
「ひま、だあ…」
ぼふっとベッドに身体を放り投げたなまえは、いつもと変わりない天井に溜息混じりの呟きを吐き出した。もうこの天井も、Wいつもと変わりないWなんて風に感じるようになってしまう程、WこちらWの生活にも慣れたものだった。突然飛ばされた過去にきて1ヶ月と少しが経った。元々得意な方だった家事のスキルが磨かれていった。それに伴い、相澤の食生活も随分と豊かなものになったものである。昼間は買い出しや家事、時々近くの図書館や花屋にも行くようになった。時々麗日たちから連絡があり、遊びに連れて行ってもらうこともあった。爆豪には、あの日以来会うことはなかった。鷹のように鋭い瞳の奥が揺れていた意味も分からないまま、そんなことすらなまえは忘れかけていた。相澤が高校教師ということもあり、夜には勉強を教えてもらうこともあった。充実しているといえばしているのではあるが、やはり居候の身としてはすべての金銭的な負担をかけているのでは、と思うと肩身が狭い。それに、こういう暇な時間ができるとどうしても考えてしまう。毎日毎日、同じことを考え、同じ結果に辿り着く。過去に来てしまった未来人のわたしの未来はどうなるんだろう。相澤から何の結果も話されないことを考えると、そうそう起こらない個性事故の問題に難航しているのだろう。そもそも、高校教師とヒーローの二足の草鞋を履いている相澤を含め、大人とは忙しいものだとなまえはよく知っていた。自分の問題だけに専念することは難しいのだ。帰れるのは明日かもしれないし、数年後かもしれない。かと言って明日帰れ、と言われたら少し寂しい気もするのだが。着地点の見つからない今の自分の存在の今後に憂うのも、結局のところ胸の辺りがぽかんと空いて、行き場を失った答えもそこにはハマることもなく、ただただ虚しいような他人事のような訳の分からない結果となる。ある程度の日々のルーティンに慣れてしまったら、やることの限界はどうしても来てしまう。パン、と頬を軽く叩く。そろそろ洗濯を仕舞おう。
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「あの、消太さん!」
「どうした、改まって」
煮物のこっくりとした出汁の匂いが空気まで美味しくしている。短針が7を指す頃、相澤は今日も飯が美味い、と大根を口に運んだ。なまえと相澤が共に食卓を囲むのは久しぶりのことだった。相澤の務める高校は体育祭や職場体験を終え、休む暇なくテスト期間に入ったらしく、忙しいのだと聞いた。会話がふと途切れたところで発されたなまえの言葉。目を少しだけ輝かせて真っ直ぐ相澤を見るなまえも見慣れたもんだと相澤は箸を止めた。
「わたし、バイトをしたいと思っています」
「は、バイト?俺が渡している金額が足りなかったか」
「いえ、そういうことではなくて。寧ろ十分すぎるくらい頂いています」
「…ハッキリ言うが、なまえの現状を考えると素性がバレそうなことはさせたくない」
「でも、消太さんにこれ以上の迷惑はかけられません。それに、その」
「…」
「ひとりだと、いろいろ、考えちゃって」
なまえの言うWひとりW。それは本当の意味で、ひとりなのかもしれない。この時代にはもう立派な知り合いだと呼べる人がいる。それでもなまえはここには本来存在しなかった人間なのだ。学生にとってのコミュニティとなる高校にも行くことができない。ここには、家族もいない、友達もいない、知っている風景もない。なまえの素性のことを踏まえると、バイトなど言語道断なのかもしれない。それでも、まだ高校生だと言うのにこの現状に必死で向き合おうとしているこの子にこれ以上何を課せようと言うのか。頭のいい子だ。自分の素性をペラペラ話したりするなど愚かなことはきっとしないだろう。一部のヒーロー達にはなまえの存在のことは通達が行き届いている。それならば監視のようで気が引けるがヒーローに関係する仕事が良いだろう。自分の独断では決めかねるが、オールマイトに相談した上でなら大丈夫だろう。責任を取ることには慣れている。
「…わかった」
「やった…!」
「その代わりだ、俺が探してきたところにバイトに行ってもらう。いいな?詳細はまた伝える」
「わかりました!あの、わがままを言ってごめんなさい、でも、本当にありがとうございます!わたし、消太さんたちのところにきて、よかったな、って」
照れ臭そうに笑うなまえの頬が温白色の照明の下でふんわりと染まる。純粋そのものと言えようなまえの言葉や存在そのものに相澤は少し頬を緩めた。どこまでも真っ直ぐで、草原が風に凪いで柔らかな波を作るように優しく、透明度の高い水晶のように無垢で、やはり不思議な雰囲気を纏う少女だ。相澤はなまえの全てを知らない。1ヶ月と少し暮らしただけではあるが、四六時中一緒にいるわけでもない。だが、なまえを見ていると、ここにきたのが必然なのではなかろうかと思うことがある。個性事故の可能性大のタイムスリップをしてきた意味など無に等しいかもしれないのだが。そんななまえをその他大勢の街の人Aで終わらせるのは何故だか少し勿体無いような気がしながら、相澤はよく味の染みた人参を噛み締めて思うのであった。