血飛沫の結末


※怪我描写あり



 アイツは、可哀想な奴だ。
 誰よりも平和を望んでいるくせに、誰よりも平和を壊していて、それをアイツは知らない。……こんな辛いことって、ほかにねぇだろ。


 地面に這いつくばっている俺は、短い腕で体を引きずりながら進んでいた。地面に体が擦れる度に、脇腹がずくんずくんと痛んだ。さっき通りすがりに切り裂かれたところから、どんどん温かいものが失われているみたいだ。
「はやく、おわんねぇかな」
 思わず、口から出た言葉。それが泣き言なのか、アイツに対する憐れみの言葉なのか、俺にはわからなかった。
 ずくずくと痛む腹が、俺の思考を、呼吸を奪っていく。はやくあのしあわせな声の歌が聞こえてくれればいいのに。そうすれば惨劇が終わって、平和で退屈な日常に戻るのに。
「ああ、だめだ……」
 しあわせな声の歌を聞きたいってのに、もう俺の身体は動かなさそうだ。腹から下の感覚がない。這いつくばって進む気力もなくなった。もうどこかに隠れるのは無理だろう。移動を諦めた俺は、最後の力を振り絞って仰向けに転がった。
 仰いだ空は皮肉にもよく晴れていて、太陽が辺りを照らしていた。ここで起きた惨劇を、隠さずにしっかりと。
 ……あ、近くで悲鳴が聞こえる。走って逃げているようだ。甲高い悲鳴。よほど、酷くやられたのか叫び声が長く聞こえる。
「もう、やめてくれよ」
 誰かに叶えてもらいたいわけではなかったが、どうしても願うことはやめられなかった。
 そんな俺のもとに、びゅうぅと鉄のいやな臭いが風に乗って運ばれてきた。心のなかで落胆する。
「アイツはさ、可哀想なやつなんだよ」
 何も知らないで平和を願ってる男。何も知らないで子どもたちと笑ってる男。何も知らないで世界が平和だと思っている男。
 ――何も知らないで、殺している男。

「よォ」
 地を這うような低い声。地を這っている俺が言うのは変かもしれないが、コイツの声はそれがしっくり来るのだから仕方ない。
 俺の足の向こうから、男がやってきた。強烈な血の臭いがする。ぐちゃぐちゃと死体やら臓物やらを踏みながらやって来る。
「テメェで最後だ、死に損ない」
 血みどろのニタニタと笑った顔が、俺を見下ろしていた。いつもの軍服には元の服がわからなくなるくらい返り血が飛んでいて、粗野に光るサバイバルナイフが見えた。
 下品に歪ませた口は、いつものアイツが平和を語る口だ。肉片がこびりついたナイフを握る手は、子どもたちの頭を撫でる手。獲物をいたぶる喜びに燃える金色の眼は、平和を望んで微笑んでいた眼だ。
「かわいそう……じゃねぇか」
 あんなに平和を望んでいるアイツの顔で、声で、体で。平和を殺すなんて。
「はァ? カワイソウ?
……あァ、カワイソウだなカワイソウ。死ぬまで苦しめられるテメェがな」
 思わずこぼれた俺の言葉を勘違いした男は、低い声でおかしそうに笑った。心の底から、殺戮のすべてを愛してやまないというように。
「さァて」
「……っ、グッ!」
 一頻り笑った男は、いきなり俺の左脚を踏みつけた。腹の痛みに慣れた頃にやってきた、強烈な痛み。上から力いっぱいに踏みしめられ、骨がぎりぎりと軋んだ。
「せいぜい死ぬまで楽しめよ、なァ」
 ナイフが視界の端で鋭く光った。抵抗しても意味がないと悟った俺は、目を閉じた。これ以上あの男を見ていたら、アイツの顔を忘れちまう。平和を望んで愛した、アイツの顔を。

 神だか天使だかわかんねぇけどさ、早くしあわせな声で歌ってくれよ。
 そしたら俺も、コイツも、アイツも終わるだろ。
 なあ、フリッピー?

(血まみれの男が息絶えたあと、しあわせな声の歌で世界は終焉を迎える)