まるで、夏のきらきらした眩しい部分をぎゅっと詰め込んだような少年のようだとおもった。陽に透ける癖のある金色の髪もくりくりとしたまあるい瞳もからからとよく笑う口元も、全部夏の宝石のようなところに愛されたような男の子。
「なまえせんぱい、おれ」
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汗ばむ制服のスカートに目一杯風を吸い込ませて、自動ドアをくぐると、ひんやりとした冷気がじっとり纏わりつくうなじを心地よく冷やした。今日は大好きなバンドの新譜が発売するのである。
「すいませーん、予約したCDを引き取りにきたんですけど」
「はい、ただ今、って、なまえせんぱい?!」
「あ、サボくん…!」
振り返った店員さんは見知った顔。まあるい目をさらにまあるくして、何やらあたふたとするサボくんは、わたしの後輩である。後輩、といっても繋がりといえば、誰が好き好んでやるであろうか(とはいえわたしは好き好んでやっているのだけど)、委員会のうちのひとり、というくらいで、たぶん彼もじゃんけんやくじ引きで負けてしぶしぶ請け負ったのではないかとおもう。委員会はじめての日、真夏の向日葵のような笑顔で「よろしくお願いします!」と元気いっぱい挨拶してくれたことを覚えている。
「せんぱい、こういうの聞くんすね、意外」
「うん、すきなの」
「おれ、このバンドちょっとしか聴いたことないです」
新譜出たんすね、とCDを見つめながら、店のBGMや人の声の中でもはっきりととおる低い声が興味有りげに向けられる。
「よかったら、今度貸そうか?」
「え!!いいんすか!!」
よっしゃ!と小さくガッツポーズをするサボくんは、まるで人懐こい大型犬だった。くるくると変わってゆく表情に思わず吹き出すと、恥ずかしそうに慌てながら「絶対、貸してくださいね!絶対ですよ!」と念を押すようにレジを進めていく姿に、うんうんとうなづいて、袋を受け取って別れを告げる。レジを振り返ると、ぱちりと合う真っ直ぐな瞳。ちいさく手を振る彼の屈託の無い笑顔にくらりとする。どうやら、夏の日差しにあてられてしまったみたい。夏はまだ、はじまったばかりだ。
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せんぱい、せんぱい。サボくんがバイトしているCDショップで買い物をしてから、校内で会うたびに人懐こさをさらに前面に押し出して駆け寄ってくることがぐんと増えた。せんぱい、あのバンドのCD借りてみました。せんぱい、暑いですね。なんてでもないような会話が積み重なるたびに、夏の入道雲のようにもくもくと湧き上がるふわふわとした気持ちに気づかないわけもない。けれど、わたしはコットンキャンディーを溶かしたみたいな甘い海を、なんとなく独り占めなんてできないような気がして、ほんの片足だけそっと浸すだけ。
「なまえせんぱい!」
この気持ちが夏に浚われていかないように、日陰にそっと隠して振り返る。階段の上から光に溶け込みそうな金髪が肩を揺らして名前を呼ぶ。たった一言、名前を呼ぶだけで駆け抜ける風の温度が上がるよう。眩しくて、アイスクリームの心臓はあっという間に溶けちゃいそうだ。
「どうしたの?」
「せんぱいが階段降りてくの、見えたから」
ほんの少し、肩で息をしながらきらきらした瞳で君は言う。ああ、ずるいなあ。
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今しか見えないかもしれないものに目を背けたくなくて、もっと色んなものをしっかりと見ていたくて、前髪を短く切り揃えた。(予想外に短く、眉上までしっかりと切り過ぎてしまったのは誤算だけれど。)授業開始2分前、クーラーでキンキンに冷えた教室、締め切った窓の外からぶんぶんと手を振る男の子が見える。窓を開けようとしたら、先生が入ってきてしまったので控え目に手を振り返す。
「(…ん?)」
今から体育の授業であろうジャージ姿のサボくんが身振り手振りで何やら伝えようとしているらしい。ピースマークを額に、ちょきちょきと動かす、そして両手で大きな丸を作る。意味を理解して、慌てて教科書で顔を隠して大きく深呼吸をすると同時に予鈴が鳴る。校内に響く予鈴なんかよりもずっとおおきい自分の心臓の音。どんどん欲張りになってしまう、とおもうと同時にぐっと寂しさが込み上げた。わたしは3年、彼は2年だから、この季節は一度しかない。もう少しだけわたしの季節に一緒にいて。わたしのこと、この季節と一緒に忘れないでいて。短くした前髪では思いの外、さみしいこととか、たったの一年のおおきさとか、よく見えすぎてしまったみたいだ。
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3年生なのに、他学年の廊下を歩くのはすこし緊張した。
「(CD、喜んでくれるかなあ)」
聴き込んだあの新譜をはやく届けたくて小走りでサボくんのいる教室に向かう。あのくしゃりと悪戯っ子のようにはにかむ笑顔が簡単に脳裏に浮かぶ。サボくんのいる教室を覗き込むと、聞き覚えのある笑い声と黄色い声。いつもよくいるそばかすに癖っ毛の男の子と、くりくりの目をした女の子。よく笑う丸い目と、蜜柑色の髪がサボくんとあんまりにもお似合いで、親しげに話しているものだから、息継ぎの方法も分からなくなって、自分の心臓の音に眩暈がした。手を伸ばしても水面まで届かないような気がして、ずくずくと深海に引き摺られていく。たったの一枚のCDと廊下でのちょびっとの会話でなんとなく、近づけたような気でいたけれど、同じ学年の女の子の方が時間を共有するにはぴったりじゃないか。たったひとつの出来事で、気の抜けたサイダーのように萎んでしまうなんて弱虫にも程がある。夏のまぼろしにあてられて、勝手に期待なんてしたりして、ばかみたいだ。そばかすの男の子と不意に目が合ったような気がして、サボくんに気付かれる前に踵を返す。
ああ、やだなあ。
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8月最後の日を終えたらあっという間に秋を知らせる。夏がまるでまぼろしだったかのように、秋は焦燥感ではじまる。夏休み中は、当然のように会うこともなかったし、あの日からわたしは彼に会わないようにしていた。一歩引いて見てみると、彼は目立つ存在であったし女の子たちのうっとりするような視線を悉く奪っていた。高嶺の花だったんだなあと虚しいような恥ずかしいような気持ちに情けなさが溢れてしまいそうだった。夏の欠片のことを考えていると、足が鉛をつけたように重い。放課後、委員会で頼まれた道具を整理しに、準備室の扉を開ける。すこしだけ埃っぽいにおいに何故だか泣きたくなる。
「せんぱい!!」
まぼろしの君の声がする。ちがう、まぼろしなんかじゃない。ハッとして振り返ると、あまく溶け出す胸の痛みが蘇らせるのは、置いてけぼりだった夏の君。切ないような、ほっとしたような表情で、サボくんがこちらに歩み寄る。その長い足とまあるい瞳には、少年のように興味津々でいろんなことに向き合えるだけの無垢さがある。
「せんぱい、全っ然会わなくなったから」
「っ、ごめ、」
「なんで?」
なんで、と言われても言えるわけがない。君が好きですって、真正面から向き合うだけの真っ直ぐさもわたしにはない。何故なら自分が彼に釣り合っていない、とわかっているから、その現実だけで心がいっぱいいっぱいになって逃げ出したくなった。一から十まで拒絶して、左様ならと言われた方がマシだったかもしれない。それでもわかっていた、見たくない見たくないと駄々をこねていても知らんぷりをしていても、瞼の裏側に焼きつくのは彼のあたたかな光のような笑顔だったということ。一歩近づくたびに、一歩後ずさりして、とうとう右手が絡まる。
「せんぱい、にげないで」
お願い。やたらと震えていた右手はまったくもって解くことができなかった。震えていたのはわたしかもしれないし、君かもしれない。それと同時に思い知ってしまった、なめらかにとおる声が、少年のようとは言えないそのおおきな手のひらが、恍惚と日常はわたしにとって同意義だったということ。
「なまえせんぱいがかなしそうで、でもなかなか会えなくて、」
「うん、」
「おれ、なんかしましたか、おれのせいですか」
「……サボくんは、すきなひとがいる?」
ハッとしたような、バツの悪そうな、そんな顔をしているなあと気付いて、しまった、とおもった。蜜柑色した髪の女の子が脳内にフラッシュバックして、やっぱりお似合いだなあなんて。深海から幾ら夏のきらきらしたところに手を伸ばそうとも届かないことだってある。
「せんぱい、もしかして、」
「…蜜柑色の髪の、可愛い女の子とお似合いだったね」
「あのとき、エースが言ってたの、やっぱり…なまえせんぱい、本当にそうおもってる?」
「え、」
まるで、夏のきらきらした眩しい部分をぎゅっと詰め込んだような少年のようだとおもった。陽に透ける癖のある金色の髪もくりくりとしたまあるい瞳もからからとよく笑う口元も、全部夏の宝石のようなところに愛されたような男の子。困ったように、くしゃっと眉毛を下げて笑う、掴んだ右手は離さないまま。
「なまえせんぱい、おれ」
世界が息をするのをやめたような気がした。
「なまえせんぱい、おれ、なまえせんぱいが好きです」
「……えっ」
「せんぱい、一回教室に来てくれたことあったでしょ?エースがせんぱいを見たって言ってて、なんだか変な胸騒ぎがして、エースにもコアラにもさっさと気持ち伝えないからだって怒られて」
「それって」
「もし、もし、おれの勘違いじゃなかったら、それって、すっげェうれしい、せんぱいは嫌なおもいしたかもしれねェけど」
君の頬を染めたのは、間延びした秋の夕暮れかそれとも夏の面影か。
「えええええ?!」
「驚くの、遅いですよ!!おれ、せんぱいが居たから委員会だって入ったし、バイト先にせんぱいがたまったま来た時も運命なんじゃねェか、ってめちゃくちゃうれしかったし、前髪切った時だってすっげェ可愛くて、それに、一目惚れだし……それで、せんぱい」
はにかむような視線が交わって、心臓が熱にやられたアイスクリームみたいにとろけだす。夏に逆戻りしてしまったみたいだ。CDなんて何枚だって貸してあげるし、君と見たいものがたくさんあるよ。
「わたしも、すき」
言うか言わないかくらいで、ぎゅっと抱きすくめられる。ふたりの心臓が愛を告げる音がする。
( 君がいる夏が最も美しいのだ / 171121 )
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