Act,8




「エリンギの串揚げふたつ、んー、あとは生ビール追加で」
「僕も同じものを頂こう」
「ここの串揚げさ、すっごく美味しいの」
「それは楽しみだな」


大衆居酒屋は個室であってもザワザワと騒がしい。その個室の一角で名前と飯田は本日三杯目の生ビールを注文しているところだった。親しげに話すそのふたりが今日初めて会ったなんて誰が思うだろう。それは遡ること、半日前。


「もうやだ、既に面倒くさい」
「名前も良い年なんだから面倒くさがらずに行ってきて。相手はちゃんとしたお家の方なんだから」


全身鏡の前で姉にぴしゃりと言われ、「そういうの別にどうでもいいよ…」とげんなりと溜め息を吐き出した。本日何度目だろうと名前はまた溜め息を吐く。ふんわりとミルキーなピンクのミモレ丈のワンピースに柔らかく編み込まれた髪、オマケに爪はピンクに塗られているときた。あまりの自分らしくない姿に恥ずかしさと居心地の悪さがこみ上げる。せめてもの反抗でカバンだけはお気に入りの黒のエナメルのショルダーバッグにしてやった。(姉にはオフホワイトで花のモチーフのついた何が入るんだというくらい小さなショルダーバッグを渡されたが無視した)名前の家はヒーロー家系である。その家の次女が、一向に男っ気がないときたものだから、慌てた姉が見合いをセッティングしたのだ。6つ年上で既に結婚している、それも円満な家庭を築いている姉の気持ちもわからんでもない。けれど、やっぱり嫌なものは嫌だ。お見合いの場所に指定された高級なフレンチレストラン。マナーは叩き込まれていたので大丈夫だろうとは思うが、既に一日が長い。適当にお話しして「あの人とは合いませんでした」と適当にあしらってしまえばいい。腕時計をチラリと見やると、サッと影が落ちる。


「苗字、名前さん、ですか?」
「は、はい」
「兄から話は伺っています。飯田天哉と言います」


髪を綺麗に七三分けにした、いかにも真面目ですというような眼鏡の男性。ああ真面目そう、わたしとは合わなさそう。名前の飯田に対する第一印象であった。中に入りましょうか、と誘導されるがままにレストランの中に入る。窓際の席からは景色がよく見えた。夜であれば夜景が綺麗だったのであろうが、生憎名前はそういうものに興味がなかった。


「突然お見合いだなんてすいません」
「いや、大丈夫です。綺麗な方で、ビックリしていますよ」
「へ!、い、いや、そんな…」


驚いた。そんなことが言えるタイプの人間には見えなかったからだ。少しだけ心臓の動きが早くなる。美味しい料理を頂きながらも、少しずつ会話が膨らんだこと、何よりも楽しいかもしれないと思っているに名前は驚きを感じていた。飯田もヒーロー家系の次男であること(あのターボヒーロー、2代目インゲニウムだと気付いた時には驚いたが)、同い年だということ、周りが結婚していくに連れて親が心配するが自分たちはまだそんな気があまり湧かないということ。根っからの真面目くんだと思っていた彼の印象はすぐに変わっていく。敬語も無くなり、いつの間にか旧友のように話せるほど名前も飯田も心が軽くなっていった。


「飯田くんて、意外と堅物じゃないんだね?」
「これでも高校時代は無茶したこともあるんだ」
「ふふ、意外だ。…でも、結婚なんてわたしにはまだ考えられないな。そんな人に出会えてないのかもしれないけど」


ワイングラスを傾けながら名前は口をへの字に歪ませた。名前は、ひとりで居酒屋に行くこともできるし、ラーメン屋だって入れるような女性だった。出来れば、こんな高いヒールを履かずにスニーカーや、せめてバレエシューズを履いていたい。好きなことを好きなだけしたい。ヒーロー活動だって、まだまだやりたい。探検家のように自由奔放で探究心の強い名前には結婚というものが自分を制限するような気がしてならなかった。


「苗字さんは、僕が今まで出会ったことのない女性だな」
「そう?」
「ああ、そうとも。勿論良い意味でだ」


それが良い意味だと言われて照れ臭くなって名前は爪をいじる。


「本当はさ、ピンクじゃなくて真っ赤の方がよかったの」
「ピンクよりも赤の方が、苗字さんによく似合いそうだ」


窓にかざした似合わないピンクと思いがけず肯定された言葉に名前は顔を上げて飯田を見やる。眼鏡の奥で光るのは優しい飯田の視線。名前は感じたことのない心地よさにいつの間にかふわりと笑っていた。




「今日はありがとう、とても楽しかった」
「こっちこそ。姉が無理矢理ごめんね」


早く過ぎてしまえと思っていた時間は思いもよらぬ早さで駆け抜けていった。夕暮れが飯田の髪を照らす。会った時は何も考えていなかったが、飯田は意外と身長が高くて逞しい身体つきをしているのを知った。名残惜しい。どんどん下がってゆくエレベーターの中、ふたりとも次の言葉が出て来ず、黙ってしまった。


「…飯田くん、この後飲みに行こうよ」
「僕でいいのか?」
「飯田くんがいいんだよ」


そんな台詞がすらりと口から溢れたことに驚いたのは名前自身である。どうして簡単にそんな言葉が出たのかはわからない。ニッコリとうなずく飯田に「美味しい居酒屋知ってんの、わたし」と名前がまるで悪戯っ子のように笑う。そして、冒頭に繋がる。生ビールを豪快に飲み干す名前の髪はもう複雑に編み込まれたものは解かれて、緩くひとつに束ねられていた。


「幻滅した?」
「何のことだ?」
「同じプロヒーロー家系でも飯田くんは品行方正で、綺麗に着飾って現れた女は本当はハリボテみたいなものだったってこと」


そう言いながら枝豆を摘む名前を飯田は見つめる。その指先には、確かにピンクよりも赤の方が似合いそうだと思いながら。憂いを帯びたような名前の睫毛が居酒屋の頼りない照明に照らされている。飯田にはどこか惹かれるものがあった。心臓の芯から磁石で引っ張られるような感覚。


「苗字さんのことを、僕はよく知らない」
「そうだよね。数時間前まで他人だったんだから」
「だが今見せてくれている苗字さんは偽物ではないのだろう?」
「!」
「名前さんのことをもっと知りたい」


飯田は思った。これは自分の一目惚れだったのかもしれない。飯田に無い自由さを持って突然現れた名前。お見合いだからと正直渋々、と思うところも無かったとは言えないが、飯田の性格上しっかりと向き合わねば失礼だと真面目に指定されたレストランへ向かった。そこで出会ったのは高級レストランに舌を出して背を向けるような、はたまた路地裏で笑う綺麗な猫のような名前。背筋を伸ばしてナイフとフォークを使うよりも、頬杖付きながら歯を見せて笑う女性。今まで見たことないような不思議な魅力。それは名前も同じように感じていた。クソ真面目なお坊っちゃんかと思いきや意外に柔軟性もある。自分の赤く塗った爪もこの人になら見せてもいいかもしれない。名前は悪戯に笑う。


「知りたいって、どういう意味で?」
「…僕たち、大人だろう?」


テーブルに置かれた指先を、名前は満足げにギュッと握った。この人であれば、結婚を考えてもいいのかもしれないとふたりとも何処かで考えていた。



TOP
ALICE+