妬いて焦がれて石になるまで



 焼きあがったマフィンを冷まし、適当にバスケットに入れて白い布をかける。それを指先で触れて、一言呪文を唱えた。ぽんと瞬く間に消えたバケットを確認し、セレスは外へと飛び出る。そのまま箒にまたがり、空へとひとっ飛びした。
 今日の天気は晴れ。風も穏やかで、西の国から魔法舎まではあっという間だった。人間には簡単に見つけることは叶わなくとも、魔法使いからすればいともたやすく見つけることができる魔法舎は、セレスが向かうのもたやすかった。
 玄関口から堂々と中へと入ると、シャイロックに出会した。
「おや、セレスまたですか」
「またとは、失礼ですね。いつものお届けものですよ」
 セレスは、先ほど家で隠してきたバケットを登場させた。冷ましたばかりで、芳醇なバターの香りが漂う。
「ネロがいれば、みなさんのお茶の用意でもしようかと思っていたんですけど」
 気配を感じないので、外出しているようだ。さすがに給仕でも、賢者の魔法使いでもない部外者であるセレスが動き回る理由がなかった。シャイロックに会釈をしたセレスはお目当ての部屋の前まで向かう。ドアをノックすれば、高めの男の子の声が響き、セレスはドアノブを回した。
「スノウ様、ホワイト様お持ちしました」
「ご苦労じゃ、セレス」
「ご苦労、セレス」
 瓜二つの顔がセレスを見上げて出迎えた。嬉々とした顔をした二人に、セレスはほっと胸をなで下ろした。これが初めてではないのだが、昔からの旧知である二人に頼まれごとをされる時は断れないことが多い。それはセレスが西の国に住まいを移し、それでもなお、北の国の出身であることを逃れられない理由でもある。幼子の頃に出会った彼らは、すでに魔法使いとして自立しており、長きに渡って生きながらえた存在だった。
 彼らの叡智を超えることなど無理だとはとうの昔に理解しているのだ。
「紅茶入れてきますね」
 スノウにバスケットを預けたセレスが部屋を出ようとすれば、談話室で食べると言うので二人もついてきた。談話室ということは、空のカップも用意したほうがいいだろう。匂いにつられて、魔法使いがわらわらと集まりそうな予感がした。
 魔法を使えれば紅茶を入れるのは雑作も無いことではあるが、セレスは手間暇かけて淹れるほうが好きだ。その点では、手で料理を作るほうが好きなネロとは気が合う。今日はいないようだったが。
 厨房まで向かうさなかに今度は、賢者と出会う。今日は珍しく書物を手にしていた。
「賢者よ、セレスがマフィンを持ってきてくれたぞ、一緒にどうだ?」
「休憩をしたほうがいい」
「本当ですか? ありがとう、セレス」
「お礼ならスノウ様とホワイト様に。お二人のご要望でしたので。ぜひ賢者様もお二人と談話室でお待ちくださいな。紅茶をお持ちしますよ」
「一人では大変だろうし、手伝うよ」
「まあ、お優しいですね」
「我らにはそんなこと言ってくれないのにな」
 セレスがにこやかに賢者を褒めると、さも面白くなさそうにスノウが答え、ホワイトも便乗してくる始末だ。彼らが心優しくて寛大な魔法使いであったならば、今のようなスノウがホワイトの魂を繋ぎ止め、亡霊のように存在をしていることはないだろう。
「それはご自分の胸に説いてください。それでは賢者様、厨房に行きましょうか。あと、お二人はつまみ食い厳禁ですからね。以前みたいな騒ぎはこりごりです」
 以前、同じように魔法舎へ菓子を持っていった際に、あわや乱闘騒ぎになったのだ。数が少なかったのはセレスの不手際かもしれないが、菓子くらい自分たちでどうとでもなる魔法使いのくせに、と思ったのはセレスの心の中の話である。
 厨房に入ったセレスと賢者はお湯を沸かしながら、茶葉を選んだりと準備をしていく。
「セレスは、スノウとホワイトといつから知り合いなの」
「私が小さい頃です。賢者様の魔法使いでもない私のことが気になりますか?」
 賢者の魔法使いは、勝手に世界に選ばれてしまう。異世界からやってきた賢者もまた、賢者の魔法使いと同じように自分の意思とは関係なしに、ここへやってきた。大いなる厄災の傷が各所に残るこの世界に。セレスは本来ならばここへ出入りをするような魔法使いではないのだ。賢者にとって、自分は珍しい魔法使いに映るのだろう。
 セレスが目を細めながら賢者を見つめると、気まずそうに切り出した。
「……気になるというか、他の魔法使いたちとは、セレスはスノウとホワイトへの関わり方が違うから、セレスにとってはどんな存在なのかなと思って」
 嫌だったら言わなくても、と続けた賢者にセレスは首を振った。薬缶に入った水が沸騰するにはまだ時間がかかる。話してもいいかな、と異界の人間である賢者に優しく微笑んだ。
「お二人は私にとって厄災です」
 出来るだけ静かに穏やかに告げる。賢者が息を呑んだのがありありと感じ取れた。二の句を継げないままの賢者に、先ほどよりも深い笑みを向ける。
「私がどんなに焼いても焦がしても、お心もお体も手に入れることはできないのです。スノウ様とホワイト様はお二人が一緒でないと、お二人ではいられませんから。何百年も恋い焦がれたままの、ただの西の魔女です」
 気を抜いた笑みに切り替えたセレスに、賢者はやっと息を吐くことができた。穏やかで、気の優しい魔女だと思っていたが実情はそうでもないらしい。
 ひやりと喉元にナイフを突き立ててきたような獰猛さを孕んでいた。それは、西の陽気さよりも北の国の寒さに似ていた気がした。
「さあ、賢者様。お湯が沸きましたので談話室に戻りましょう」
 諭すように柔らかい声でセレスは賢者を促す。セレスはすでに準備の終わったお盆を持っていた。童話のように怖い魔女だったらどんなに良かっただろう。賢者がセレスの出身国について知るのはもう少しあとのことであった。