Act,6
「But the heart’s not like a box that gets filled up. It expands in size the more you love.」
ハートは箱のように満たしていくものではなく、人を愛せば愛すほど大きくなっていくものなの。恋愛映画のロマンチックな台詞を聞きながら、暗い部屋でひとり、名前はポテトチップスを齧りながらソファーに沈んでいた。時計はあっという間に夜の11時を示す。瀬呂は、今日もまだ帰ってこない。人を愛せば愛すほどに大きくなった愛も、伝える相手がここに居てくれなければ意味がないもの。皮肉めいた自分の心に余裕がなくなっているのを名前は薄々感じていた。瀬呂と出会ったのは四年ほど前のこと。名前の勤める職場に瀬呂がやってきたところがふたりの始まりである。瀬呂範太。2つ歳下の男の子。プロのヒーローであり、知名度を上げて世間にも認知され始めた期待の若手ヒーロー。瀬呂が通っていたオーガニックスーパーのスタッフであった名前に徐々に惹かれていった瀬呂が連絡先を渡してからは、一気に距離を詰めていったふたりの関係。今や同棲をしているなんて四年前の自分に伝えたらきっと驚くだろう。しかし、ここ最近瀬呂の帰りが遅いのである。下手すれば1日以上会えないこともあった。
「…今日も会えず終いかな」
耐え切れずに一言呟いたら、テーブルの上の冷めた料理が目に入って余計に虚しくなった。ヒーローである瀬呂と一般市民である名前。守る側の人間と守られる側の人間にある轍を確実に感じていた。ヒーローに関する仕事をしていたら帰りの遅さや連絡の付かないことを気にも留めなかったのだろうか。受け止められるだけの余裕があったのだろうか。自分の心の狭さが、一般人そのもので嫌になる。わたしがやきもきしている間にも範太は誰かを救い、命を賭して敵と戦っているかもしれないというのに。どうしても天秤に掛けることのできない人の気持ちとヒーローの仕事。やり場のない気持ちごとベットにダイブしたら、瀬呂の男の人のにおいがした。何処にいても瀬呂の面影を感じてしまう。瀬呂の気配だけが指先を掠め、鼻先をくすぐる。カチャリ。控え目に鍵を開ける音が聞こえる。それでも、体を起こす気持ちにはなれない。
「名前ちゃん、ただいま……って寝てるよな」
思わず目を閉じて寝たふりをする。そっと一瞬頭を撫でられる感覚。すぐに離れていってしまうと、シャワーを浴びる音が聞こえてきた。面倒くさい女だと自分でも感じていた。「わたしと仕事、どっちが大事なの?!」というドラマの台詞が頭のすみっこをチラつく。何とも面倒くさい台詞。何とも意味のない、くだらない台詞。今の範太には、どちらもきっと大切なはず。それでも、たまには一緒に過ごしたいじゃないか。同じ部屋に住んでいるはずなのに、瀬呂の面影と暮らしているのは何故だろう。

「今日は、どうかな」
映画を流しながら、名前はポトフを煮込んだ。ハーブ入りのウィンナー、じゃがいも、人参、玉ねぎ、キャベツ。わたしなんて二の次で、どうでもいいんだろうかと思う反面、やっぱり瀬呂のことを名前は放っておけなかった。不貞腐れてご飯を作るのを放棄しても良かった。それでもやめなかったのは、名前が瀬呂のヒーローとしての活躍を誰よりも応援しているからである。
「ただいま!」
「範太…!今日は、早かったんだね」
あんなに揺れていた心が笑顔ひとつでしゃんと背筋が伸びるのようになるなんて、ゲンキンだこと。名前は心の中で弱虫な自分を叩きたくなる。
「名前ちゃん、あのさ、話があるんだ」
ドキッとした。瀬呂の表情が何を考えているかイマイチ掴めない。一番最初に考えたのは、最悪のパターンの別れ話。ここ数日、なかなかじっくり会話も出来なかったのだから。もっと若くて素敵な子がいたの?苦しみも壁も分かち合えるようなヒーローの女の子がいたの?部屋には、ポトフを煮込むくつくつという音と映画の中の役者たちの話し声だけが響く。名前の頭の中がぐるぐると渦を巻いて飲み込まれそうになっていると、す、と瀬呂が跪く。それは、まるで映画の中の王子様のように。
「名前ちゃん、俺と結婚してください」
「……え?……ええ?!」
「ここ最近ずーっと考えてた。ヒーローやってることで名前ちゃんに寂しい思いさせてるんじゃねえのって。勝手な理由かもしれないけど、帰ってきて名前ちゃんが居て、体のことを思って作ってくれた飯があって、俺、名前ちゃんが居るからヒーローやってけてんだなって」
「範太」
「愛してる」
差し出された慎ましやかな箱の中には、上品なリングが名前の方を見ていた。さすがセンスのいい瀬呂、細やかな彫刻が施された美しさの中にも可愛らしさが見えるデザイン。てっぺんには、ダイヤモンドが照明の光を目一杯吸って輝いている。
「はめても?」
「うん…!」
名前のために作られたそれは、薬指にぴったり収まる。目の前に手をかざすと、まるで自分の薬指が特別なもののように思えた。それと同時に、自分が馬鹿だったと名前は思う。わたしが出来ること。それは、ヒーロー活動をする範太の背中を追うことでも、守られ続けることでもないの。お腹を空かせて帰ってきた範太に、お腹いっぱい美味しいご飯をご馳走すること。特別なことだけが愛情じゃない。わたしの愛情は、例えばお弁当の梅干しの種をちゃあんと取り除いたり、サンドイッチの端から端まで丁寧にバターを塗るようなことよ。わたしが出来ること。わたしにしか出来ないこと。
「名前ちゃんの生涯を俺にください」
「よろしく、お願いします」
「ッ、よっしゃア!」
ぐっとガッツポーズをする瀬呂に飛びついて、名前は目一杯抱きしめた。瀬呂の肩越しに映画の俳優が真剣な顔をする。
「It is difficult to do well. I need effort. But I want to work hard. I want you forever. Because I want to be with you.」
「うまくやるのは難しい。努力が必要だ。でも俺は努力したい。ずっと君がほしいから。一緒にいたいから。」なるほどその通りだと、思わず名前は笑いながら、薬指のダイヤモンドに生涯の愛を誓うのであった。
Act,6
