幼なじみがいる。漫画の中から飛び出してきたかのような輝く冠をかぶった王子様のようでもなく、恋に破れた時に角砂糖のような甘ったるい言葉でなぐさめてくれるわけでもない、幼なじみ。高校生の頃は、「教科書忘れちゃったから貸して」と言えば「おう」と差し出してくれたし、たまたま帰路が同じだったから何を話すわけでもなかったけれど一緒に帰ったりもするような、特別仲が良いわけでもなく、かと言って意識をして色恋沙汰に巻き込まれて誤解されるようなこともなかった。昔から、なんとなく隣には居た、けれど何もしない、何をするわけでもない。全てがちゃんと行儀よく揃っているけれど、何もなかったふたり。彼の幼なじみは、わたしにとって居心地がよかった。

制服を脱ぎ捨てて、いつの間にやら大学生。やっぱりふたりの関係は何も変わることがなかったけれど、シカマルの方には少し変わったことがあった。高校生の頃は、サスケくんとかサイくんとか、格好よくて目立つ男の子の陰に隠れていたシカマルの格好よさに気付き始める女の子がたくさん増えたこと。洋服はシンプルだけどいつもきちんと着こなしていたし、ぶっきらぼうながら時折見せる気遣いにも女の子は心臓を高鳴らせ、睫毛を長く伸ばした目をきらきらとさせているのにも気づいていた。(校内で睫毛を長くして髪の毛をふわふわに巻いた眩い女の子たちに言い寄られていることも。)いつも困ったような顔をする癖に、その女の子たちのきらきらとした部分を傷つけないような言葉を選んでいることも知っていた。普通だと思っていた幼なじみはいつの間にやら、男のひとに近づいていて、何だか少し、ほんとうに少しだけ寂しくなったような気がした。





「…あっ」
「……おーす」


時折やってくる強烈な悲しみが回帰するようなときがある。逃げても逃げても背中をちくりちくりと刺す時計の針に追い掛けまわされて泣き出したくなる。時間にも自分のダメなところも嘲笑われるような感覚。大学の食堂では知らないひとにぶつかり水を盛大にかぶってしまったし、バイトをしている本屋さんでは整理中の本にぶつかり倒してしまったりと散々な一日だった。不運続きのラストを飾るのは自転車のパンク。何だかもう泣きたくなってしまって、全てが下向きになってしまいそうな夕暮れ、駅でバッタリ会ったのは、幼なじみである。


「バイト終わりか」
「……うん」
「あー、一緒に帰っか、送ってく」
「ん」
「つーか自転車パンクしてんじゃねえか…引いてってやるよ」


無愛想な目に宿る気遣い、ぶっきらぼうな口調の裏側にある優しさ。シカマルのそういうところに救われたこともあったし、大学の女の子たちも好意の眼差しを向けて、気づいてって目を向けているの、シカマルはきっと気づいている。可愛い女の子たちの視線や時にはグイグイくる姿勢を困ったような顔をして上手いことかわして、面倒くさいのなんか大嫌いなくせに、わたしがひとりでいる時には何だかタイミングよくいつもこうやって助けてくれたりするものだから、だから、わたし、安心してたのかも。高校生の頃、特に目立たなかったのにどんどん輝いていくから、勝手に寂しくなって勝手に置いてけぼりになったような気がして、ああもう、わたしはシカマルにどうして欲しいんだろう。喉の奥にあるもやもやが重たい。


「面倒くせーこと考えてんだろ」
「!!」
「アホ」


眉間にぎゅっとシワを寄せて笑うシカマルがわたしの頭をぐしゃっと撫でる。すとんと喉の奥から心臓に真っ逆さま、何かが落ちたような気がして、どうやらシカマルはいつの間にか女の子の痛みやシカマルのいう"面倒くせーこと"もうまいこと扱える男のひとになってしまったらしい。ちょっと遠くにいる気がした。何も変わらなかったのに、寂しくなったりもやもやしたり、わたし、どうしちゃったんだろう。わかんない。





「明日どうすんだよ」
「えっ、うーん…歩いていこうかなあ」
「ふうん」


結局、渇いた声を上げる重たい自転車と共に家まで送り届けてくれたシカマルは(とは言ってもシカマルの家はお向かいさんなのだけど)すごく逞しく見えた。身長だってわたしよりずっと高い。


「あ、これ」
「なあに?」


ホラ、と携帯の画面を見せる。そこにはシカクおじさんからのメッセージ。我が家の両親とシカマルの両親らとても仲が良く、どうやら4人で飲みに行く模様。だからふたりでご飯食べとけよ、という内容だった。シカマルの家にご飯が用意してあるらしいので食べてきてねという両親からのメッセージもいつの間にかわたしの携帯に届いていた。


「俺んち来る?」
「…お願いします」





何だか久しぶりにお邪魔する、ような気がする。物理的も精神的にも。自転車を置いて、お向かいのシカマルの家に移動する。シカマルの家にお邪魔したい女の子なんて星の数ほどいるのに、わたしは簡単にお邪魔できる。決して女の子だからというわけじゃない、幼なじみだから。


「(、あれ)」
「なにぼーっとしてんだ、早く入れよ」
「う、うん!お邪魔します」


暮れかけた空には淡く一番星が輝き始めている。ほんのりときらめくそれと、胸の奥に落ちた何かが重なったような気がして、ご飯を準備してくれているシカマルの横顔から慌てて顔をそらした。先ほど感じた胸の奥の奥からちらちらと顔を出すも感情に気づかないふり。寂しくなったり、置いてけぼりを感じている心の正体に気づかない、気づきたくなんてない。


「なまえ、メシ」
「ん、ありがとう」
「なあ」


勝手にもやもやしたりなんかして、卑屈になったりして、黙って背中を見つめるばかりのわたしが、わたしを見下ろすシカマルのまっすぐな視線に耐えられるわけもない。


「何泣きそうになってんだよ」


そうやって、気づいてくれるから。


「シカマルは、おとなになったね」


わたしはこどものままだ。気づいてほしくて下手くそな意地悪を投げかけて、おとなのずるさを携えた、おとなになりきれないこどもだ。


「……」
「……」
「……」
「…シカマル」
「おれが考えてること、言ってやろうか」


黄昏の橙に染まる部屋で短い眉が小さく眉間に皺を寄せたのがわかる。鋭い眼差しの奥に、ひとつ芯を貫き通すような強さがわたしの弱いところを射抜く。じくじくと目の奥で熱くなっていたものが溢れそうになるのをこらえる。


「少なくとも、俺はお前より大人だよ」
「……」
「それに俺、男だし」
「、シカマル」
「…お前だけじゃねーよ、アホ」


幼い頃と同じだけの距離に声がすぐそばにあること、気づいちゃいけないんだと思っていたのに。幼なじみの肩書きよりも、女の子として見てほしいんだって、ずっと心の隙間から顔を覗かせていた感情が、目の奥に在る一番星と一緒に溢れてスカートにひとつ染みを作った。


「お前が好きだよ」


どんだけ我慢させんだよ、と呆れたように、けれどふんわりと包み込むようなシカマルの言葉とおんなじくらいに腕が伸びて、簡単にすっぽりと収まってしまう。同じくらいの体温を分け合うように、すこしだけシカマルのTシャツの端っこを握った。ぽんぽんと優しく背中をたたく心地よいリズムとばかになってしまったような心臓の音がただただ心地よい。


「…メシにすっか」
「うん!」


映画の中のようなキラキラした王子様でもない、とびきり特別なモテる女の子でもない、話にするとしたらひっそり裏表紙にいるようななんでもないふたり。けど、それでいい、それがいい。


「メシ食ったら覚悟しとけよ」
「え?!」


でもどうやら、彼の方がすこしだけ大人で、男のひとらしい。

明日の朝は、パンクした自転車には留守番してもらって、ふたりで手なんか繋いだりして、わたしが目を背けていた時間だって勝手に感じていた距離だって、ぜーんぶ受け止めて時間を進めていくんだ。いつだって隣にいたじゃないか、シカマルは。頭のてっぺんから爪の先まで甘くとろけるような感情で満たされていく、わたし、女の子。


( 優しさに溶けて揺れて君に成る / 171116 )



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