06:振り返ってみてもいないのはわかってる




「おはようツカサ」
「………………。」
「ちょっと」
「………………。」
「聞いているの?」
「………………。」
「無視とはいい度胸ね」
「………………。」
「目を覚ましなさいよこの万年寝坊助」
「いたーっ!?」


突然、思い切り頬を抓られた。
びっくりしてそちらへと振り返ると、学園一美人ジュリアが朝から物凄い形相で頬をひくつかせて私を睨んでいた。


「じ、ジュリア……朝からひどい……」
「私を無視してぼけっとした罰よ。この私があんたの目を覚ましてあげたのよ、お抓り頂きありがとうございますと寧ろお礼してほしいわね」
「お、お抓り頂きありがとう……ございます……」
「いいのよ」
「あの、毎度思うけど、ジュリア結構力強いよね……」
「手加減はしてるわ」


本当だろうか。
ジュリアのことだからここぞとばかりに日頃の鬱憤を晴らすために全力をその細い指に込めている気がしてならない。赤くなったに違いない頬を撫でながら、私はもう一度頬杖を突いてため息をついた。


「何よ、朝から陰気臭いわね」
「まあ……色々あったから……」
「何?色々って。そういえばあんた、ブレザー取り返したのね。徽章も見つかったみたいで良かったじゃない」
「あ、う、……うん……」


ジュリアは目敏くも、私のシャツの隙間から覗いたであろう金に輝く徽章のネックレスを指摘した。私はとっさにそれを匿うように指で触れる。そして、つい詰まる返答。それにジュリアは少し変な顔をした。


「…………どうしたのよ」


まずい、バレただろうか。
ジュリアはその綺麗な曲線を描いた眉を八の字に曲げ、少し困惑したように小首を傾げた。私の顔を覗き込んで、その違和感、原因を突き止めようと瞳を合わせようとしてくる。しかし、私はその真っ直ぐな瞳から目を逸らした。そうするとジュリアはグイっと私の顎を掴んで、強制的に瞳を合わせてきた。美しい顔が目の前に迫る。


「ジュリア、ち、近い近い」
「なんか変よ、あんた」
「そ、そんなことないよ」
「おかしいわよ。そうね、身近な例で言うなら、朝起きたら着ていたパジャマが裏表逆になっていたくらいに変だわ」


それはもはや怪奇現象ではないだろうか?
ジュリアはいつも身近にそんなことばかり起きているのか、と頭の端で驚きながら、原因究明をしようとする彼女を諌めた。


「だ、大丈夫だって、寝ぼけてただけだよ」
「……さてはあんた。昨日私が帰った後に、その徽章の件で何かあったのでしょう」


ギクッ。
擬音を付けるならばそんな感じだ。肩を震わせた私を余計に怪しむジュリア。彼女は洞察力はそれなりのものだ。私みたいなぼんやり生きてる人種でなく、会話の中で人の視線や脈拍・呼吸・癖などから機嫌や考えや感情を読み取るハンターらしい性質を持つ。


「か、考えすぎだよ」
「そうかしら。恐らくあんたは昨日、私と別れた後にそのブレザーを貸してやった金髪豚野郎に再会したのではないかしら?」
「金髪豚野郎って」
「そしてその徽章は、しっかりブレザーのポケットの中に入っていた。あんたは安堵してその場を去ろうとしたけれど、そいつがあんたにお礼をしたいだのと引き留めた……違う?」


ギクギクっ。
名探偵ばりに昨日の流れを私の反応から読み取ろうとするジュリアに顔が引き攣る。


「お礼はそうね……学生なのだし、何か奢るとかそんなところかしら。そして味覚音痴のあんたはしょうもないことにプリン牛乳を要求したのでしょう。今思えば普通に可愛げのある飲み物を買ってもらえば良かったのに、あんた達はわざわざ4階の自販機まで向かった」


ギクギクギクーっ。ここまで大正解だ。
ジュリアの青いビー玉のような瞳が私を射抜く。何故わかる?冷や汗を垂らしながらも私は彼女の瞳から目を逸らせずにいた。


「そしてあんたはプリン牛乳を奢ってもらったのでしょう。お礼というだけならここで終わりのはずなのに、その先に何かあったのではなくて?」
「なななな、何も、何も無いよ」
「それだけドモっておいて何も無いなんてよく言い切れるわね」
「ほら私どもり癖あるから」
「冷や汗垂れてるわよ。体は正直ね、ツカサ」


取り繕うように冷や汗を慌てて袖で拭う。そんな私を胡散臭そうに見遣るジュリア。嘘が下手くそにも程があるぞ、私。言動に出るどころか体の生理現象にも出てくるなんて。この体、ポンコツすぎる。


「けれどそこから先は読むのが難しいわ。でも面食いのあんたの事だから、その金髪豚野郎はやはりそれなりに顔は良かったのかしら。だからホイホイ着いて行ったのだろうし。まあ私ほどでは無いとは思うけれど」
「ぐ、ぐう……」
「それで、ツカサ 。その金髪豚野郎と何があったのかしら。私の居ない間に私の所有物に手を出すなんていい度胸してるわね」
「所有物?それ私?」
「ツカサ、そいつは何処の誰だったの」


人の事を所有物呼ばわりして何故かこちらの危機管理が悪いとばかりの顔をするジュリア。チッチッと指先のタップがそのイラつきを現している。まさかジュリアといえど、その先を突き止めるなんて出来やしないはず。名前くらいなら大丈夫だろう、と彼の名を小さく呟いた。


「そ、その、リュウセイ君、です」
「流星?珍しい名前ね。ジャポン人?」
「あ、多分違くて。リュウセイは名字、名前はシャルナーク君」
「シャークだか何だか知らないけど何処かで聞いた名前だわ」
「シャルナークシャルナーク」


ふーん、と口元を隠して何かを考えるジュリア。思い当たるものがあるようだが、知らなくてもきっと仕方がない。リュウセイ君は私たちと同じ新入生だ。



「それで?そいつと何があったのよ」
「何がって、……な、何も無かったよ?」
「クソほど怪しいわよ」
「ほ、ほんとだよ。ジュリアの言う通りプリン牛乳奢ってもらって、ちょっとお喋りしただけ」
「……へえ、そう……」


ジュリアは納得のいかないような表情を浮かべた。
少し嘘は混ざっているがここまでは真実だ。けれどもその先は話すなと固く口止めをされている。そしてそれはジュリアにも成る可くは黙っておきたい。だって彼女は、きっと良い顔をしない。するとジュリアは、聞きたくもないが聞かねばならないとでも言いたげに、少し戸惑った感情を織り交ぜて私に言った。


「……まさかツカサ、そいつに気が移った訳?」
「気が移る?」
「好きになったのかと聞いてるのよ」
「好きって……そんなことないよ」
「本当に?」
「う、うん。どうしてそう思うの、ジュリア」


今度は彼女の瞳を伺うのは私だった。私の色恋について口出しをするジュリア。ジュリアは心配性という性格でもないのに。その男はやめておけというマブダチ的なアドバイスなら口出しするのも頷けるが、ジュリアのそれについては少し違うような気がした。まるで、私が男性に気を向けることを良しとしないような。嫉妬。そう、そんな感じだ。

「…………べ、別に……」

私の問いにジュリアは目を丸くさせ、その白い頬を少し赤く染めた。そんな彼女の様子を不思議に思い、もっと顔を覗き込むと、今度はそっぽを向いた。そしてその小さな唇で、小さな声で何かを呟いた。



「……恋煩いのような顔をしてたさっきのあんたを見たら、……」



けれどもそれは私には聞こえなかった。
「何?」と聞き返すが、「何でもないわよスカポンタン」と突き返されてしまった。そしておまけに、さっき抓られた頬の逆側を抓ってきた。素直に痛い。


「あう〜」
「心配してあげてるのよ感謝しなさい」
「心配と言うにはツンデレのツンが過ぎるよジュリアさん」
「……まあ、何も無かったと言うのならそれでいいわ」


そう言うとジュリアは私の頬から手を離し一撫ですると、一限目の授業の準備を始めた。彼女からの追求から免れたことに少し安堵をしたが、少しの心苦しさが残る。私はそれを少し心痛く思った。ごめん、ジュリア。何も無いというのは少し嘘だ。


『……ツカサ=ブライス。新入生且つ学園にも全く詳しくない君が、どうしてそれを持っているのか、事情を聞かせてもらえる?』


あの時のリュウセイ君の声を耳の中で反芻した。
私は昨日の夕暮れのことを思い返した。











「生徒会長……君の兄さんが?」


私はおおよそを話した。
この徽章を持つのが許されるのは現生徒会長だけであるというのなら事情を説明しなければルシルフル現会長に失礼な話だし、何よりひた隠しするような事でもない。5年前、兄がハンター学園に在籍していたこと、生徒会長であったこと、そしてその証を今は私が持っていること。
リュウセイ君は目を丸くして言った。


「それは驚いたな。5年前か。クロロ、知ってた?」
「いや。先代や先々代の会長くらいならば知っているが5代前となるとな」
「まあ俺もクロロも編入組だからね。中等部から在籍してる進級組なら少しは名前も聞いてたかもしれないけれど」
「あ、リュウセイ君もルシルフル会長も編入組なんですね」
「まあね。というか都合上編入でなければこの学園入れなかったんだけど」
「都合上?」


何の都合だろう。
それについて首を傾げると、リュウセイ君は誤魔化すように咳払いをした。その反応から、聞かれたくなかったことかもしれないと、私は咄嗟に口を閉じた。編入組にはそれぞれ事情のある生徒が実は多い。斯く言う私もそうだ。

私達兄妹には親がいない。小さい頃のことはよく覚えていないけれど、兄が15歳でハンター学園に入るまでは孤児院に居たと聞いている。当時私は7歳だった。兄がハンター学園に入ると共に、私達は孤児院を出た。ハンター学園に入ることが出来れば身元の保証を請け負ってくれる。身元の保証、それ即ち、準成人としての社会的立場となることを意味する。だから孤児院を出てからは兄と二人だけの自立した生活を送ることが出来た。そういう保証を目当てにこの学園に編入したいと考える生徒は、私や兄以外にも勿論いるだろう。


「兄さんの名前は?」
「あ、ツバサです。ツバサ=ブライス」
「…………ツバサ、ブライス?」


ルシルフル会長は兄の名前に何か引っかかるのか、考え込むように口元を抑えた。暫く沈黙し、何かを思い返すかのように瞳は虚空を一点見つめる。


「クロロ?」


その様子にリュウセイ君が会長に声を掛けた。が、ルシルフル会長はすぐに取り繕い、「ああ、何でもない」とそれに応じた。リュウセイ君は変な顔をしたが、「ならいいけど」とそれ以上は特に興味を示すことなくまた会話に戻った。


「ツバサ=ブライス、ね。もしかしたら生徒会報とか名簿に名前が残ってるかもしれない。今度調べてみるよ。あ、因みにだけど、お兄さんと血縁関係はある?」
「え、血縁?まあ一応、実兄妹ですが……」
「そう。兄妹なのに。血は残酷だね。まさに提灯に釣鐘、月とすっぽん」
「ちょ、どういう意味それ!」


リュウセイ君は笑顔でさらりと皮肉を言った。
提灯に釣鐘の意味はよくわかんないけど、月とすっぽんはさすがにわかる。この状況からすればそれはほぼ悪口だ。誰がすっぽんだ、誰が。私か。


「生徒会長は立候補すれば誰でもなれるものじゃないんだ。お勉強が出来ればいいというものでも無ければ、運動が得意であればいいというものでも無い。人間味、カリスマ性、人望、リーダー格。そういったものが絶対的に求められる。それがハンター学園の象徴としての存在、生徒会長だからさ」
「は、はあ……」
「あ。ごめん、君それなりに可愛いけど少し地味というか陰気っぽいっていうか、あーなんていうかその、ブライスさんにはブライスさんなりの個性があるというか?だからその、別に君にそういうのが全く無いって言いたいわけじゃないよ」


いや、ほぼ言ってるようなものですけどそれ。
人間味カリスマ性人望リーダー格、全部無くて悪かったな。ついでに陰キャであることも指摘された。当たってますけど。あはは、と笑って誤魔化すフォロー下手なリュウセイ君にややげんなりした。けれど反面で、少し嬉しく感じる。だってそれは、かつて兄がそうだったと褒められているようなものだ。少し誇らしい。




「そうか?俺はツカサにもそういう魅力が十分にあると思うが」


今度はリュウセイ君ではなく、ルシルフル会長が口を開いた。
頬杖をつきながらも微笑んでいるのがわかる。まるで古い名曲を楽しむかのような、柔らかい会長の雰囲気。リュウセイ君に全否定された後のその言葉だからこそそれが余計に嬉しかった。


「そ、そうでしょうか」
「ああ」
「でもリュウセイ君の言うこと大分当たってます。もう5月になるのに未だに友達一人くらいしか作れてないし、クラスでも隅っこだし、陰キャですし、兄と似てるなんて言われたことなかったし。本当に月とすっぽんでした」
「ツカサ。月とすっぽんの意味を知っているか?」
「え?」


ルシルフル会長は突然そんな事を尋ねてきた。
私は少し考えて答えた。月もスッポンも丸い形ではあるが、似ているのは形が丸いことだけで、その差は比較にもならないほど大きい。そのことから多くの場合、優れたものと劣ったものを比較するときに使う。


「まあ、そうだな。それが一般的な解釈だ。けれど似て非なるものの例えとして、その解釈はあまりにも雑把だと俺は思うよ」


ルシルフル会長は手の内を開くようにこちらへ差し伸べた。
月とすっぽんの解釈に、他に何があると言うのだろうか。私は彼の手の平をぼんやり眺めて疑問に思った。


「ツカサ、その語源を知っているか?実はその月は反射して水面に映ったもので、それを水に浮かぶすっぽんと比較した時に生まれた諺と言われている。確かに水面に映る月の方が情緒的で美しいかもしれないが、大小を比較するならば月よりすっぽんのほうが大きいだろうとは思わないか?」
「た、確かに」
「それに、美醜を決めるのは各々個人だ。絶対に手の届かない光か、それとも春夏秋冬を水の中で強く生きる生物か。どちらが美しいと思うかなんてそれぞれの価値観に過ぎない」



そしてルシルフル会長は一息ついて、また言った。



「だから俺はそう思わない」



そう言い切るのはこの学園の生徒会長この人だ。
人間味、カリスマ性、人望、リーダー格。確かにクロロ=ルシルフル、この人にはそれが備わっていると感じられる。認めてくれて、受け止めてくれて、私に欲しい言葉をくれる。

『ツカサ』

そういう所が、少しだけ。もうこの世界にはいない兄に似ていると思ってしまったが、私は口を閉ざした。月には手が届かないのと同じだ。





「その徽章はツカサが持っているといい」
「え、会長、……いいんですか?てっきり取り上げられるかと……」
「事情が聞きたかっただけだ。そんな事はしないさ」
「で、でも」
「徽章が二つあったとして何が変わる訳でもない。それは模造品でも盗品でもなかった。正真正銘の本物。この学園には本物が二つある、ただそれだけの話だ」
「か、かかか会長……!」


さっきから良い事しか言わないルシルフル会長の聖人君子ぶりに私は感無量の極みだった。この徽章について指摘された時はもしや没収されるかと思ったのに、所持していても良いと会長直々の赦しをくれた。


「クロロ、いいの?」


シャルナークは遺憾な表情をしてそう口を挟んだが、クロロはそれを片手で制した。話はこれからだ、というその合図。わずかに吊り上げた口元。そして妖しく目を細めて、クロロはツカサを見ていた。シャルナークは彼のそんな様子に口を噤んだ。

あ……、悪い顔してる。

こういう時のクロロは何か考えがあった上でそれを仕掛けようとしている。相手が罠に掛かることを予知した上で。シャルナークは肩を竦めて経緯を見送る事にした。



「ありがとうございます会長。私、感銘を受けました。生徒会長はあなたしかいません。次の生徒会選挙、絶対にルシルフル会長に清き1票を投票させて頂きます。あ、リュウセイ君も次の選挙で副会長になるんだよね。ついでだしリュウセイ君にも清き一票入れとくね」
「俺、ついでなの?」


それを知る由もなく、ほだされやすいツカサは瞳を輝かせてクロロに投票を約束した。クロロは「光栄だ」とそれに笑顔で答えたが、続けて神妙な雰囲気を醸して言った。


「しかし……その生徒会選挙の件なんだが」
「え?」
「実は少し弊害があってな。ツカサ、生徒会というのはどのように選出されるか知っているか?」
「え、っと、そうですね、知る限りですが。まあその、生徒会に志望する生徒が、立候補して、マニフェストだとか方針だとかを提案して、投票を貰って、それで票数が多ければ当選。ですよね?」
「そう。選挙は公職に就任する者を選定する行為だ。歴史的には挙手や起立、喝采などの方法が採用されたこともあるが、現代の選挙は投票によって行われることが多い。この学園の規模と性質を考慮し、且つ選挙における五大公理を守る上で選択される選挙方式というのは、やはり小選挙区制多数代表による選出が適している」
「は、はあ……」
「まあつまりは、多数決という事だ。より多く表を得られた者が生徒会に任命される。そこでだ。ツカサ、これまでそういった代表を選出する際に、どういう判断基準を設けて投票をしていた?」
「え。そ、そうですね、やっぱり……印象に残っている人に投票をしてた、かも。あとは、知名度のある人とか?それだけで人を選ぶなんて、いけないことかもしれないですが……」
「否、それは正解だ。人間というのは単純なもので、いくつか選択肢がある上でどれか選べと迫られたならば、最も印象深い一つを選出する。それは道理とも言える。しかしそれならば、イメージの強い者や名のある者が上から順に選ばれるということになる。だがその点に俺は疑問を持っているんだ」
「なるほど……やったもん勝ちじゃないですけど、ただ目立った人が上に立つのは少しどうかとは感じますね……」
「そう。俺のように、真に学園の事を思って生徒会に志望した立候補者は潰される。思いの強さに比例して学園を良くするとは言わないが、それでは不公平とは思わないか。それに、そんな奴等が寄せ集まった生徒会なんてたかが知れている」


確かに。会長の言う事は至極正論。
目立ちたがり屋が生徒会に入っても何が出来るという話だ。生徒会に入り学園を変革したいと考える人にこそその席は設けられている。私は会長の言うことにウンウンと頷いたが、それはつまり選挙自体のシステムを変えなければならないということだと気付いた。


「でも、会長?今の時点で選挙方式を変えることなんてできませんよね。それなら正攻法で着実に票を獲得していくしかないんじゃ……」
「そうだな。しかしそれは労力を使う上に確実な方法ではない。結局は有権者の気分やその場の雰囲気で票流れしてしまう事もある。そこで俺は、生徒会を身内で固める事にした」
「ほうほう、なるほど!……って、え?」
「そうすることによって寄せ集めの生徒会ではなくなるし、俺が提示した政策を生徒会役員一同合致して取り組むことが出来る。身内は俺の息がかかった有能な奴等ばかりだしな」
「んん……?」


突然怪しくなった話の雲行き。
それってつまり、ものすごく簡易的に言うと、ルシルフル会長の独裁政権のために陰ながら選挙操作をしたってことじゃ……?



「だが、それが選挙管理委員会に引っ掛かったらしい。先程お呼ばれして釘を刺された。次期選挙で同様のことがあったら上に通告すると」
「そりゃそうでしょ」


票を開けるのが選挙管理委員会の仕事だと思っていたがそうではないらしい。選挙管理委員会が意外にも機能を発揮していて逆に安心した。いい仕事してるな、と他人事のように私は思った。



「それで、少し考えたんだが」


と言うと、ルシルフル会長は席を立った。コツ、コツ、と上品な足音を鳴らしながらこちらに向かって来る。差し込む夕陽が彼の背後に逆光となり、私は眩しく目を細めた。胸元に輝くもう一つのその徽章が、日に照らされて一際目立って輝いた。彼は絶えず笑みを浮かべていたが、何故かそれがここで少し嘘臭いもののように感じられたのは、どうしてだろうか。まるで策略が立ったかのような、悪巧みを思い付いたかのような……。



「俺の手足にならないか、ツカサ」


……はい?今なんて?
その意味がよく分からず首を傾げた。しかしただただ嫌な予感しかしないのはきっと気のせいではない。


「……と言いますと?」
「次の生徒会選挙が5月に控えている。それに立候補しろ」
「いやなんで」
「幸いにも副会長の枠がもう一つある。シャルの他に誰が適任か考え倦ねていた所だった。けれど君がそこに入ってくれるのなら雑用、…………生徒会を率いる手腕の一人として頼もしい」
「今ちょっと雑用って言いませんでしたか」
「あくまで立候補として出馬して貰う。だが落選はしない。心配というのならば推薦状を用意する。生徒会副会長となれば今後の学園生活にそれなりのメリットを齎す筈だ。授業の受講免除、経費操作、そして生徒会として地位の保証は絶対だ。悪い話ではないと思うが?」
「そ、そりゃそうですけど。何も私でなくても……」
「こちらとしてもメリットはある。ツカサが生徒会に入ることによって先程話した選挙管理委員会の通告を退くことが出来る。ツカサ、君は傍から見れば唯一の部外者。そして副会長ほどの座に立つならば奴等もこれ以上文句は言ってはこないだろう。ちょっと立候補してくれれば助かるんだが」
「ちょっと立候補って軽く言いますけどそれって内通者的な感じでは……」
「そんな事は言ってない。ただ協力をしてもらいたいだけさ」



授業の受講免除、経費操作、生徒会役員としての地位。
じゅる、と思わずヨダレが出てしまったが慌ててそれを隠した。いや待て。上手い話には裏があるとよく言うじゃないか、ツカサ。しっかり考えろ。想像するんだ。私みたいなのが選挙に出てみろ。壇上で『私が副会長になったあかつきには〜』なんて演説なんてしようものなら、きっとシラケた空気になる。あいつ誰だよ、とか、一年が立候補してんじゃねーよ、とか。そして唯一のマブダチのジュリアだ。『ツカサあんた何を目立ってクソ寒い事やってるのよ。恥ずかしい。二度と話し掛けないで』とジュリアの声が聞こえるようだ。



「いや、……いやいやいや!なんか無理」
「無理?」
「で、出来ないです!」


悪い話じゃないのに何故断るんだ?とでも言いたげな顔できょとんとした顔を向けるルシルフル会長。
ぽっと出の新入生、しかもクラスの隅でぼけーっとしてる陰キャタイプの女子生徒、それが私だ。そんな奴が生徒会選挙だなんて矢面に立ってみろ、恥さらしもいいところだろう。その後の学園生活は暗黒時代を迎えるに違いない。私はブンブン手を振ってその提案を突っぱねた。


「ダメです!やっぱ無理!」
「どうしてもか?」
「どうしてもダメです!」


ふむ、とルシルフル会長は顎に手を添えて「それは困ったな」と呟いた。その様子に私は少しばかり胸が傷んだけれど、穏やかな学園生活が暗黒時代に様変わりするリスクを背負ってまでハイわかりましたなんて簡単に了承は出来ない。


「す、すみません、ルシルフル会長。良いお話ですが、私にはそんな大それたことなんてとてもできません……どうか他を当たってください。そ、それでは!」


早々に話を切り上げて生徒会室を出て行こうと扉へ踵を返したところで、「ちょっと待った」と、誰かが通せんぼをした。その胸板が私の目の前に迫る。おそるおそる顔を上げると、それは他でもないリュウセイ君だった。


「……あ、あのー。リュウセイ君、申し訳ないけどそういうことだから、」
「そんなこと言わずにさ。まずはお試しで1年間やってみない?」
「お試しにしては1年間は長いよね?」
「大丈夫だよ、きっとあっという間だから。月日の流れを感じる暇もないくらい仕事あるし」
「生徒会なのにブラック企業なの?」


時間がわからなくなるほどある生徒会の仕事って何だ。
やはりそれでも私は「やっぱりできないよ、ごめん、リュウセイ君」と改めて断った。リュウセイ君は実に悲しそうな顔をして「そっか……残念だなあ……」と目を伏せた。どうやらわかってくれたようだ。



「う……、本当にごめん」
「しょうがないよね。まあ人には向き不向きがあるし」
「う、うんうん」
「そこまで無理だって言われたら、コッチももうこれ以上はお願いできないしね」
「それじゃ、」
「ーーだから、お願いで駄目なら強制させてもらうしかなくなるよね」



えっ?
と、声を出す間もなく、リュウセイ君はにっこりと笑って続けて言った。


「ブライスさん、プリン牛乳の件はどうやって償ってくれる?」
「……えっ」


ここでその話出てくるの?
私は血の気が引く思いでリュウセイ君に弁明を開いた。


「そ、その、それについては本当に申し訳ない思いでいっぱいです。しかしその、その件は先程の流れ的に貴殿より恩赦を賜ったと思ってたんですが」
「そう?俺そんなこと言ったっけ?」
「え、言ってないの?」
「よーく思い出してみなよ」
「え、んん……?」



私は言われた通りよーく思い出してみた。



『…………も、申し訳ございませんでした…………』
『まったく仕方ないなー。でも、あースッキリした』
『……え?』
『ま、犯人はわかったからここは良しとするよ』
『……あ、あの?リュウセイ様、わ、私めをお許し下さるので?』
『過ぎたことを言ってもしょうがないし、罪は消えないしね』



………………確かに。リュウセイ君は許すなんて一言も言ってなんかない。むしろ罪は消えないとかなんとか言っていた。


「そ、そんな!」
「ね?言ってないでしょ?」


ね?じゃない。罠だこんなの。
許してないんだったらこんなところまでリュウセイ君にのこのこと着いて来る訳が無い。一見許した風に振舞ってそれを後々ぶり返すなんて、まるで悪魔の所業だ。


「プリン牛乳の借りはここで返して貰おうかな。生徒会選挙立候補、そして生徒会に入る事。それが俺の条件」
「あ、あの。他のことでお返しは出来ないんですか」
「うーん、そうだな。それなら学園退学とか?」
「え“っ!?た、退学!?」


学園退学ですと。
それはつまり、文字の通り退学だ。生徒会に入らないのならばこの学園から去れとリュウセイ君は言いたいという事だ。


「俺はどっちでもいいよ?生徒会か退学か、まあオススメは勿論前者だけど。でも、どうしても生徒会は無理って言うならそれも仕方ないよね」
「た、退学処分なんてリュウセイ君にそんな権限、」
「勿論俺にはそんなことできないけど。でも忘れてない?」
「え?」
「君の目の前にそれが出来る人がいるってこと」



ぎぎぎ、と錆び付いた首を無理やり捻って、リュウセイ君が指さした先のその人を見遣った。

ルシルフル会長。

会長はわざとらしく悲しそうな表情を浮かべていた。っていうかいくら絶対の存在と言えど生徒会長にそんな権限があるのか。しかしいつの間にかルシルフル会長は一枚の紙を持っていた。その紙には『退学命令書』と書かれてある。マジかよ。



「ツカサ、……残念だ。では退学処理を、」
「じょ、冗談ですよね!?」
「おっと、判子が無いな。シャル持ってきてくれるか」
「オッケー会長」
「わーっ!ま、待って待って待ってください!」


私は恥も脱ぎ捨ててルシルフル会長の腕にすがり付いた。ルシルフル会長の判子は捺印される寸前で止まった。


「こ、こんなのもはや暴挙ですよ!」
「ウチの大切な右腕がそんな被害に遭っていたとなれば話は別だ。目には目を歯には歯をと言うだろう」
「それにしてもこっちのしっぺ返しが重いですよ!なんか釣り合ってないですよ!」
「俺が生徒会長である内はこの学園のルールは俺だしな」
「何その俺様ルール」


そんなことがまかり通るこの生徒会の実態って。
でも生徒会に入らなければプリン牛乳の件で退学処分というかそもそもプリン牛乳投げたのは私じゃないけど。でもジュリアの名前をここで出すのは友人を売るかのようで、とてもそれはできない。でもでも、私なんかが立候補だなんてぶっ飛んだ話だ。私は葛藤して頭を抱えた。


「ひ、ひどすぎる……なにこの生徒会……」
「でも退学処分は嫌でしょ?それなら生徒会、入ってくれるよね」
「……け、けど……それは……」


決断なんて出来やしない。

日陰の身であった自分が、華ばなしい舞台に立つようで。傍から見ればシンデレラ・ストーリー。けれど私は元来輝かしい人間でもなければ向上心さえ無いのだ。ただ薄ぼんやりと学園生活を送るものだとばかり考えていた。


そんなふうに平凡に平淡に何も得られないまま終わっていくのだと、そう決めつけていたのだ。心のどこかで。




『そして何よりも。ツカサが、美しい青春だったと思う事のできる学園に』



ふと、あの時この場所で、兄に言われた言葉が過ぎった。








「ツカサ=ブライス。君の青春はそれでいいのか?」
「え……」


その声の方へ向き直ると、ルシルフル会長はその真っ黒な瞳で真摯に私を射抜いた。


「人の目に晒される場に経つ経験が無く、勇気がない。未知の世界を恐れる気持ちもわからなくはない。だが自分には出来ないと、そう過小評価したままこの学園での3年間を無下に過ごすのは愚かな事だ」


それでもいいと、思っていた。
兄のように、この徽章を携えるような器量良しでもなければ寛容でもないし度胸もない。だから学園に運良く入学出来て、それだけ。それだけで私にはそれ以上を得ることは出来ないとどこかでずっと思っていた。

良く言えば、日陰の身。ぽっと出の新入生、しかもクラスの隅でぼけーっとしてる陰キャタイプの女子生徒、それが私。


私は一生、そういう人間なのだと。



「ツカサ=ブライス。君はハンター学園に何を求める?」



それは心の中ですぐに答えた。

兄が求めたパーフェクト・ワールド。

あの人がここでしようとしていたこと、これからしたかったこと、その全部。この学園に手掛かりがあるに違いないと、ここにしかそれは無いのだと、そう信じてここまで来た。




「君の兄が取り仕切っていた生徒会をやりたくはないか?」



彼は私の首元に手を伸ばし、ネックレスの先に輝く徽章を撫でた。この学園に二つある内の一つ。その持ち主は、私とルシルフル会長。



「俺の手足となれば、求めている答えを得られるはずだ」



どうしてこの人は、私が心の奥底で求めているものをわかっているかのように揺さぶるのだろう。



これは好機。

私にとってそれは願ってもない話だ。兄が愛した学園。そして生徒会長というその椅子。もしかしたらこの生徒会に答えがあるのかもしれない。そう期待せずにいられない。



この遺された徽章。

卒業前日に交通事故で死んだ兄のその胸元に血塗れた輝き。

その虚しさ、無念、悲しみ、そしてーー希望。



それを私は、知りたかったのではないのか?





「…………はい」



気付いた時には、ルシルフル会長に私は小さく頷いていた。


「決まりだな」


それはとても綺麗な微笑みだったが、夕陽の逆光によりまるでそれが妖しく感じられた。そして契約のようだと思ったのはきっと私だけではないだろう。


「当然だがこの事は内密にな。親しい友人、クラスメイト、教師、その他の誰にあっても一切他言するな。……まあ大丈夫か、友達少ないんだしな」
「会長一言余計なんですけど」
「また機を見てこちらから連絡する。詳細な連絡はシャルナーク、お前に頼む。同じ生徒会副会長として同行も多くなるだろうから連携は取っておけ」


リュウセイ君はこの目を丸くしていたが「はいはい、会長殿」と手を振った。


「期待しているよ、ツカサ」
「それ、本当に思ってくれてるんですか?」
「勿論。さっき言っただろう。ツカサ、兄と同じように君にも人を惹きつける魅力があると。血は水よりも濃いと言うしな」


私はその返答に押し黙った。

会長がそう言う瞳は、まるで深淵の奥深くに沈んでいる。それ以上何か言ったってこの人の真偽を確かめることは出来ないのだ。
だから今は、上辺だけでもあなたを信じて着いていく。



「よろしく頼む。ツカサ=ブライス」



会長から差し出された右手。それを私は同じく右手で握り返した。その手は存外にも、温かい体温だった。

そしてもう一つ気付いた。

ずっと手に握っていたプリン牛乳は、既に自分の体温で温くなっていた。











生徒会室を出て、教室まで鞄を取りに行き、リュウセイ君は私を校門まで送ってくれた。リュウセイ君は学園敷地内に併設された学寮住まいだ。私のためにここまでお見送りしてくれるなんてありがたいことだ。

日はすっかり沈んでいた。電灯だけが付いた薄暗い廊下。時刻は6時過ぎを示している。通常の精神下ならば金髪イケメンが気を使って見送りまでしてくれるのだから小躍りでもして喜ぶのが筋であるが、しかし私は非常に気まずい思いをして彼の隣を歩いていた。

そう、プリン牛乳の件だ。
先程は許してもらったと思いきや許してもらってなかったので、私は意を決してここでしっかり確認しておくべきと思い切って尋ねた。


「あの……」
「ん?」
「リュウセイ君、怒ってる?」
「何が?」
「その、プリン牛乳の事」


リュウセイ君はそれにきょとんとしてから、クスクスとおかしく笑った。


「いや?最初はそりゃ苛立ってはいたけど」
「う、……そうだよね」
「でも今は怒ってないよ。ブライスさんが生徒会に入ってくれるってことになったからそれでチャラになったし。むしろ退学なんて脅してごめん。それについては嘘も方便というか、馬鹿と鋏は使いようというか」
「あ、なんだあれ嘘なんだね。よかったー……ん?」



あれ?今なんかナチュラルに馬鹿って言われたような気がしたけど……まあ気のせいだろう。



「交換条件とはいえ引き受けてくれて嬉しいよ、ブライスさん」
「あ、うん。本当は絶対断ろうって思ってたんだけどね。でもビックリしたよ、リュウセイ君すごく押しが強いんだもん。我を通すタイプっていうか……生徒会でもそうなの?」
「まさか。あの面子では仲介役ばっかりだよ」
「そうなんだ?」
「うん。そうでもしないとあいつら襟首掴んでケンカ始めるから」
「そ、そうなんだ……」



それを聞いてもう辞めたくなってきた。途中辞退してはダメだろうか。クーリングオフ制度適用は無いですか?



「確かに生徒会に入れって言い出し始めたのは最初こそクロロだけど。……でも、俺も君に生徒会に入ってほしいって、そうなったらいいなって思ったんだ」
「え、どうして?」
「なんて言えばいいかよくわからないんだけどさ。君にはなんか、ワガママ全部ぶつけたい気持ちになるっていうか」
「どゆこと?」
「我儘を言っても、無理を言っても、無茶を言っても、それでも君は許してくれるだろうってなんとなくわかるんだ。おかしーよね、初対面なのに。……でも、君をずっと前から知ってる……」



目を白黒させてリュウセイ君へと振り向くと、その奥深くに光る緑色の虹彩が私を見つめた。その美しい緑色をどこかで見たことがある。そんな気がした。



「どうしてかな。君のこと知らない筈なのに、すごく懐かしい」



私も。

という言葉は、なぜか飲み込んだ。だって私はリュウセイ君とは
初対面なのだから、その感覚は間違っている。きっとリュウセイ君も。私みたいな凡々の女生徒なんてそこらへんにいくらでもいる。その既視感が彼をそう錯覚させているに違いない。


「そういうのデジャヴっていうものの一つなのかな?初対面なのに、昔に会ったことあるような懐かしい人ってたまにいるよね。きっとリュウセイ君、今そんな感じなんだよ」
「そうかもね。お爺ちゃんお婆ちゃんとかに親しみ感じるのと同じかも」
「うん、きっとそうだよ!……ってお爺ちゃんお婆ちゃんとかと同じに見えるってさすがにどういうこと!?」


一応ピッチピチの女子高生なんですけど!?
ふくれっ面を向けると、リュウセイ君はお腹を抱えて笑った。そして私の頬を柔らかく抓った。「あははっ、ほら、こうするともっとお婆ちゃんっぽいよ」と酷いことを言うリュウセイ君に憤慨しながら歩いていると、いつの間にか校門まで着いていた。



「ありがとう、リュウセイ君。ここまで見送ってくれて」
「いいよ。気を付けて帰って」
「うん、大丈夫!さようならー」


手を振って見送ってくれるリュウセイ君に手を振り返して、私は帰路についた。角を曲がりしばらく歩いていると、後ろから足音が駆けてくる音が聞こえたため「え?」と振り返った。


「待って、ツカサ!」
「あれ……リュウセイ君?」
「一つ忘れてた」


リュウセイ君は息を少し荒らげていたが、その手には何かを持っているような感じはない。忘れ物だろうか?思いつかない。リュウセイ君からブレザーもネックレスも返してもらったし、他には特に何も無いと思うけど……。

首を傾げると、リュウセイ君は一息ついてポケットから何かを取り出した。それはなんとも独特な形をした携帯電話。悪魔をモチーフにしたような赤色の機種だ。人のセンスに文句を言うつもりなんて無いけれど、ちょっとだけ趣味を疑う。もっとスマートなフォンを使っていそうなタイプだと思ったのに。



「えーと、その。……クロロが言ってたろ」
「会長何か言ってたっけ?」
「同じ生徒会副会長として連携は取っておけ、って」
「あ、うん、……覚えてないけど言ってたような」
「あー、……だからさ、その……」


薄暗い夕闇のせいでよく見えないけれど、なぜかリュウセイ君は目を合わせてくれない。何かを葛藤しながら頭をかいてどこか落ち着きもない。何だろう、とずっと彼の言いたいことを待っているとしばらくして、歯切れ悪くもようやく彼は言った。



「番号、交換しようか」



あ、連絡先。ルシルフル会長はそういうの交換しておけって言いたかったのか、と納得し、「確かに連絡先交換しておいたほうがいろいろ便利だよね」と私もケータイを取り出した。幾度か画面をタップして、友達追加の項目を押した。お互いにケータイを差し出しあい、お互いの器械が情報を読み込むまで、数秒の時間。なぜかどぎまぎしながら、私はその時間を緊張して過ごした。リュウセイ君はどう思っているかわからない。けど、彼にしてはやはり少し無言が目立つような気がしたのはきっと私だけだ。私は友達も多くはないので知り合ってすぐ連絡先交換、みたいな風習がない。これからは情報社会とも言うし、連絡先交換は積極的にしたほうがいいかもしれない……。

そんなことを考えているうちに、お互いのケータイがピロリン、と鳴った。
普段あまり聞かないその音色が、私と彼の間の少しの緊張を破った。


「……またクロロから何か通達があったら連絡するよ」
「ありがと。その、よろしく……お願いします」


シャルナーク=リュウセイ。
ぽつんと画面に浮かんだその名前が、どこか気恥ずかしく感じられてむず痒くなった。それがどうしてかは、よくわからなかった。


「それじゃ、またね」
「あ、うん。わざわざありがとう」


さよならとまた手を振ると、リュウセイ君は最後にいつものように笑った。そして踵を返して学園の方向へ歩いて行き、そして角の向こうへと見えなくなった。私は彼の名前が刻まれたケータイを、どうしてか強く握った。ケータイが落として壊れてしまったら嫌だと思った。これまではそんなこと、そこまで思わなかったのにどうしてだろう。

『待って、ツカサ!』

けれど、それはきっと。
わざわざ私を追いかけてまで来てくれたリュウセイ君にきっと申し訳ないからだと、思うことにした。




「あれ、……今リュウセイ君、私のこと、……」


思わず、彼が消えた方向へ振り返った。
もちろんそこにはもう誰もいなかった。けれど、それでよかった。彼にはじめて名前を呼ばれただけで緩んでしまったこの顔は、きっと人様に見せられるようなもんじゃないだろう。