それは巣食う病


※暴力表現あり




 最近オーガニックに凝っている私は、少し遠くの街まで出掛けていた。麗らかな空のもと、鼻歌なんかを歌いながら陽気に帰路へついていると、向こうから短い悲鳴が聞こえた。
 大変だ。慌てて買い物したものを地面へ置き、悲鳴の聞こえた場所まで急スピードで空を駆ける。
 私の耳はもともと優れた聴覚を持っているが、ヒーローたるゆえ、悲鳴はかなり正確に聞き取ることができる。たまに聞こえすぎることにストレスを感じることもあるが、それもヒーローの宿命なのだから仕方ない。
「待たせたね、大丈……」
 華麗に着地し、悲鳴の主に声をかけたが、目に入ってきたのは、おそらく悲鳴の主であろうギグルスの――生首だった。
 苦痛に歪んだ生首は無造作に置かれ、あたり一面には死体の一部分と、血と思われる真っ赤な液体で染まっていた。風が吹くと、むせ返るような鉄の香りがする。
「……これは事故じゃあないな」
 見慣れた・・・・風景に、私はそう推理して腕を組んだ。経験上、まだ血の乾いていない現場には、おそらく"彼"がいるはずだ。殺戮跡地に転がる死体を見ながら奥へ進むと、話し声のような微かな音が聞こえてくる。
 木の陰から覗のぞくと、これまた死体の転がった地に一人、座り込んでいるのが見えた。膝を抱えて座っているのか、成人男性とは思えないほど矮小わいしょうな存在に見える。
 ゆっくりと彼へ向かって歩を進めると、微かな声が彼から漏れ聞こえてきた。
「……ない、……じゃない」
 何かをぼそぼそと言い続けているようで、思わず眉を顰ひそめる。先週見たB級ホラー映画に似たようなシーンがあったなと、ふと思い出した。
 耳をそばだてて見ると、彼の声がはっきりと聞こえてきた。
「ぼくじゃない、ぼくじゃない、ぼくじゃない……」
 自責の念に駆られているようで、何度も同じことを呟き、繰り返しているようだった。以前は裏の・・彼が惨劇を見せないようにしていたこともあったが、今は存在を示し表すように、惨劇を見せるようになった気がする。まったく、難儀なものだ。
「またやったのかい、軍人くん」
 そう声を掛けると、ぶつぶつと呟いていた彼の声がぴたりと止まり、彼の首がぐるんとこちらへ向けられた。その様子は正直、気味が悪い。
「スプレンディド……」
 お得意の取り繕った(私からすれば、取り繕えてはいないが)外面は消え、憔悴しょうすいしきった顔でこちらを見ていた。言っちゃ悪いが、まるで死人のようだ。震えた身体を動かして、弁解でもするかのように座り込む。
「あ、あ、やったのは、僕じゃない」
「いいや、やったのは君だろう?
 表であれ裏であれ、コインが一枚であるように、君も一人のヒトだ」
「ちが……ちがうんだ、ちがう。ぼくじゃない」
 本来であれば彼に正論を説いて舌戦を始めるのだが、正気を失っている彼との会話は、空気を叩くようなもので、つまらない。
「疲れただろう、休むといい。
 起きればすぐに元通りさ、軍人くん」
 傍から聞けば、おかしいと言われるだろう。だが狂ったこの世界では、死んでは蘇り、蘇っては死ぬ。数え切れないくらい繰り返してきた住民たちも、翌日には笑って新たな生活を始めるのだ。狂気も、全員染まれば正常になるのだと思う、きっと。
「ほら、軍人くん。立ちなよ」
 血まみれて汚れた軍人の傍に寄り声を掛けると、彼の開いた瞳孔が射抜くように私を見ていた。
「ぼくを……軍人と呼ばないでください」
 突然の言葉だった。
「なぜ?」
 あまりにも突然な要求に、思わず聞き返してしまった。私が素朴な疑問を問うと、彼の顔は紙くずのように、くしゃくしゃと歪む。
「ぼくには、フリッピーという名前がある」
「ああ、知っているさ。単に――呼ばないだけで」
 いつものように嘲りを込めて返すと、泣きそうな顔で、だけど怒りを堪えて睨んでいた。
「貴方は僕のことを"軍人"と馬鹿にしたような口振りで、嘲笑って」
「別に、軍人くんを馬鹿にしたつもりはないさ」
今の軍人呼びはわざとだ。普段の彼であれば、あからさまな挑発に乗らなかったが、今の彼には覿面てきめんだろう。
 ほら。動揺が、表情にはっきりと現れている。
「だから、軍人と呼ぶな!」
 怒りを含んだ声が、閑静な空間に響き渡り、彼の腕が私を掴もうと伸びてくる。体を少し引いて避けると、バランスを崩した彼の膝ががくりと地面に触れる。
「暴れた後の疲弊した身体では、さぞ動きにくいだろうね。軍人くん」
「っ……!」
 ひょいと数歩後ろに飛んで彼を煽ると、言葉尻に激昂げきこうしたのか、固く握った拳を構えて、私に向かってくる。戦闘を叩きこまれたはずの彼ならば、そんなパンチは当たらないと理解するはずだが、錯乱状態の彼にはもう分からないのだろう。
「もうやめたまえ」
「お前がッ、軍人と呼ぶからだろう!?」
 突き出された腕を掴み制止したが、彼は歯を剥き出しにして敵意を含んだ声で叫ぶ。
「なら、そう呼ばれないようにすればいいだけさ。軍服を脱がない君は、いつまでも軍人だ」
「うるさい、うるさい……」
 ゼェゼェと息苦しそうに吐き捨てた彼は、へなへなとまた地面に座り込む。怒ったと思えば落ち込む、ジェットコースターのような感情遷移。やはり休んだほうが賢明だろう。
「……僕はただ、困っている人を助けたいだけなのに」
 彼は俯きながら、ぽつりと言葉をこぼした。
 足元に蹲うずくまり地に伏すような、見窄みすぼらしい男が何を言っているのか。血まみれで泣き喚いて、己の過去を呪う男が、人を救いたいとは笑止千万だ。
「それはヒーローの役目であって、人を殺す軍人の役目ではないだろう」
 あまりにも身の程を知らない彼の言葉に、私は思わず声に出してしまった。困憊こんぱいした目つきをしていた彼は、突き刺すような視線で私を見る。
「……貴方は僕のことを人殺しだと、そればかりだ」
「事実だろう?」
「なら、貴方はどうなんですか」
 彼は嘲ったように笑い、緩慢な動作のなか、ゆらりと立ち上がった。体は限界を超えているだろうに、まるでゾンビのそれだった。
「何が言いたいんだい」
「助ける力を持ちながら、使いこなせずに人を殺すアンタは、僕とどう違うんだ」
 じっとりとした恨みつらみを宿した目がこちらへ剥く。全く持って遺憾だ。私は力を使いこなし、今まで多くの人間を助けてきたというのに。
「根本的に、君は人を助けたことがないじゃないか」
「僕は! ……助けたいんだ! でも、できない……できないんだ」
 吼えるように彼は叫び、そのあとまた急降下するように押し黙った。人を救うのは一人で事足りるというのに、どうしてヒーローになりたがるのか。
 ぼろぼろに擦り切れた軍人を見下ろしつつ、けれど私は彼を罰することはできない。私の耳には、彼の悲痛な声が救いを求めていると認識しているからだ。
 ああ、どうして私を英雄と認めないのか。認めれば、楽になれるのに。
「軍人くん。ヒーローである私に助けを乞えば、いつでも――」
 彼を諭すために近寄ろうとしたが、次に紡ぐはずの言葉は、胸倉を乱暴に掴まれた衝撃で飲み込んだ。咄嗟とっさに強い力で引き寄せられ、無防備な私はそのまま、目の前に迫る飢えた熊のような顔を見ていた。
「貴方に助けは求めない!
 貴方はヒーローじゃなく、独善的な……ただのヒトだ!」
 噛みつかんばかりに大きな口で彼は叫んだ。その形相はまさに狂人で、反射的に私は拳を彼の腹に打ち込んだ。横隔膜あたりを狙ったからか、彼は短い呻き声を上げ、顔を顰めてヒュッと息を漏らした。呼吸ができなかったのだろう、彼はそのまま――その場に倒れた。
 倒れた彼の首に指を添えると、ゆっくりではあるが脈を打っていた。彼は悪人ではあるが、同時に私が救うべき世界の住人でもある。
 私は彼の首から指を離し、彼を見下ろす。人智を超えた力を持つ私とは比べ物にならないほど、彼はとても小さかった。
 無駄な力を使ったことに後悔しながら、息を吐く。
「……どこまで往生際が悪いんだろうね。どれだけ望んでも君はただの人殺しで、英雄の私とは相容れない存在なのに」
 英雄は救けた住民に賛美の声が寄せられ、笑顔で溢あふれかえる。それがどうだ、軍人の彼の結末はいつも死体と血まみれ、破壊だ。
 ああ、なんて滑稽な軍人! ――だけど、私はヒーロー。犯罪者であれ、悪魔であれ、私は"救う"のだ。
「おやすみ、殺人鬼マーダー。次こそは私をヒーローとして慕ってくれよ」

(英雄が飛び去った後、眠る軍人に再生の雨が降り注ぐ。
 けれど、すべてを洗い流す雨でも、根強く残るこの病だけは流せない)