこそ…元気だった?」
「まあ、見ての通り。特に何の変哲もない社会人やってます」
そう言って、へへ、と笑うみょうじの表情からは当時の懐かしさを感じるものの、やはり高校時代とは何かが違う。…何かって、まあそんなもの、一言で言えば色気?いや、そんな下心丸出しみたいな回答がしたいわけじゃなくて。スーツ姿の影響もあるのかもしれないが、随分と大人びて見える。…って言うのもおかしいのか。だってもう、俺ら大人だし。
思考がまとまらない脳内を必死で片付けようとしている俺のことなんかつゆ知らず、「隣座っていい?もう座ってるけど」と甘ったるそうな何たらフラッペを片手にみょうじは俺の隣へ腰をおろした。その瞬間、ふわっと香ってきた彼女の匂いが高校の頃からあまり変わっていないような気がして、思わずごくりと唾を飲む。
…そうだよな、最後にみょうじ見たの、制服姿だもんな。改めて考えても、卒業以来って何年ぶり?そんな経ってないようで、結構経ってるような。卒業ぶりっつったって、そんな最後までがっつり絡んでたわけでもねえし。俺からもみょうじからもあんまり話しかけなくなって、それから、そのまま。…そのまま。
ちらっと横目にその姿を確認すれば、ストローをくわえている口元がまず目に入って、思わず反射的に目をそらした。…だからさ俺、マジダセーんだってそういうの。
つーかもう、いまだに俺のドストライク突いてくるみょうじの方が悪くね?いや、だから何?って話なんだろうけど、その一言だけで片付くような関係性じゃねえじゃん俺ら。…たぶん。
全部、俺からすれば、だけど。
「まさかこんなとこで会うなんて。世の中って狭いね」
「…みょうじは仕事終わりとか?」
「うん、会社この近くなんだ〜」
「へえ…」
「なにその興味なさそうな感じ。前はもっとこう、なんか、女の子なら誰にでも尻尾振ってる感じだったのに」
「久々に会っていきなり悪口ですか?!そんなことなくね?!…や、なくもないか」
「ほら、自分で分かってるじゃん」
「すみませんでした…」
「なんで謝るの?上鳴くんあんま変わってないね、面白い」
何も面白いことなど言っていないはずだが、そう言った本人は本当に楽しそうな笑みを浮かべている。…俺はあの頃から、この笑顔が嫌いで、めちゃくちゃ好きだった。そんで、好きなのは俺だけだった。
ふと視線をおろした先にあるのは、スカートからすらりと伸びる彼女の足。知っている、見覚えのある位置に存在している、そのほくろ。まるでタイミングを見計らったかのようにみょうじが足を組んで、あっという間に見えなくなった。残念なのか、ほっとしているのか、自分でもよくわからない感情に襲われながら誤魔化すようにコーヒーを口に含む。…数年経ったところで、ただそれだけでは、残念ながら俺の中に“大人の余裕”なんてもんが生まれることもなく。数年ぶりに再会した、好きだった人にここまで調子を崩されるとは。
そして、好き“だった”人、と言うまでに俺がどれだけの時間を費やしたのか、きっと一生、彼女は知らないまま生きていくのだ。別にそれでいいし、その方がいいんだけど。
…けど、事実だけは変わらねーんだよなって思うと、無性に腹立たしくて切なくて、たまらなくなる。切ないとか、そんなキャラでやってねーんだけどな、俺。
「みょうじだってあんま変わってねーじゃん」
「そうかな?」
「そんな気がする、綺麗になったけど」
「…えー、ほんと?」
「マジ」
「それは嬉しいかも」
「じゃあ俺は?どう?」
「かっこいいよ、昔から」
「…マジ?」
「マジ。わたし結構好きだもん、上鳴くんの顔」
「マジかよ」
「彼女いるでしょ?」
「や、いねーけど」
「そうなの?でも女の子には困ってないでしょ?」
「そんなことねーって」
「うそ、もっと遊んでるかと思っちゃった」
「何でだよ!まあそりゃ遊べるもんなら遊びてーけどな?生憎忙しくさせてもらってんだわ!」
「はは、上鳴くんはチャラさが売りだったのに」
「売りにしてた覚えないんですが?」
「冗談だよ、ごめん」
「上鳴くんいじるの面白くて」と笑うみょうじの頭を小突けばよかったのかもしれないが、それは高校までの話だ。今それをやるのはちょっと違う気がして、出しかけた手を静かに引っ込めた。…いや、そう思うと俺とみょうじって、やっぱ仲よかったんだよな。多分、普通に。学科だって違ったのに、わざわざ会って飯食ったりしてたし。きっかけは俺が下心から話しかけたことだったけど、それからなぜか声をかけてくれるようになって、それで。
…ああ、記憶の片隅に追いやっていたはずの、言うなれば一種のトラウマが今蘇ってきた。しかもかなり鮮明に。だって隣にみょうじいるし、リアルな匂いとか空気感とか、一人で思い返すよりも遥かに厄介だ。片隅に、とか言いながら、ほんとはずっと脳内ど真ん中を占拠されていることには、気づかないふりをする。
全てを過去にできている、と思い込んでいるだけなのだということにも、気づかないふりをする。認めたところで、何も始まらなければ終わりもしない。強いて言うなら、もう二度とみょうじに会えなくなるような気はするけど。
だってどう考えても、学生時代の恋愛引きずってる男ってダサくね?しかも、付き合ってたわけでもない、ただの一方的な片思い。
もしかして俺、みょうじの前で格好つけれたことないんじゃねーの?どう考えてもねーわ、ご愁傷さまです。
「…みょうじはさぁ、」
「ん?」
「俺のことかっこいいって言ってくれたけど」
「うん」
「…俺わりと、みょうじの前でダセーことしかしてない気がすんだけど」
「例えば?」
「例えば?…そう言われると、すぐには出てこねーけど…」
「まあそりゃね、確かに上鳴くんは間抜けな一面もあったよ」
「間抜け…」
「でもわたしはかっこいいと思うし、好きなんだって上鳴くんのこと」
「…ありがとうございます」
「声かけてくれたときは嬉しかったもん、かっこいいなーってずっと気になってた上鳴くんに話しかけられた!って」
「……ん?」
「結構ね、だいぶ浮かれてはしゃいだよわたしは」
「ちょ、ちょい待ち」
「なに?」
「なにじゃなくて…え、逆になんですか?」
「え?」
「…え、なに、みょうじもしかして俺のこと好きだったとか?なわけ、」
「そうだけど…」
「マジで言ってる?!」
久しく出していないくらいの馬鹿でかい声が出た。店内にいる人全員がなんだなんだとこちらに視線を送る。謝罪の意を込めてぺこりと頭を下げてから、自分を落ち着ける為に一度深く息を吐いた。「え、そんな驚くの?」と目を丸くしているみょうじに、なんて言葉を返せばいいのか分からない。…数年越しの、衝撃の事実なんですが?
「上鳴くん、知ってるのかと思ってた…」
「知らねえし!つか、え、そんなあっさり言えるもん?!」
「だ、だって次いつ会えるかなんて分かんないし…会えないかもしれないし、」
「だからって今?!」
「逆にいつならいいの?」
「いつ…いつって…」
そんなもの俺も知らない。
沈黙した俺を見て察したのか、「今彼女いないって言うから…じゃあ言っちゃおうかなって思ったんだよね」ととんでもない告白をしてきたみょうじは、居心地が悪そうに眉を下げている。変な空気にして悪い、悪いとは思ってるけど。
ぶわっと、今までの葛藤や思い出が一気に脳裏を駆け巡る。…だってじゃあ、俺ら両思いだったってこと?え、だってそんな素振りあった?多分俺は丸出しだったと思うけど、みょうじからは一切感じられなかった。いや、一切は言い過ぎかもしれないけど、それでも。
みょうじは可愛いから、みょうじはずるいから、俺はみょうじが好きだから。自分でも嫌になるくらい忘れられなくて、ときどきみょうじが憎くて、極力考えないようにして過ごしてきた。何人かと付き合ってみたりもしたけど、結局ダメだった。みょうじ以外好きになれないとかそういう綺麗な問題ではなくて、もうダメだったのだ。
「…だって、さぁ」
「…うん、うん、言いたいことは分かる、分かるから言うな」
「したじゃん、エッチ」
「言うなって!あー!マジで、ちょ、思い出させるなよ!」
「なんで?だってもし軽い女だって思われてるなら納得いかないっていうか」
「思ってねーよそんなこと!それどころかめちゃくちゃ興奮してたわ!あー待って無理恥ずかしいです俺」
「初めてだったじゃんお互い、わたしあの時間、今でもたまに思い出すくらい嬉しかったのに…」
「俺もだけど!俺もだけどさ!」
「…わたしはてっきり、上鳴くんの方がノリとか…なんかそういうのかと思ってたよ」
「は?」
「それでもいいやって、わたしも当時は乙女だったから……まあ、興味もあったし」
「…けど、そのあとから俺ら、話さなくなっただろ?」
「…純粋に恥ずかしかったし、上鳴くんもわたしのこと避けてる気がして…」
「…なんだよそれ、俺と全く同じじゃん…」
へなへなと身体中の力が抜けていく感覚。ピンと張りつめていた何かが一気に緩んで切れたように、とにかく脱力した。ゴン、とテーブルに額を打ち付ける。…みょうじが俺のことを好きだった、そして、当時の俺と全く同じことを考えていた。きっとみょうじはノリか流れで俺としているだけで、この行為に大した意味はないんだろうと、そう思っていた。…のに、衝撃が大きすぎて、今日はもう立ち上がれそうにない。仕事終わりに気分で立ち寄ったスタバで、まさかこんな事態になるとは、誰が想像できただろうか。…誰が想像できただろうか。
衝撃と同時に思い出すのは、当時みょうじに言われた言葉だった。俺のトラウマになりかけている、事後のみょうじの言葉。
その言葉と、みょうじとの忘れられない初体験のせいで、俺はどうしたって誰とも上手く付き合えなかったのだ。今まで付き合ってきた元カノのことだって全く好きにならないわけではなかった。俺もそんなに器用じゃないし、みょうじのことを忘れようとしていたのは事実だったから。
でも、無理だった。何度目かの失敗で俺は悟ったのだ、一生このままみょうじという女にとらわれて生きていくのだと。
「…こんなもんか、わたしたち相性悪いのかなって」
「え?」
「終わったあと、みょうじが言ったんだよ」
「…言った、かも」
「俺、あれがすげー…ショックで…だからまさかみょうじも嬉しかったとは思わねえじゃんか…」
「や、ちがくて…ちがくないんだけど、でも本気でそう言ったわけじゃないの、わたしの精一杯の意地…かっこつけ?みたいな…」
「あの空気の中でかっこつけんなよ!かっこよくねえし!」
「仕方ないじゃん、わたしは上鳴くんこそ遊びだと思ってたんだから!」
「なんで?!俺結構分かりやすかったと思うけど?!」
「誰にでもそうだと思ってたから!そういう印象が強くて!…ごめん…」
「…いや、ごめん」
「わ、わたしだって今結構パニックなんだからね…だってわたしたち、両思いだったってこと?」
知らなかった…と静かに呟いたみょうじが、そのまま口を閉ざした。顔を上げる勇気すらないが、恐らくみょうじは俺と似たような感情で、似たような表情をしているに違いない。誤魔化しようのない恥ずかしさと、後悔と、…歓喜。
あーあ、馬鹿みてえ。こんな複雑過ぎる心中なのに、口角はだらしなく上がっていく。ほんとダセェ、どうしようもねえな、俺も、多分みょうじも。
「…俺ら相性いいのかもな」
「…わたしも、今そう思ってた」
「このあと暇?明日早い?」
「…わたしは明日休みだけど、上鳴くんは?」
「まあ俺のことは、とりあえずいいよ」
「いいの?ヒーローなのに?」
「ヒーローにも休息は必要だろ」
何ともダサいセリフを吐いて、俺は勢いよく顔を上げた。隣には、やっぱり、あの頃より綺麗になったみょうじ。だけど、何も変わってねえ、俺の好きなみょうじがいる。好きだった、なんていう地獄みたいな嘘を自分に言い聞かせる必要はもうないらしい。
「…ねえ上鳴く、」
「みょうじ」
もう数年経ってるし、若気の至り的な感じで完全に順番も間違えた。今更だって言われればそれまでだし、反論する余地もない。学生の頃みたいに何も考えずただ突っ走れるような年齢でもなくなってきたし、なるべく失敗なんかしたくねえけど。
少なくとも、同じ失敗は繰り返さない。言わなくても伝わっているもんだと、お互いにそう思っていたのだということが、たった今分かったのだ。
…何が大人だ、何にも変わってねえくせに。
「…今でもみょうじのこと好きって言ったら、引く?」
真っ直ぐみょうじの目を見て伝えたその言葉は、少し捻くれているかもしれないが、今の俺の精一杯だ。
当時伝えればよかった、結局今でも捨てきれない、変わらない気持ちだ。
「…引かないよ、わたしも、同じこと考えてた」
そう言って笑ったみょうじが、初めて話しかけたときと同じ表情をしていることに気づいて、俺はまた納得して、後悔した。…ああ、なるほどな。やっぱみょうじ、めちゃくちゃ可愛いわ。
溶け切ったみょうじのフラッペから垂れた雫が、机を伝ってぽたりと彼女の足を濡らす。俺の視線を辿ったのか、「上鳴くん」と俺を呼んだみょうじは、何度も見たことのある少し意地の悪そうな笑みを浮かべて、言った。
「シようよ」
返事をすることはできなかった。代わりに、俺はみょうじの手を引いてさっさと立ち上がる。難しいことを考えるのは後回しにしよう。多分、俺もみょうじも、もうとっくに余裕なんてものはなかった。
理性をぶっ飛ばして終わったのだから、理性をぶっ飛ばして始まっても、何もおかしくはない。…はずだ。そういうことにしておこう。
思っていた以上に俺らは、多分、恐らく、世間一般で言う“純愛”ってやつに当てはまるはずだから。…多分。
「上鳴くんの手、熱いね」とか、いちいち煽ってくるみょうじが悪いってことにして、とりあえず。やっぱり、恋愛における順序なんてもんは、守れそうにない。
黒歴史でも、キラキラとした青春でもない。所詮、ただの男女で、どこにでもいる二人だった。ただそれだけだった。
20200929