祈りの墓標


 のんびりとした昼下がり。
 昼食を食べ終えた僕はなんとなく家から出て、なんとなく見つけた木のベンチに腰掛けていた。
 悠々と雲が青空を流れていくのをじっと見ている僕は、傍はたから見れば、相当暇に見えるのだろうか。あ、あの雲は一体どこへ行くんだろう。雲のあの形、ポニーに似ている。あれに乗って空を駆け巡ったら面白いな。
 ……なんて身にならないことを考えていると、いきなりベンチの後ろからガサガサと大きな音が聞こえた。驚いて立ち上がり振り向くと、木が大きく音を立てている。どうやら、何かの生き物が樹冠じゅかんのあたりで暴れているようだ。
 ギャアギャア、キィキィ。
 鳴き声としては鳥だろうか。しばらく暴れ回るような声や音が聞こえたのち、大型の鳥が飛び去っていくのと、なにか小さいものが幹から転げ落ちるのが見えた。
 なんとなく気になってしまった僕は、転げ落ちたものの方へ近づくと、黒い塊のようなものが地面に落ちていた。
 目を凝らすと、それは鳥の形をしていた。小型の鳥にも見えるが、まだ小鳥なのかもしれない。
 青みがかった黒色の羽をしていて、光に当たると綺麗なんだろうかと思ったが、小鳥はすでに事切れているようで、ぴくりとも動かなかった。
「……まだ、小さいのに」
 きっと、もっと飛びたかっただろうに。生きたかっただろうに。小鳥の側へ座り込み、死骸を掬すくい上げると、重さはほとんど感じられなかった。
 小さい命。失われた命。……救えなかった、命。そう考えたとき、ザザザと視界にノイズが走った。まるで古い映画でも見ているように、シーンが飛び飛びに……。
「へえ、君でも生き物に憐れみを持つんだね」
 背後の声にハッと我に返る。見返すと、眉を顰ひそめた男が僕の手元をじっと見ていた。 
「……ご機嫌よう、スプレンディドさん」
「素敵な挨拶だが、君の表情は付いていけてないようだね」
 毛嫌いしている者が突然現れ、台詞と声までは咄嗟とっさに繕えたが、不快な感情に染まった表情だけは変えられず、結局スプレンディドに指摘されてしまった。
 諦めて、ため息を吐く。
「単に驚いただけです。
 それはそうと、スプレンディドさんは人を救うことにお忙しいでしょうし、
 即刻立ち去っていただけますか」
「君は建前が下手だな」
 誰のせいだか。心のなかで毒づき、スプレンディドから手の中の小鳥に視線を戻した。彼と話していても、僕の舌戦の弱さが露呈するだけだ。
「無視かい?」
 後ろから顔を出してくる男へ返事はせず、小鳥を一旦地面に置く。小鳥のために墓を作ってやらないと。掘りやすそうな土が盛り上がっている、木の根元に指を突っ込んだ。
 土の表面は乾いていて掘りやすかったが、徐々に湿り気を帯びた土が出てきた。土はひんやりと冷たく、爪に土が詰まると指先まで冷えてくる。やっと小鳥が入りそうなくらいの穴を作ったあと、僕は躊躇ちゅうちょした。
 ――この冷たい土の中に、死体を埋めるのか? いや、仲間達だって冷たい土に葬られてきた。葬ってきたのだ、僕が。
 小鳥の、まだ温もりのある死体をもう一度掬い上げ、暗く冷たい穴を見た。
「早く埋めてやりなよ」
 僕が何を考えているか、知りもしないスプレンディドは、簡単に言い放つ。
「……土が冷たいんです。なのに、空を飛びたかった小鳥をここへ埋めるなんて、
 それは自己満足ではないですか」
「この小鳥は、空を飛びたいから土に埋めるなと言ったのかい?」
「いえ……」
 彼の言う事が理解できない僕は眉を顰めた。その様子を見たのか、スプレンディドはふうと息を吐いて、言葉を続ける。
「なら君のそれも自己満足だろう? 小鳥が真に何を望むのかは誰も知り得ない」
 小鳥が真に望むもの。
 鳥だから空を飛びたい、ということ自体は確かに単なる僕の考えだった。死者の望みを叶えてやりたいと思う僕が傲慢ごうまんだったのか、生き残った者の焦燥がそうさせるのか。
「屍しかばねをそのまま晒さらしてもいいし埋めてもいい。
 小鳥が植物や虫を食べるように、植物や虫も死体を食べる。
 それが自然の摂理だ。そうだろう?」
 それは、至極当たり前なことだった。自然の観点で考えれば、とても当たり前で、常識だった。それでも、僕はわかっていた上で、はっきりと言うことができない言葉だった。

『――フリッピー、俺が死んだら土に埋めてくれ。
 大地は故郷に繋がっているから……このまま故郷に帰りたいんだ』

 その時、ふと誰かの声を思い出した。名前はわからない。顔もわからない。いつか昔の戦友だった。
「何を泣いてるんだ君は」
「え?」
 珍しく驚いた顔をしたスプレンディドに指摘され、自身の目尻からつうぅと何かが溢あふれるのを感じた。慌てて肩で乱暴に拭う。
「そんなに悲しいのかい?」
 ……彼が言っているのは、小鳥のことだろう。
「いえ、何でもありません」
「そうかい」
 彼はそれ以上は踏み込んでこなかった。僕は小鳥の亡骸を恭しく穴に置くと、横から小さな花が一輪投げられた。おそらくこのあたりに自生している花だろう。
 見ると、背後にいたスプレンディドがいつの間にか僕の横に移動していた。
「この小鳥も誇らしいだろうね。君に悼いたんでもらえて」
 もっともらしいことを言って、スプレンディドはそのまま亡骸に土を被せた。彼の手の平が土の山を覆い、ぱたんぱたんと固める。
「ふう。これでヒーローとしての一仕事は終わったね」
 自身の手の平同士をはたき、土をぱらぱらと落としながらスプレンディドは立ち上がった。僕も倣って、土をはたいたが、それよりもぎっしりと爪に詰まった土が気になっていた。
「君もご苦労だったね」
 びし、と額に揃えた手をつけ、彼は敬礼のポーズを取ったが、僕はそれを下からぼうっと見上げた。いかにも英雄らしいポーズで、彼のお気に入りなのだろうが、僕は返す気にはなれなかった。
「……ノリが悪いな君は。
 それはそうと早く手を洗ったらどうだい?」
 あそこに手洗い場があるから、と彼がまっすぐに指さした先に公園が見えた。カドルスたちがよく遊んでいる公園だ。
「ええ」
 そう空返事して、僕は土だらけの爪と指を見つめた。あの時、彼を埋めた手は一体どんな手だったっけ。思い出そうにも霞んでしまって、あの時聞こえた彼の声も思い出せなくなっていた。
 ようやく、重い腰を上げて公園へ向かうスプレンディドの後を追う。その途中、背後で鳥が飛び立ったような気がして、僕は墓を振り返った。
「――、故郷に帰れるといいね」
 祈りを込めて、虚空へ呟いた。