はぐれないよう手をつないだ

結婚前夜の主人公とずっと傍にいたい凛月くん


まるでそれはベールのように、ふわりと私の頭にかけられた。実際のそれはホテルの白いシーツだったけれど、凛月くんがそうしてくれるのならば、本物じゃなくたって全く構わなかった。

明日、結婚する。
予約を取り押さえたチャペルは相場よりも価格の高い場所で、まるで魔法にかけられたように綺麗に飾り付けられた憧れの場所だった。お互いの家族と友人、新郎である私の旦那様の職場の人を招待し、祝福されながら迎える明日が、どうしても来て欲しくなかった。
私よりもいくらか年上だけど、お金持ちで、仕事熱心で、優しい彼。だけれど、好きじゃなかった。人間としてはいい人だし尊敬できるが、所詮は親の取りつけたお見合い――という名の九十九パーセント結婚することが決められた顔合わせをし、とんとん拍子で進んだので決まっただけの、家のための結婚。時代が時代なら、政略結婚とでも言うのだろうか。
育ててくれた親には感謝しているし、断れないのは分かっていた。だから承諾した。自分の気持ちには重く、二度と開かないように蓋をして。

「だからもう会えないよ」
「……勝手に決めないでくれる」

被せられたシーツに二人で隠れるようにして潜り込む。凛月くんの綺麗な瞳は涙で濡れてしまっていて、少し赤く腫れてしまっていた。目尻から頬にかけては涙が流れた跡が残っていて、私と会う少し前に電話でその事実を伝えた時にも泣いていたのだろうということは簡単に予想がついた。
アイドルを仕事にするほど綺麗な顔をした彼を泣かせてしまったことに、酷く申し訳ない気がした。そんなことを差し置いても、世界でいちばん愛おしい人だ。そんな顔させたくなかった。
全て「ごめんなさい」と結婚を断れなかった自分のせいなのだが。

「俺……なまえと離れたくないんだけど」

勝手に決めないでよ、と彼の大きいけれど華奢な手が伸びる。そのまま私のワンピースの胸元を掴んで、くしゃりと皺を作った。ごめん、とただ謝罪を述べることしか出来ない私と、また泣きじゃくる凛月くん。繁華街の外れにあるラブホテルにいる二人にしては、悲しげな雰囲気を醸し出していた。

「俺はね、あんたと結婚できなくたっていいよ」
「……うん」
「隣にいさせてさえくれれば。それだけで充分なのに……」

凛月くんから流れ出た涙が、彼のシャツに染みを作る。そういえば、涙は血液からヘモグロビンを取り除いたものなのだとどこかで見たことがある。貧血になっちゃわないのかなと全くこの場にそぐわない心配が脳内に浮かび、いや今はそれどころじゃないなとすぐに無駄な思考を捨てた。
そして、彼を抱き締める。強くきつく、もう離さないと言ってしまいたいくらいに。でも、私は口にできない。
あまりにも無責任だったのだ。お見合いが決まった時に「それでもいいから」と共にいることを望んだ凛月くんを無理にでも跳ね除けて、もっといい人がいるよって、そう言ってしまえばよかった。
それを言葉に出せなかったのは、紛れもなく、私が彼を愛してしまっていたからなのだ。離れる理由ができたって、離れないことを選んでしまった。

「凛月くん」
「なぁに、」
「だいすき。本当に、好き」

凛月くんの顔が歪む。

「今そんなこと言うなんて、なまえは本当に酷いね」

知ってるよ。酷いのなんて知ってる。でも本気で好きなんだ、愛しているんだとわかってほしかった。
眉を寄せた凛月くんの瞼を撫で、大粒の涙を掬う。泣かないで、とは言わなかった。幸せになって、とも言わなかった。
例え彼の傷になってしまったとしても、私のことを忘れないでいて欲しかった。ずっと、凛月くんの『好きな人』でいたかった。我ながら本当に酷いなと嘲笑する。

「このままここで、あんたの血を吸い付くして……殺しちゃえば、ずっと俺のものでいてくれるの?」
「凛月くんがそうしたいならいいよ」

くるりと視界が反転し、私の上に凛月くんが馬乗りになる。伸ばされた手は首にかかり、ゆるりと柔く力が込められた指先が巻き付く。
「好き」そう呟いた凛月くんは、そのまま首を絞めることなく、だらりと私の胸元に力なく倒れ込んだ。「できないよ」と漏れ出た声はしゃくりあげて聞き取るのが精一杯である。どうしてあげたらいいのか分からなくなって、目の前の髪でふわふわと遊ぶ。さらさらの黒髪。今日で最後だなんて思いたくない。

「俺、なまえのことが好きだから。死んでそばに居るんじゃなくて、笑ってるあんたの隣にいたいよ」

そのまま抱き締めてあげることしか出来ないでいると、背中に凛月くんの腕が回る。回された腕は無遠慮に力強くて、今にも潰されかねない勢いだった。
震えた声はいつもよりもか弱くて、消えてしまいそうだ。

「お願いだから、最後なんて言わないでよ」
「……ごめん」
「俺ちゃんといい子にするよ。言われたことも全部守る。気まぐれでもいいから……だから、死んでも隣に居させてよ」

少しだけ、体が離れる。それが寂しくて、彼の手を取って指を絡めた。きっと私は、断れない。本当は傍にいたいから、凛月くんのお願いを拒否することなんて出来ない。
そっと優しく落とされたキスを受け入れて、目を閉じる。このまま眠って、ずっと二人でいられたら、どれほどに幸せなのだろうか。





夢を見た。
隣に凛月くんが居る。白いタキシードは心配になるほどに血色のない肌とよく馴染んでいて、対照的な黒髪が映えている。私は真っ白でふわふわのレースがあしらわれたAラインのドレスを身にまとっている。

「なまえ、俺、本当に幸せだよ」
「私も幸せ! だいすき、凛月くん」

周囲には夢ノ咲時代の友人や彼のユニットのメンバーが囲っていて、それぞれが「おめでとう」と笑顔を送ってくれていた。凛月くんと私の手は、かたく繋がれたままだった。