Act,9




「通形先輩!」


ビュウッと吹いた春の嵐の中で、間違いなくミリオを呼ぶ声がする。今日で、この制服を着るのも最後か、と既に懐かしさにも似た不思議な感情と明日からは晴れてプロのヒーローだと思うと駆け出してしまいたくなるような感情。そんなミリオの背中を引っ張るように桜吹雪の中で息を切らす後輩が今にも泣き出しそうに此方を見ていた。


「名前ちゃん」
「先輩、先輩、せんぱ、い…!」


どちらともなく駆け寄ると、ミリオの逞しい胸にすっぽりと収まる名前が小さく、弱々しく肩を震わせる。小さな子どものように「先輩、先輩」と繰り返す名前の頭を困ったように笑いながら撫でる。


「通形先輩は、いつも遠くへ行ってしまうんですね」


名前のいうW遠くWの意味。たったの2年の壁がふたりの間に大きく立ちはだかる。卒業という別れを経て、都内のプロ事務所に就職する通形。物理的にも遠くへ行ってしまう。そして社会人と学生という壁。手を伸ばしても届いたらまた離れていってしまうような堂々巡りの壁。どうしても埋められない2年に名前はグズグズと鼻をすすった。

名前と通形は、明らかに両思いであり周りをやきもきさせている。はやく付き合えばいいのに、と皆に思われいることも、なんとなくお互いがお互いを思っていることをふたりとも知っていた。それでも、お互い言い出せなかった。ふたりはよく似ている。プロヒーローになるべく努力を惜しまないところ。個性の扱いが難しいのに、あっけらかんと笑って努力するところ、いつも笑顔を絶やさぬところ。ふたりとも同じところに惹かれいたからこそ、言い出せなかった。名前は、自分の扱いきれない個性に必死で、恋愛にかまけている暇など無いと喉まで出かかる自分の気持ちを抑えていたし、更に2年生、3年生とどんどん忙しくなるのを通形も知っていた。それを邪魔したくはない。更にプロになったら恋愛を楽しむ余裕なんてしばらく訪れないだろう。笑顔の裏側に隠したふたりの臆病さはお互いを思いやるからこそ生まれた優しさである。それでも、今日だけは。はやく離れなければ、と思えば思うほど、名残惜しい。


「名前ちゃん」


優しく優しく、通形が笑う。涙でぐじゃぐじゃになった顔で見上げる小さな名前を、通形は愛おしいと思う。今、名前に気持ちを伝えたら他に見えるべき出会いを狭めてしまうかもしれない。それでも、それでも。


「名前ちゃんが、卒業するまで待ってる。絶対、迎えに来るから」
「通形先輩…!」
「その時まで、待っててほしいんだ」
「…めちゃくちゃいい女になりますから。通形先輩が見惚れちゃうくらいに」


頭一つ分よりもまた小さい名前の額に、触れるだけのキスを落とす。今の名前にはそれが十分過ぎるほどに大きななにかを受け取ったような気がしていた。



季節は巡って、あの日から二度目の春。胸の奥の切ない疼きのようなものを通形先輩も感じていたのだろうか。迎えに来ると言った通形のことを名前は一度として忘れたことなどなかった。連絡は月に一度ほど、下手すればふた月に一度ほどのさして多いとは言えない回数。元気でしたか。この間雑誌に通形先輩が載っていましたよ。勉強頑張ってる?他愛もない会話は、ふたりの糧になっていた。2年が経った。通形の活躍はたまにメディアを通して見ていたが、一度も会うことはなかった。名前も都内の事務所に就職をする。


「あっ、あれ、ルミリオンじゃね?!」
「え!どこどこ?!」


下駄箱すらもう見ることは無いのだと思うと、ちょっぴり寂しい。そんなことを考えていた時である。後輩と思われる生徒が校門を指差して叫んだ。通形も2年前は、雄英ビッグ3なんて呼ばれたものだから、今や伝説的な存在だった。そのルミリオンが現れたら、校内が騒つく。通形先輩。名前の口から愛おしい名前がぽろりと溢れると同じくらいに駆け出していた。


「名前ちゃん。卒業、おめでとう」
「せんぱい、」
「いやー、綺麗になっちゃって!全く、びっくりしちゃったよ」


まるで昨日、またねとさよならしたばかりのように、あっけらかんと現れる。泣きそうになるのを堪えながら、名前は久しぶりの通形を目に焼き付けた。通形もまた、どこか大人びた名前に内心ドキドキしていた。2年前より短くなった髪、瞳は相変わらず、その芯の強さを灯して美しい。変わっていないところも変わったところも、全て愛せそうだ。


「通形先輩、なんで、スーツなんですか」
「そりゃあ、決まってるよね」


ずっと気になっていた。スッキリとしたスーツ、大量の薔薇の花束。それは、まるで、まるで。


「名前ちゃん。迎えにきたよ」
「!!」
「俺と結婚しよう」


差し出された薔薇の花束。ルミリオンが雄英に来ているというだけで観衆は騒つくというのに、それが、薔薇の花束を抱えてひとりの女性にプロポーズしているものだから、外野からは「キャー!」と悲鳴にも似た歓声が沸き上がる。普段ならきっと恥ずかしいと思うその行為も、今の名前には人生の中の大切な1ページへと変わる。もう泣き虫の名前ではない。ぽろりと落とした大粒の真珠のような涙は艶やかで美しい。寂しい寂しいとごねていた子どもの涙ではなく、愛故に溢れた涙。そのまま通形の広い胸に飛びつく。


「通形先輩っ!!」
「名前ちゃん、名前で呼んでよ」
「ミリオ、先輩!!」
「よくできました」


ここからがスタートだ。きっと、あなたとなら大丈夫。ふたりの熱い熱い抱擁にさらに沸き上がる歓声やら口笛やら拍手。その中で、通形は名前にしか聞こえない声で「愛してるよ」と言ったのを名前の耳は、確かに受け取ったのである。



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