薄暗く鈍色に光る黒の教団にも雨が降る。叩きつけるようなバケツをひっくり返したようなそんな豪雨、テラスにラビが立っていた。手すりに叩きつけられた冷たい雨水が跳ね返って、ラビを濡らしている。儚げなまま何を思うのか、声を掛けないわけにもいかないので、立ち尽くしたままの儚い背中を招くようにして腕をひいた。振り返ったラビの少し癖のある、けれどさらさらの髪が横なぶりの雨に打たれ、ぺしゃんと湿っている。腕をひいてもただひとつ、笑みを零すだけの呑気さを持ち合わせた儚げな表情の裏側はわからないまま。
「ラビ、風邪ひくよ」
タオルを差し出そうとするけど、ふわりと笑って「少し、疲れたさ」、そう言いながらベッドに溶け込むように倒れたラビがわたしに手招きをしている。どうしたのだろうと歩めば、そのままわたしの腕を掴み、小さな声が聞こえた。
「傍にいて、なまえ」
ラビの頭にタオルを掛けて壊れ物を扱うようにやさしく、なるべくやさしく頭を拭く。わたしの肯定の返事のつもりだった。ラビはさながら飴細工のように美しく繊細で、弱かった。少なくともひとりで過ごすにしては広いこの部屋にふたりでいる時のラビは酷く不安定で脆い。簡単に零れてしまいそうだった。わたしの腕をそのままひいてベッドに腰掛ければ、ラビがわたしの膝に頭を乗せた。そのまま拭き続けていると少しだけ、ラビの頭が動いて、規則正しい息が聞こえる。眠ってしまったんだろう。白い肌は眠っている時のラビをさらに美しいものに変えた。この世のものでないみたい。このまま尾ひれを生やして夜の海に泳いでいってしまいそうだ。そうなれば、足しかないわたしは追いかけられない。するりと指の間を抜けていってしまうんだろう。透明な鱗だけを残して。美しさの中にどこか悲しげな睫毛を持つ彼に、わたしはいつでも幸せを願わずにはいられないのである。細い上等な絹のような髪を手で梳く。いつもは辛気臭いことを考えてしまう夜も寝息を立てるラビごと愛してしまえそうだった。
★
わたしが次に記憶を取り戻した時には、ラビと共にベッドに体を預けていて、ああ自分に与えられた部屋ではないなと気付いた。投げ出された腕を持ち上げて、さらさらと落ちるラビの髪を梳いた。ぱちりとラビの瞼が開く。そのまま、す、とわたしに体を寄せたラビがエメラルドのような目を少しだけ細めた。昨日の夜のような弱さは、その色からは伺えなかった。朝になれば、大抵ラビは弱さを隠して飲み込んだ。任務の後では特にそうだった。何も無かったように笑う。わたしの頬に触れる指が氷のように冷たい。そうやってラビは弱さを隠しているのだ。
「…おはよう、ラビ」
「おはようさん、なまえ」
少しだけぼんやりと微睡むわたしの世界は幻想的で曖昧だった。それでもラビの声を聞けば脳が理解する。これも現実だと。わたしの世界の境界線はいつだって貴方だ。
「今日は会議があるよ。今から朝ご飯、持ってこようか?」
「ありがとう。…だけど、もう少しこのままがいいさ」
お願い。そのままわたしを抱きしめたラビが首もとに顔をうずめた。弱さが隠しきれない時、ラビは朝になってもわたしの体温を求めた。わたしたちの関係は男女の中では異色だとよく言われる。夜を一緒に過ごすことがあり、同じベッドで眠ることもある。それでもわたしたちはキスもしなければセックスもしない。恋人でも性欲処理でもなく、わたしたちは黒の教団に所属するブックマンといちエクソシストだった。普通なら襲ってるぜ?前にリーバー班長に言われたことがある。けれどただわたしは時折溢れるラビの不安定な夜を受け止めるだけ。瞳の奥にある悲しみを受け止める。ラビの傍にいたいと思うこの感情が愛なのだとしても、わたしを必要としてくれるなら、それで良かった。幸せだった。ラビの幸せの為なら体温だって惜しくはない。いつだってわたしはラビの幸せを願わずにはいられないのだ。
「あーなまえ、お腹が空いたさ」
「用意してくるね」
黒の教団には食堂があるが、可愛がってくれているジェリーさんに特別入ることを許可してもらっている。弱くなった夜を越えると心の隙間を埋めるように、手料理を希望する。食堂へ行こうと体をゆっくり起こす。こんな寒い日にはあたたかいスープが必要だろう。ぽんぽんとラビの手のひらがわたしの頭を撫でた。あたたかい血の通った手のひら、ラビはガラス細工や飴細工のように冷たい人形なんかではないことに、どこか安心しているわたしがいた。
「スープ、クリームのやつがいいさ」
ラビの言葉はわたしにいつもひとつ、何かあたたかいものを置いていく。美しい言葉でもないのだけれど薄い唇から紡がれるなんでもない言葉に、どうしようもなく美しさを感じる。それはいつだって聞いたことのある馴染み深い言葉であるにも関わらず些細なものである。例えば、チーズは焦げ目を付けてね、だとかミルクはあっためてほしい、ベーコンは薄くスライスして大盛りね、だとか。わたし、食料を薄くスライスする作業は少し苦手なんだけどな。
★
ラビの過ごす部屋や本部で与えられた部屋はいつもあまい香りがした。気どってはいないのだけれど、気品はある、自己主張しすぎないその香りがすきだ。そこで任務や書庫にいる時以外の大抵を過ごしているラビはその部屋と同じ香りがする。それはわたしがラビに出会った時から変わることは無かった。変わったことといえば、その表情はあどけなさが抜け、男らしくなったことくらい。部屋はやはり使えば色褪せてゆくものだが、わたしの中にある記憶は色褪せてゆくどころか更に鮮明に美しく刻まれていくのである。
「ひ、!」
ラビの部屋に共同で取り組んでいる現在の潜入捜査の書類を渡しにきた時だった。資料を持ったままのわたしは足から根が生えたように固まってしまった。虫だ。それも、おっきな蜘蛛。何食わぬ顔でわたしを見るラビに半ば震える唇で伝えたわたしの言葉は酷く頼りなく不甲斐ない。
「ラビ!」
「どうかしたさー?」
「く、蜘蛛!」
「放っておけばいいんさ」
ラビが「放っておけばいい」と言うのであればそうする他ないのだが、怖いものは怖いのである。虫は苦手だ。そしてあろうことかヤツはもぞもぞと扉の前に移動してしまったのだ。これでは出られないではないか。後退りをしていけばトンっとラビの肩にぶつかる。
「やや、やっつけてラビ!」
「そんなに?」
「でも、む、むり、!」
「あ、肩」
「ひゃああ!」
ラビに飛び付く勢いで、その逞しくも細い腕を握りしめた。しばらくの沈黙の後、ぎゅっとつむった瞼を片方だけ持ち上げることにする。肩は相変わらず軽いままだ。…蜘蛛、いない。その瞬間、ラビが肩を揺らして笑う。
「そんなにダメなんさ、蜘蛛?」
「ダメなものはダメ!…ラビのばか」
「はは、ごめんごめん。あ、蜘蛛」
「!!」
今度は、ほんとうらしく扉の前にもぞもぞと蜘蛛がうごめいていた。ラビが扉を開けてやれば、蜘蛛が外へ走り出していった。安堵のため息を吐けば、安心感からかへにゃりと座り込んでしまった。それを見たラビが笑いながらわたしの肩を抱き、そのまま両の腕でわたしを包み込む。からかってごめんさ?と耳元でラビの声がする。ふるふると左右に首を振るだけのわたしは声を出すことを忘れてしまったような、そんな風だったと思う。ラビの零した息ひとつがわたしをここまで安心させてくれる。肩に押し付けた頭をやさしくやさしく撫でてくれるラビからはあのあまい香りがした。
★
任務とは言っても、AKUMAを倒すことだけが仕事ではない。イノセンスの適合者を探すこと、怪しい施設や場所に潜入捜査、情報収集をすることなどがある。今日は情報も十分に集まり、あとはコムイ室長に渡せば良いだけと任務は順風満帆だった。その森は地盤が緩くラビでさえ足をとられることがあるような場所だ。何の会話もなくただ静かな時間を歩いている。出口はもうすぐそこだ。
「、!」
「ラビっ!!」
地盤が相当緩んでいたのだろう。ちょうど落とし穴のようになっている底も見えないような場所にラビが落ちた。その時わたしはラビを助けなくちゃという気持ちに衝動的に突き動かされてただひたすらラビの腕を掴んでいた。驚きに驚いたようなラビの目には泣きそうになるわたしが映り込んでいる。不甲斐ない。ラビの驚きの理由をわたしは知っている。黒の教団というのはそういう場所ではないからだ。そういう組織ではないということは、利益にならない助けは行わないことも時にはある、ということ。もし、別の人だったりルベリエ長官のような人であれば、本来ならサンプルを持っているわたしはラビを見捨ててしまうの当たり前、ということもある。わたしが少なくとも人間であるならば、様々な感情を持ち合わせているならば、わたしはただラビを助けたいと思った。突き動かしているのが尊敬や使命や敬愛や愛情の入り混じった何か複雑なものであるのはわかった。やはりわたしは黒の教団の中では異色だ。
「どうして、手を、」
いつもの声より少しだけかすれていたと思う。覚悟していた死が揺らいだような、そんな声だった。“どうして手を掴んだの”。きっとラビはそう言いたいはずだ。わからない。理由を問われたって、どんな言葉も見合わない気がしたから返事がなかなか出来なかった。けれどひとつだけわかる。ラビの腕をきつく握り締めていたわたしはラビがいなくなればきっと。
「生きてて、欲しかったから」
★
AKUMAを相手にする任務の成功は絶対、失敗は大抵死を意味する。
「そろそろ行こう、ラビ」
見たことのない街中の石畳の大通り。街中の人混みの中での任務はどちらかといえば珍しいことだ。履き慣れたショートブーツをきちんと履き直してラビを見上げたら、どこかからファンファーレが聞こえた。お祭りでもあるのだろう。家から家の間を渡すように掛けられたロープにはカラフルな旗やリボンが歌うようになびいて見下ろしていたし、どこからかいいにおいもした。人混みを縫うようにわたしたちは緩やかに波に逆らう。小さな子どもがわたしの顔を見上げていた。険しい表情をしていたのかもしれない。だから、にっこりと笑って横を通り過ぎていくの。わたしはまだ、人間だ。時折ある、わたしが人間ではないような、どこか不思議な感覚になる時が。元よりイノセンスに捧げたような体ではあるけれど。感情と心臓、生と死、敵と味方。例えば感情があっても“人でなし”と言われたりもするのだから、全てがぐちゃぐちゃになって人間が何なのか、わからなくなる時がある。傾く空が淡い菫色に染まってゆく。この空に溶け込む日は来るのだろうかと思った時、腕を引き止める強い力を感じて振り返った。そこには昼間に見せることのない菫色には溶け込むことのなかった脆い白がわたしを射抜いていた。
「ラ、ビ?」
いつの間にかラビより二歩程前を歩いていたらしい。そのまま世界を動かす大きな針が止まってしまったかのようにわたしたちは動くことがない。時折、ぶつかる人々が不思議そうに振り返ることも気にしないで、瞬きを繰り返した。ただ美しい溶けることのない透明な恍惚。やっと開いた唇は消えゆきそうで、昼間の飄々としたラビからは想像もつかない。
「なまえが、どこかへ消えていってしまいそうで、」
泣くことを知らない子どものようだと思った。今現在この腕に触れ、しっかりと向き合えばわたしが初めてラビと出会った時から背負っていた存在していたのかもしれない目に見えない何かを形にしてしまうだろう。もう戻れなくなる。だからわたしは笑う。石畳にそっと目をやる。たくさんのブーツやスニーカーなどの靴や足音たちがわたしたちの周りを流れる。皆歩みを止めることはない。後ろ向きに歩いているひとなんていない。皆歩み続けている。
「おかしなラビ。わたしはいなくなったりしないよ」
あまり好きなことではないのだけれど、仕事柄、嘘笑いや感情を作ることは簡単だった。けれど今、わたしは上手く笑えているのか不安だった。笑って見えなくなるものもあるらしい。ラビが唇を噛んだことも知らないふりをしたわたしは簡単に闇に溶け込めそうなほどつまらない人間だった。それにしても、急にこんなことを言ったりなんかして、おかしなラビ。人混みに上手に流れていくだけの器用さも、ラビを傍で支えるだけの十分な強さも、わたしは持ち合わせていないというのに。人々の笑い声は耳から通り抜けていく。今は、いち早く任務をこなすべきだと空に輝き始めた星に言い聞かせた。
★
「前から思ってたんだけど」
「え?」
「その指輪、何なんさ?」
ああ外すのを忘れていたな、と左手の薬指を縛る指輪に目をやる。現在潜入捜査を行っているとある施設の職員から贈られたものである。昼間は週に何度かは、怪しいとされているとある施設の研究員として働きながら情報、極秘資料、研究結果などをデータコピーし送る。容易いことだ。上手く溶け込む為にはカメレオンのようにその環境に慣れる必要がある。当然の如く周りの人間との馴れ合いも必要となるのだが、ある男がわたしに交際を求めてきたのだ。「結婚を前提にお付き合いしてほしい」。そう言われはめられた指輪は淡い輝きを放っていた。その指輪をわたしに渡した男は、気も優しく誰にでも分け隔てなく接することの出来るひとで、わたしの立場から言うのも何だがわたしなんかには勿体ないような、そんな男である。家庭を持てば家族を愛すし、子が産まれれば子を守り共に生きる。きっと不満もなければ不幸もない人生を歩めるだろう。きっと一緒になれば、彼がそうしてくれたようにわたしも彼を愛するだろう。諜報員としてこんなことを言うのは失格なのだろうが、話をしていて楽しいと感じることもある。きっと黒の教団としての人生を歩むよりも、この男と共に生きることの方が、幸せになれるのではないだろうかとふと感じた。しかし実行することは出来なかった。一瞬で手に入れられる幸せを目の前にしてなおわたしには数十年来の忠誠心にも似た愛慕が、どうしても邪魔をする。息をするだけで詰まるような苦しみと幸せ。どうしても不幸せに似たものを孕むこの息に幾度と涙を飲む。
「外して」
「わかったから、待っ、」
「早く!」
ラビが怒っているのがわかって慌てて指輪を外そうとするが、慌てれば慌てるほどわたしの指から離れない指輪が恨めしい。資料整理をしていたラビが立ち上がってこちらに向かってくるのが視界の端に見えた。突如強い力で腕を掴まれ背中ごと壁に押し付けられ、悲鳴になりきらない息が喉で鳴った。振りかぶった手が見える。打たれる。そう思った時にはぎゅ、と目をつむり覚悟を決めたが、その拳はわたしの顔の横で虚しく叩きつけられた。恐る恐る開いた瞳には、泣きそうな顔をしたラビがわたしを見ていた。
「こんなにも、こんなにも、傍になまえがいることが幸せなのに、身近になまえがいて同じ息をして幸せを感じてんのに、どうして俺は不幸せを感じなきゃいけないんさ、」
どんどん世界が遠ざかってゆく。無機質に白黒になる鼓膜にラビの声だけが透明に響いていた。どんな人混みであろうとどんな遠くに貴方がいようと、わたしはいつだって貴方の行く道を追い掛けた。貴方の背中ばかりを追う。
「俺、自分が黒の教団にいて良かったのか感じる時がある」
数十年間、この想いを患っていたのだろうか。
「繰り返される殺戮や血に慣れた自分で、なまえと共に生き、手を握ることが怖い。繰り返す度に自分じゃない誰かが俺の中にいて、なまえに体温を貰う度に、ああ俺ってちゃんとまだ人間やってんだって安心する。なまえに仕方ない程に会いたいと感じる想いを抱きながら会うのを躊躇い恐れる」
ああ、ラビもわたしと同じ気持ちを抱いているのだろうか。ぎりぎりと締め付けられるような胸と腕の痛み。ラビも同じように感じているのだ。幸せの形が見えたり見えなかったりするように、不幸せだって見えたり見えなかったりもする。殺人犯だってある時代では英雄である。物事を様々な方向から見ることの難しさを知る。それでもラビがわたしと同じ気持ちを抱いているならば。もう戻れなくとも、越えてもいいのだろうか。
「本当はさ、俺だけがなまえの手をとり、連れ去っちゃいたい。でも俺たちは運命や黒の教団という大きな城から逃れることができない。それ以外の場所を知らないから。俺はじじいと今までやってきたようにこのままここに溶け込んで生きられる。けれどこのままそばにいたら、なまえを不幸せにしてしまう、閉じ込めてしまいそうで、怖いんさ」
黒の教団やこの世界に存在することを拒否するわけではない。存在があるということは幸せなことで、ラビと生きられるならばどんな場所だって後悔はしない。ただ、わたしの存在がラビを苦しめている。
「このままそこの研究員として存在する方が、なまえにとって幸せなんじゃないかって、負けたなあって思うんさ。おれの知らないその男と生きることがさ。虫を退治するのも、体温を分かち合うのも、手を引くのも、街中のファンファーレを聞くのも、俺じゃない。俺じゃなくなる」
「そん、な」
いつの間にか空が薄く色付き、暗闇に包まれようとしていた。二人だけがいつも世界に残されている。デスクの灯りがゆらゆらとして、それすらも厭うようにラビが目を伏せた姿があまりにも悲しそうで泣きたくなった。わたしたちは逃げ出したくとも逃げ場を知らなかった。時が経てば経つほど苦しみは大きくなるし、一緒に生きたくて仕方ないのに互いに伝える術も知らず傷つけてしまう。わたしたちは相容れないわけでもないのに、決して手の届かない距離にいるわけでもないのに、それでも伝えることが出来ない針鼠のようだった。ラビはそのまま手を離し、だらりと骨を失ったように垂らす。繋げない指がもどかしかった。
★
ラビが隣にいない朝は久しぶりだった。最近は大抵ラビの部屋でラビの傍で夜を過ごしていたからである。自室で過ごした夜、部屋はひとりぶんのスペースがあるにもかかわらず、とても広く感じた。暖かさは自分の体温だけで、体を起こせばそれも霧散するように消えてしまう。虚しい。私情は任務に挟むなと言われていた為にわたしは重い足取りでラビの部屋に向かって歩き出す。ラビの部屋の扉をノックする。返答はない。
「なまえ?ラビはいないよ」
「え?」
「長期の任務みたいで、今朝早朝にブックマンやエクソシストと旅立ったよ。何やらデカい任務みたいだが…なまえは同行ではなかったんだな?」
「え、あ、そう、なんだ。ありがとう」
「珍しい、ラビの横にはいつもなまえがいるからさ。じゃ、また」
科学班のひとりに教えられて知った事実が、直球でわたしの胸に刺さった。わたしはその任務を聞いたこともなければ知らされてもいなかった。長期任務であるならいつもわたしが同行、もしくは知らされるのが任務での旨である。繋がるのは、1ピース足りないパズルのような、掛け違えたボタンのような違和感。そして気付く。わたしはまた、ラビに守られてしまった。自室に戻れば、抑えていた感情が溢れそうになる。しばらく会えないことがとてつもなく寂しい。短くて三週間から一ヶ月、長くてそれ以上だろう。ベッドに飛び込めばほんの少しだけあまいあの香りがして無性に泣きたくなった。
「ラ、ビ」
お互いが伝えようとすればするほど絡まって言葉を、想いを見失う。ひとつだけ分かるのはわたしたちのお互いの気持ちを知ってしまったからこそ、もう戻れないこと。わたしたちはもう戻れない所まで来てしまった。笑い合えた過去はどんなに不格好であろうときらきらと輝いていたのだ。なんてことのないありふれた思い出を抱き、涙と一緒に飲み込む。これから待っている人生も、わたしはこの美しい思い出と同じ場所で違う方を向いて生き続けていく。貴方との未来との決別だった。それでもわたしは昨日までの日々が永遠であることを微かなラビの香りの中で信じていたのである。
(脊椎が群青のきみを知るまで 170311)
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