
すっかり日も暮れたというのに、この地域でかなり大きいらしいショッピングモールはいまだ賑わいを見せていた。わいわいと賑わう人の波の中で、なまえは迷い子の子どものように落ち着きなく辺りを見回していた。異形型、という個性により見た目が人間とはかけ離れている人たちを見てももう驚かなくなったところ、自分もなかなか図太いのだなあとなまえは思う。お小遣いというお小遣いも然程持ち合わせていないのに、色々生活用品を揃えてもらうだなんてなんだか申し訳ない。
「相澤せんせー!」
「えっ、?」
聞き覚えのある、伸びやかで気の抜けるような声になまえは思わず足をぴたりと止めた。麗日と緑谷と切島が、ヒーロースーツではなく私服に身を包み手をこちらに向かって振っていた。その3人のことは、嫌いというわけではない。嫌いというほど彼らのことをなまえはよく知らないし、寧ろ悪いひとではないということは重々承知していた。それでも脳裏をちらつくあの射抜くような紅はなまえの肩を小さく萎縮させた。
「みょうじさん、悪いがW女ものWというのは俺にはのくわからなくてな。みょうじさんの気持ちもわかるが、あいつらに来てもらうことにした」
「はい、」
「悪い奴らじゃあない」
爆豪が居ないことだけが唯一の救いだったかもしれない。なまえは3人にぺこりと小さくお辞儀をする。それに気付いた3人がこちらに歩み寄った。赤髪の、確か、切島といっただろうか。彼がばっとなまえに向かって頭を下げた。
「みょうじさん、ごめん!!」
「え、?!頭をあげてください!」
「いや、俺、爆豪にみょうじさんが、その、ハルちゃんじゃねえこと否定できなかった!だから、ごめん!」
「私も、ごめんなさい!知らないところに来て、不安そうにしていたのに、みょうじさんがみょうじさんだってこと、肯定してあげられなかった」
「相澤先生から少し事情は聞きました。それで、僕たち、謝らなきゃって思って」
なまえがなまえという人間であること。そんな当たり前で簡単なことを、これ程までに重いことだと今まで感じたことがあるだろうか。なまえの存在を有耶無耶にした事実は変わらないのかもしれない。それでも、今のなまえにはただ一筋の光が差し込めるような安堵がじわじわと込み上げていた。無色透明で純粋でまだあどけなさの残る呼吸をひとつ吐き出す。長い睫毛に縁取られたなまえの瞳が小さく揺れた。
「わたしのこと、助けようとしてくれたんですよね。それは、揺るぎない事実なんですよね?信じても、いいんですよね?」
なまえの言葉に首を縦に振る3人。なんとなく、それ以上の言葉は要らないような気がした。許すとか許さないとか小さな綻びを恨みがましく突っつくことよりも、目の前の真実に目を向けることの方がよっぽど大切だと思ったからだ。人の心を言葉にするのは難しい。何を有益か、何を無益かと深く思考することよりも、案外お気楽に素直に直感に従うことの時の方が何となく上手くいったりもするものだ。今はただ、その直感を信じていた方がいいような気がしていた。
・
広いショッピングモールの中は、なまえの疲れを忘れさせるほどになまえ本来の好奇心を色濃く思い出させた。買い物が好きで、放課後友だちと遊んで甘いものを食べたり、可愛い洋服やアクセサリーに心をときめかせたりする、何処にでもいる普通の女子高生。三年ほど前まで女子高生であった麗日も、左に同じだった。
「なまえちゃん、こんなのどうかな?」
「わ、可愛いです!」
なまえの生活用品のショッピングバッグが増えるにつれ、なまえの表情筋が緩んでいく。いつの間にかなまえを名前呼びになっている麗日、学生時代から変わりのない持ち前の真っ直ぐな明るさを見せる切島、皆の空気を上手いこと纏める緑谷のおかげでなまえの本来の笑顔であろう横顔が見える。相澤はなまえの花も綻ぶような、けれどどこか肩の力の抜けるような純粋で透明な笑顔に、またこの時代を生きるものも案外未来の人間も変わらないものなんだなと感じていた。
「先生、全ての買い出し終わりました!」
「今日は先生の家でみんなで鍋パしましょう鍋パ!」
「仕方ないな…」
「やったー!」
・
くつくつと音を立てて煮える鍋から、出汁のにおいをたっぷり含んだ湯気が鼻先を包む。ほっと懐かしいような、落ち着くようなにおいになまえのお腹の虫がくぅ、と小さく鳴いた。そういえば、ここにきてから何も口にしていない。今日出会ったばかりのひとの家で、今日出会ったばかりのひとたちと鍋を囲むというのはどう考えても不思議なことだと思いながら、どんとなまえのお皿に盛られたお皿の上でせめぎ合った具材たちを見て考えていた。
「なまえちゃん、おもち美味しいよ!」
「お腹空いたろ?いっぱい食えよ!」
「ゆっくりでいいからね」
それからは、なまえが未来から来たことは個性事故の可能性があること、相澤の姪っ子として暮らすことなどが相澤から伝えられた。なまえのここにいる経緯を共有するのは必要最低限の人員のみであるらしい。神妙な空気を振り払うように切島が明るくからっと笑い飛ばして言う。
「事情はわかった。そんな直ぐには今の状況も飲み込めねェと思うし、寂しいかとは思う。けどよ、なまえちゃんはもう今、ひとりじゃねェ。だから、改めて、なまえちゃんのこと、未来とかそんなん関係無しに教えてくれよ!」
「うんうん!私も知りたいな」
飾らない前向きな言葉たちは、なまえの希望の背中をそっと一歩、前に進ませた。今ばかりはもうひとりの関係者となる爆豪のことをなまえは忘れてしまうほどにじんと目尻を滲ませた。相澤も、こういう奴らだったな、と口元をそっと緩める。それからは、なまえの高校の話、家族の話、友だちの話など他愛もない話に花を咲かせた。今は周りにそれらはない。どうなっているのかもわからない。けれど、旧友と話すようなあたたかさと自然さに不思議と寂しくはなかった。何とかなるかもしれない。それだけで、十分だった。この世界のことも、少しだけ聞いた。WヒーローWという職業があるということ、皆は相澤の教え子であり、駆け出しのヒーローであるということ、ヒーローを目指すきっかけになったこと。話は尽きない。月が弧を描いてどんどん傾いていく。鍋が空っぽになる頃、明日は仕事がある、ということで片付けを済ませて皆を玄関まで見送る。
「今日は、ありがとうございました。嬉しかった、です」
「僕たちこそ、ありがとう。いつでも頼ってね」
「お前らさっさと帰れ。明日に支障きたすなよ」
「相澤先生のいけずう!」
「じゃ、そういうことで、なまえちゃん、またな」
「はい、また!」
扉がぱたりと閉まる。なまえは、相澤から渡されていたスマホをちらりと見やる。相澤ひとりですかっとしていた連絡先には、緑谷と麗日と切島の名前が増えている。くすぐったくて、少し気恥ずかしい。なまえが小さく微笑むのを、親心のような、6年前の教え子たちが入学したての頃のような青さを感じながら相澤は見ていた。個性事故だとすれば、未来に帰るのは簡単なことではない。それでも、今だけは、なまえの嬉しそうに小さく揺れる背中に、深海に刺す純粋な一筋の光を見たような気がしていたのである。