大鹿+大工


 ペチュニアから依頼を受けた『絶対に壊れないレモネードスタンド』を作った帰り、ぼーっと歩いているとソイツは現れた。
「ねぇ、食べたの?」
 急にデケェ男が横から顔を出してきて、俺は心臓が飛び出そうなくらい驚いた。
「聞いてる?」
 絶句している俺に対して、無視されているかと思ったのか、ソイツ……ランピーは口を尖らせた。
 俺が仕方なく顔をあげて視線を合わせると、ニヤニヤなのかニコニコなのかよくわからない顔で笑った。モールさんのような無表情な人の感情を推し測るのも難しいが、こう……表情がころころ変わるやつもよく分からねぇと思った。
「聞いてるよ」
「じゃあ、教えてよ。食べたの?」
 誰かコイツに主語ってもんを教えてやれ。面倒なやつに捕まったもんだと俺はため息を吐いて、眉にシワを寄せ、あからさまな顔を作って、能天気な男の面を睨んだ。
「何をだよ」
 ランピーはにっこりと笑った。
「うで」
 予想もしていなかった問いに、俺は思わず面食らった。驚きから憤慨を通り越して呆れに感情が到達してから、俺はもう一度ため息をついた。
 顔を下に向けて息を吐いたからか、視界の端に包帯を巻いた小さな腕がいた。
 ふざけんな、と文句を言うために、能天気イカレ男を見上げると、いつも焦点の合っていない……黒胡麻みてぇな目が俺の腕に向いているのが見えた。
「うで、食べたから生えてこないの?」
 ランピーには思慮や遠慮というものは存在しないらしい。――いや、元々配慮に欠けた男だというのは知っていた。でも少なからず年齢を重ねた大人だから、少しは常識があると思っていた。
 この問いは、嫌味でもなく、バカにするわけでもなく、純粋に首を傾げて聞いているんだ、この男は。
 子どものような大人を目の当たりにし、そしてソイツに絡まれている自分の状況に頭が痛くなった。咄嗟にこめかみへ手をやろうとして……、腕がないことに気付いて唇を噛んだ。
「ぼくはさぁ、手とか足をケガしても生えてくるのに。君のは生えてこないよね」
 ランピーは俺に見せつけるようにして、手を広げて拳を作り、広げる。これも腕のない俺に対しての嫌味ではなく、純粋な疑問からなんだろう。だけど、そう分かっていても――顔をしかめたくなる。
「……でしょ」
「え?」
 物思いにふけっていると、ランピーは何かを呟いていた。思わず聞き返した俺に、ランピーはもう一度言うために口を開く。黒胡麻の目が俺を見すえる。
「だから君は食べたんでしょ? 自分のうでを」
 面白がるように目を細めたランピーの口から、ちろりと鮮血の赤が見えた。一瞬視線を奪われた自分に気付き、もう一度唇を噛んだ。血の味がじんわりと口の中で滲む。
 ――食べた? 自分の腕を?
「バカなこと言うな」
 吐き捨てると、目の前のランピーは驚いた顔をした。本当に俺が食べたとでも思っていたのか?
 無神経な男に苛立ち、眉間にシワを寄せたが、やけに自分が腹を立てていることに気付いた。普段ならこんな妄言、笑って流しているのに。俺はどうしてこんなにも苛立っているのか。
「なぁんだ、そっか。でも、もったいないねぇ。
 君はカリカリに焼いたら、おいしそうなのに」
 やけに赤い舌をぺろりと出して、ランピーは口を吊り上げる。まるで人を食べたことがあるような言葉だった。
 変人だとは思っていたが、コイツもしかして想像以上にイカれて……。
「ぷ、ハンディってば本気にしてるの? うそだよ、うそ。ジョーダンだよ」
 イカレ無神経野郎を睨みつけていると、目の前の男は大げさに吹き出し、あははと笑い始めた。おまけにペチペチと人のヘルメットを叩いている。
「おい、ヘルメットに触んな」
 手を跳ね除けようとしたが、俺の小さい腕はランピーには届かない。俺の中に再び苛立ちが湧き上がった。
 そんな俺の苛立ちを知ってか知らでか、好きなだけ笑ったランピーは、目尻に溜まった涙をぬぐいながら、息を吐く。
「はー、面白かったぁ。
 ……あ、そうだ。そんなことより、ラッセル見なかった? 探してるんだけど」
 さっきまであれだけ俺の腕について、たわ言を言っていたランピーだったが、コイツの中ではその話題はすでに終わったらしい。
「見てねぇよ」
 本当にただの冗談で、俺のちっぽけな尊厳を弄んだことに気付き、これ以上関わったら疲れると、ランピーの顔を見ずに答えた。
「ふぅん。じゃあね」
 ランピーも俺に対して興味を失ったらしく、別れの言葉をこぼすと、向こうへスタスタと歩き始めるのが見えた。それに倣って、俺も背を向けて歩き始める。
 ――ああ、なんか今日はどっと疲れた。噛んだ唇も痛ぇし、今日は早く寝て……。
「あ、ハンディ!」
 背後から呼びかけられる、間延びした声。声の主は嫌というほどわかっていたので、返事もせずに首だけ振り返った。
「自分のうで、大事にしなよ」
 最後にそれだけ言ったランピーは、ぱたぱたと忙しそうに駆け出し、どこかへ消えた。
 もうすでに腕がないことぐらい知っているくせに。……あの男は、本当によくわからない。
 歩きながら心身ともに疲れ始めた俺は、今日何度目かのため息をついた。

「今日は、鹿肉でも食うかな」
 夜に変わろうとしている空を見上げながら、そんなことをひとり呟いた。