
帰ってからなまえは相澤に猛烈に抗議をした。我が儘を言える身ではないとはわかっていたものの、よりによってあの男のいる職場の食堂だなんて!すまんな、と軽めに言った相澤になまえは更にむすくれた。事務所の位置に規模、その他諸々を含め、そこが良いという判断であったが、まだ飲み込めないなまえにとっては憂鬱を蒸し返すだけである。窓ガラスにぼんやりとしかうつってはいない自分の顔ですら不貞腐れた表情だと分かるくらいだ。嫌でもこれから事務所で顔を合わせることだってあるだろう。しかし、関わらなければいい。何せわたしたちは、W他人Wなのだから。
「個性、」
ぽつりと砂時計の砂が落ちるようにこぼれた言葉。いつもより少し早く仕事を終えたなまえは駅前のカフェに来ていた。窓際の席は初夏の柔らかな日差しを浴びて程よく心地よい。通りを行き交う人々は改めて見るとやはり、不可思議な様子である。なまえのいる時代にはもうW個性Wと呼ばれる能力は無くなっている。たびたびテレビのドキュメンタリー番組で取り上げられるW個性Wの話。個性は複雑化して人間の身体はキャパシティオーバーになりその進化についてくことが出来なくなったゆえに進化の過程で個性を切り捨てただとか、そもそも個性というのが人類の過程での突然変異だったとか。結局真相は人類の歴史に飲み込まれて謎のままだが。ストローでくるくると混ぜると檸檬の粒たちが渦に飲まれた。あの日、誰かとぶつかって転けた拍子にできた膝小僧の擦り傷もすっかり薄くなっている。時が経つのは早い。なまえの髪を撫でるように差し込む光は夏を知らせる。
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なまえは空いた時間を利用して、本屋に寄って帰宅した。少しでもこの世界の情報を知ろうと前向きな気持ちも少なからず出てきていたのだ。かと言って小難しい歴史書など、きっと頭に入ってこない。結果、なまえが手に取ったのはなまえの世代向けのファッション誌であった。歴史でなくともW今Wの情報に触れることができる。それに気持ちにほんの少し余裕が出てきた今、ファッションのことだって気になる。ベッドに転がってぺらぺらとページをめくる。可愛い洋服、人気のカフェ、そしてW今輝く若手ヒーロー!!ファッションチェック!!Wとデカデカと載せられた見出し。ヒーローって、こんなにメディア露出するものなのか。本当に、様々な方面で仕事が確立されているのだと感じる。
「わ、このひと肌がピンクだ」
ピンキー!と書かれたヒーロー。はつらつとした黒目の女性がニッと笑う写真になまえは思わず声が出る。肌が何色だろうと目が何色だろうと差別の対象にはならず、寧ろWキュートWと称されているところを見ると、確かに個性社会には寛容な印象を受ける。もう一ページ、めくる。
「あ…、」
そこには、不満げに映る爆豪の姿があったのだ。渋々やっていますという表情丸出しではあるが、こういうところに取り上げられるということはやはり彼はいつかのおじさんが言った通り、人気急上昇中なのだろう。ヒーロー業は、どうやら人助けばかりしていればいいという風潮ではないらしい。そういえば、昼間のニュースでW今恋人にしたいヒーローランキングWなんてものも見たんだっけ。芸能人みたいなものも兼ねているなんて、楽ではないな。それらをふまえた今、こういう仕事も受けなければ食べていけないのだろうと不自由さも少なからずなまえは感じるのであった。もう一度、爆豪を瞳に映す。顔は、キツめではあるが確かに整っている、とは思う。けれどそのつり上がった目はやっぱり狙いを定めた猛禽類か肉食獣みたいで、なまえをハルと呼んだあの日を思い出して身震いさせた。と同時に、どうして彼がヒーローなんてやっているのだろうか、と疑問が浮かぶ。どちらかと言えば、愛想を振りまかないといけないような職業であるのにもかかわらず、爆豪という男はヒーローという職業を選んでいる。いつかなんてこないかもしれないが、それを聞くことができる日がくるのだろうか。自分と爆豪がおしゃべりするところなんて微塵も思い描けなかったが、あの傷だらけの腕が生々しくなまえの脳裏に蘇ったのだった。