Act,4




「鋭ちゃん」


しん、と静まり返るチャペルに名前の凛と澄んだ、けれどとても柔らかくて甘い声がたおやかに響く。名前の声に合わせて、窓から差し込む木漏れ日がまるでふたりを祝福するシャワーのようにウェディングドレスの細やかな刺繍に降り注いだ。ヴェールの擦れる音がチャペルに響く。一歩一歩鋭児郎の元へ進む確かなその音に、緊張と期待に胸を高鳴らせて胸に手を当てて息をひとつ吐いた。




「え?!ウェディングドレスは一緒に選びたくない?!」
「ちょ、ちょっと、鋭ちゃん声おっきいよ…!というか、選びたくないわけじゃないの!」
「じ、じゃあ、なんでだ?」


数ヶ月前のことである。ドレスの試着のために訪れた貸し衣装屋に鋭児郎の明らかにショックを受けた声が響いた。鋭児郎は、男性にしては珍しく、結婚式にとても協力的であったし、打ち合わせから小物の用意、招待状の宛名描きにも文句のひとつも言わずに取り組んでいた。そして今日訪れている衣装合わせも、それはそれは楽しみにしていたからである。それが、突然、愛おしくて仕方ない妻になる人から、「ウェディングドレスは、ひとりで選びたい」と言われてしまったものだから、眉も肩も下げてシュンと落ち込む。あまりのガッカリっぷりにプランナーも思わず吹き出してしまうほど。妻になる名前も、鋭児郎の顔を覗き込んで苦笑をこぼす。勿論、嫌なわけではない。これほど愛してくれるひとは世界中どこを探してもいないのだから。それと同じくらいに自分も彼を愛している。


「鋭ちゃん、言い方が悪かったね。ウェディングドレスのことなんだけど、結婚式まで鋭ちゃんには秘密にしておきたくて」
「!!」
「結婚式の当日ね、綺麗な姿を一番に見て欲しいんだ。だから、それまで秘密!」
「…そういうことか!じゃあ、俺楽しみに待ってるよ!」


結婚式当日、ウェディングドレス姿に着替えて一番はじめに鋭児郎に見て欲しい。一生に一度しかないのだ。ふたりの間に何かひとつでも残る演出を考えた末に出した答えが、ファーストミートである。結婚式が始まる前に、ふたりきりのチャペルではじめてお互いの姿を見ることを想像した鋭児郎も名前も頬が緩みきって同じ顔をしていた。


「やべー、俺泣くかも」
「挙式の前に大泣きしちゃいそうだね」
「すでにちょっとキテる」
「はやいなあ」


そう言いながら、ふたりでお色直しのカラードレスをじっくり見て回る。ああでもない、こうでもないと言い合いながら名前は鋭児郎の横顔をそっと盗み見る。わんぱくな子どものような顔立ちに大きな瞳、大きく口を開けて笑うところが大好きで、この人との結婚を決めたのである。鋭児郎は名前の最初で最後の恋人であったし、鋭児郎にとっても同じだった。結婚を決めた、というよりは結婚をしない理由がなかった。


「名前さん、そろそろウェディングドレス見ましょうか」
「はい!じゃあ、鋭ちゃんいってくるね。外で待っててもいいよ」
「おう!じゃあ前のファミレスで待ってっから!」


ガラス張りの大きな扉を抜けて、鋭児郎はひとつ伸びをした。まだ風は冷たさを残しているが、ほのかに香る青さが春の訪れを告げている。結婚式を挙げる頃にはきっと樹々は葉を生い茂らせているのだろう。ショーウィンドウには、タキシードとカラードレスを着たマネキンが澄まして立っている。その姿を自分と名前に重ね合わす。鋭児郎から贔屓目に見ても、名前はやっぱり可愛い。気取らない歯を出して笑う笑い方、仔犬のように柔らかい髪の毛、くるくると変わる表情、鈴を転がすような声、ヒーローとして人々を思う慈しみ深いところ、こんな自分を直球に好いてくれるところ。挙げだしたらキリがない程に、鋭児郎は名前にベタ惚れであった。どこが好き?と聞かれたら一言では答えられない、根本から惹かれ合う大切な部分を付き合いたての頃から忘れたことなど一度もなかった。名前を待つ間にも、何組かのカップルとすれ違うと、「ああやっぱり名前に会いてェな」と右手が求める。ファミレスの窓際の席を選んで待つのは、名前の姿がすぐに見つけられるようにだ。扉をくぐり抜けてぶんぶんと手を振る名前に顔を蕩けさせるまで、あと数十分。




タキシードを着て髪をセットして先に通されたチャペルで、鋭児郎はソワソワしていた。プランナーから「もうすぐ名前さん来ますよ」と伝えられた際には「おす!!」と意味不明なくらい元気よく返事をしてしまった。厳か過ぎない、自然に囲まれた式場をチョイスしたのは名前だ。扉が開く音がする。


「鋭ちゃん」


結婚式場に向かうまでは、「緊張するね!」とあんなにはしゃいでいたくせに、落ち着いた女性らしい声に鋭児郎の心臓は破裂寸前かと言わんばかりに働いている。ヴェールの擦れる音がチャペルに響く。


「鋭ちゃん、いいよ」


名前の声に振り返った鋭児郎は、喉まで出かかった言葉を失うほどに息を飲んだ。十分袖のレースのクラシカルなウェディングドレスは名前の為に作られたのかと思うほどによく似合っていた。細やかで丁寧なレースを纏うその指先まで美しい。クラシカルで大人っぽいが、腰の辺りに施されシルクのピンクベージュのリボンに、プリンセスラインのたっぷりとしたチュールが名前の気取らない可愛らしい所をより一層引き立てる。長すぎないトレーンも細やかな刺繍が施されており、上品さを兼ね備えていた。


「どうかな、」
「す、ッげェ、綺麗」
「鋭ちゃん、泣か、ないでよ」
「名前もだろ」


聖母のように慈しみ深い笑顔。鋭児郎は目から溢れる真珠のような涙をぐ、と親指で拭った。どちらともなく歩み寄って、泣きながら、ふたりで照れたように笑う。互いが互いをこの人を生涯幸せにしたいと強く願っていた。ふたりの笑顔は、世界で一番美しかった。



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