学生時代から密かに思いを募らせていたなまえと、僕が卒業と同時に付き合えたのは今思えば夢みたいだった。しっかり者の彼女はちゃんと定職について、ちゃらんぽらんな僕はニートになって、それでも僕を好きだと、僕は僕のままで良いと、そう笑ってくれる彼女と過ごすこの空間に甘えて。毎日外へ出て働くなまえがこの空間を異常だと気づくのは時間の問題なんてこと、冷静に考えれば明らかだった。





今日も仕事を終えたなまえが身支度を終えて就寝の態勢に入る。近頃はめっぽう寒いから先に入ってベッドを温めといてあげたことを抜きにしても、背中合わせの2人にまとわりつく空気は生温く、ベッドに沈黙を連れてくる。もううんざりしてるのは、僕だって気付いてるよ。

「ねぇトド松」電気の消えた部屋にひんやりとした声が響く。「わたしたち、もう」背中合わせからとっくに振り向いていた僕は、そこまで聞いてなまえの肩をベットに押しつけた。そのまま黙って口をつける。リップも塗ってない唇は乾いてるけど、とりあえず今はこれでしのげればいい。





また僕によって機会を逃されたなまえは、慌ただしく朝に急かされる。「今日も遅くなるかも」「そっか、最近いそがしそーだね?」「ちょっと立て込んでて」実家に帰っててもいいよ、鍵はポストに入れといてくれればいいから、なんて、前は言わなかったじゃん。

いってらっしゃいと見送ったあとの部屋には冷蔵庫のいやな音だけが響いて、そろそろまずいなと直感的に思った。僕の感は、昔からよく当たる。



「もう終わりにしようか」

その日の夜、声に揺らぎは感じられなかった。意を決して顔を上げれば、あんなにも恋い焦がれた瞳には力がなくて、かろうじて映っている僕はもう過去でしかない。


「こっちこそ、今までありがとう」

あんなに幸せを感じた日々は確かにあったはずなのに、いつからか君は取り繕うようになったね。もう少し僕がばかで気付かなければよかったのに、見破ってしまった時点でこうなるのは目に見えてた。せめて、潔くきれいに終えよう。


「いっしょにいれて、本当に幸せだったよ」





何でもない顔を作って、いつもどおり駆け足で地下鉄に乗り込む。もうこの駅に降り立つこともないかな、こんなにも俯瞰で自分を見れる性格を少し呪ってみたりして。


きっとなまえの選択は間違ってない。いつだって正しいのは彼女だった。ほんとうに君を幸せにしてくれるやつはすぐ目の前に現れて、その役目は僕じゃないんだろう。



でも、今夜じゃなくてもいい、いつも2人で寝たあのベットで、ある日君が眠りにつくとき、僕の言葉を思い出せばいい。そして自分を責めて、途方に暮れて、切ない夢を見ればいい。僕が触れた身体を誰かの腕に抱かれてるとき、生乾きだった胸のかさぶたが剥がれて、桃色のケロイドに変わればいい。


平気な顔を浮かべながら、胸が疼くのはこっちの方だった。



乾いたkiss


( #Mr.Children より )




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