英雄少軍


「スプレンディド!」
 下から名を呼ばれて地面へ降り立つと、向こうから駆けてきたのはフリッピーだった。頬を赤くして懸命に走っている。
「おっと」
 弾丸のように飛び込んできた彼を両手で受け止めると、フリッピーは顔を上げ、いたずらっ子のように笑んだ。――一瞬、あの双子が脳裏をよぎったが、アレよりかは悪意のない、可愛げのある笑顔だった。
「今日は何をやっつけたんだ? 怪獣? 悪者ヴィラン?」
「はは、今日は平和さ」
「えー、つまんないの!」
 そう言って膨れる彼は十歳の少年だ。スーパーヒーローである私に憧れを抱いているらしく、たまにスニッフルズやトゥーシーたちと賑やかに話しているのを見かけたことがある。
「じゃあ目からビーム出してよ!」
「ダメだ。あれはお遊びでやらないと言っただろう?」
 以前に彼が何度も頼むものだから、ファンサービスの一環として叶えたことがあったが、ちょうどそこにいた通行人にビームが当たり、事件になりかけたため、必要がない限りはやらないことにしたのだ。
「ちぇー。あ、じゃあ一緒にサッカーしようよ!
 これからカドルスたちと遊ぶからさ!」
「わかったわかった。パトロールが終わったら向かうよ」
 彼の熱意に負けてそう答えると、彼は嬉しそうに微笑んだ。憧れに目を輝かせている純朴な少年を前にして、断ることができるヒーローがどこにいるというのか。
「ぜーったい来てよ、スプレンディド!」
 小さな腕をブンブンと大きく振り、私が頷いたのを見届けたあと、彼はまた弾丸のように走り出していった。


 フリッピーとそんな話をしてから、三十分ほど経っただろうか。パトロール中、壁の穴から抜けなくなったランピーを発見して救助活動をしていたお陰で遅くなってしまった。
 フリッピーとの約束通り、サッカーをするためにカドルスたちがよく遊んでいる広場へ慌ててやってきたが、いつも騒がしい広場はしんと静まり返っていて、人の気配がまったくなかった。
「……まいったな。場所はここじゃなかったか」
 フリッピーにちゃんと確認しておくべきだったなと後悔したが仕方ない。――さて、他にどこで遊んでいたことがあったかな。ここから一番近い場所を考えていた時、背後に気配を感じた。
「スプレンディド!」
 先ほど聞いたばかりの声が耳に届き、私は安心した。ああ、やっぱりここで合っていたか。そう思い振り向くと、視界に飛び込んできたのは、体中が真っ赤に染まったフリッピーだった。
「フリッピー……!?」
 さああぁと血の気が失せる感覚がし、急いでフリッピーへ近付くと、顔を背けたくなるような、嫌な臭いが鼻を突いた。それが何の臭いかは、嗅ぎ慣れて・・・・・いるからか、すぐに分かってしまった。
 フリッピーが赤い手で頑なに握っているナイフは、確か父親の形見だと言っていたアーミーナイフだった。刃先は鮮やかな血で、まだ濡れているように見える。
「遅いよ、スプレンディド!」
 何も知らないで笑う彼に、私は乾いた笑みを返しながら、フリッピーの後ろに広がる赤い草原を一瞥する。
 ……何であるかは理解したくないが、赤い、人型のような何かが、無造作に転がっているのが目に入った。
「ええと、怪我は……ないかい」
 人型の何かを見るのは止め、目の前のフリッピーに声を掛ける。痛がっていなかったし、怪我をしているようにも見えなかった。でも――ヒーローにあるまじきことではあるが――、どうか怪我をしていて欲しいと、そう願ってしまった。
「ないよ? なんでそんなこと聞くの?」
 しかし私の予想は悲しくも外れ、フリッピーは心底不思議そうな顔をして、きょとんとしていた。まんまるくなった瞳が、私をじっと見る。
 ……フリッピーの瞳は、こんな金色だっただろうか。
「いや、君が……その、血で汚れていたからね」
「ああ、これはワルモノの血だよ」
 歯切れ悪く理由を答えると、容易く彼は答えを口にした。しかし聞き慣れない言葉が出て、私は眉を顰ひそめた。
「ワルモノ?」
「そう。オレたちがサッカーで遊んでたら、パァンって撃ってきたんだ」
 撃ってきた、というのは銃だろうか。こんな平和な村で、遊んでいる子供たちに対して銃を撃つような者はいないはずだ。喩え居たとしても、私が即座に退治している。
「それで?」
「だからオレはみんなに逃げてって言って、
 オレは隠れてたワルモノ達を倒したんだ!」
 興奮したように剥き出しのナイフを振り回す彼を宥めながら、向こうに転がっている死体を観察すると、破裂したサッカーボールが死体の傍に落ちているのが見えた。
「フリッピー、その音はもしかしてボールの……」
 ヒントが繋がって憶測へと変わり、そう言葉を紡ぎ始めた時。目の前の少年は、残酷な笑顔で私に問いかけた。
「だから、これは正当防衛だよな? スプレンディド」
 切り裂かれたように開かれた口から飛び出したのは、声変わり前の高い声ではなく、肌が粟立つような低い声だった。いつものフリッピーらしからぬ物言いに、一瞬背筋が寒くなり、私は咄嗟に言葉をこぼした。
「あ、あぁ、そうだとも。君は悪くないさ」
 そう言うとフリッピーはほっとした表情を見せ、手に持っていたナイフへ顔を向けた。
「よかったね、パパ」
 そう言って恐ろしくも純粋に、彼は笑った。