ソーダとバニラのアイスクリーム、シュワシュワと弾ける炭酸水、グラスに水滴の汗をかくくらいキンキンに冷えた麦茶。まだ春先だというのに頭の中はそんなことばかり考えていた。ぎゅうぎゅうと押し込められた満員電車はその密度で蒸し返していて息苦しく夏の雨の後を思い出させる。仰ごうにも人に挟まれた手は迂闊に動かすことすら難しく、背中に伝う汗がカッターシャツにぺとりと張り付きはじめて気持ち悪い。次の駅で、人が減るといいのだけど。そんなわたしの祈りは届くはずもなく、降りる人が多数いたからかふわっとスカートを揺らす駅の風が心地よいのも束の間、先ほどよりも多い人の山が雪崩れ込んできたのである。肩を押しやられてそのままドア側まで流れてきたことと腕が動かせるようになったことは不幸中の幸いかもしれない。


「(くるし、)」


酸素ごと、押し潰されそうだ。苦しくなって肩でそっと息をする。額にぺっとりと張り付く前髪も煩わしい。イヤホンから流れる音楽に集中しよう。そう思って、目をつむった時、トントンと肩を叩かれる。


「みょうじ?!」
「き、切島くん…!」


見知った顔にお互い驚いたものの、電車の中ということもあってかひそひそ声で顔を見合わせた。ちょうどわたしの真正面に立つ切島くんの額にもつう、と汗がつたうのが見える。それと同時に、切島くんがわたしの体にぴたっとくっついているのに気がついて身体中の熱が疼き出す。暑いなんてものじゃない。わたしが挙動不審になったことに気づいたのか、切島くんがなんとなく気まずそうに体をよじる。


「あー、みょうじ、暑いな今日」
「そ、そうだねえ」
「…一限目、ヒーロー基礎学だっけか?俺楽しみなんだよなあ」
「わたしもすごく楽しみだよ!情報学とかも好きなんだけど…」


白々しいまでに交わす会話は落ちどころをなくして途切れ途切れだった。なんとなく気まずいのは、たぶん、相手がクラスメイトだからだとか知り合いだからとかではなく、切島くんだからだ。タタンタタンと線路を跳ねる電車の音が自分の早い鼓動に重なって弾けそうになる。窓から刺すような太陽の光がじりじりと背中を焦がせば、その熱が突き抜けて切島くんまで届いてしまいそうだ。見上げた切島くんの赤髪がきらきらと反射して透けていた。ドキドキしてしまう。間近で見た切島くんはやっぱりわたしの中に秘める思いを簡単にくすぐった。また人に押されたのかわたしの体に切島くんの体がくっつきそうになると慌てて体を離していくその表情から、申し訳なさをびしびしと感じる。ほんのりと色づく切島くんの頬っぺたと不自然に視線を逸らすたどたどしさに思わず俯いたら、申し訳なさと満員電車ですきなひととこんな近くにいられるなんて、という気持ちがぐらぐらと天秤の上で揺れた。


「…こんな混雑すんの珍しいよなあ」
「そうだね、っ…きゃあっ!」
「うわ、っと!みょうじ!大丈夫か!」
「ありがと、でも、どうして」
『ただいま敵とヒーローの交戦により車両を緊急停止致しました!今しばらくお待ち下さい!』


突如急ブレーキをかける車両にあちこちで悲鳴が上がる。やや急ぎ足のアナウンスに「おいおいまじかよ」「えー遅刻しちゃう」「ヒーロー誰が来てるんだろ」などと車両には思い思いの意見が飛び交う中、それどころではなかったのはきっとわたしだけだろう。急ブレーキに体が耐えられずそのまま吹き飛びそうになったところをそのまま切島くんがしっかりとキャッチしてくれたのだ。つまりは、顔面から切島くんの胸に飛び込んでしまったうえに、そのまま抱きとめられているということで。切島くんの柔軟剤のにおいと自分の香水のにおいが混じって、それがまた、恥ずかしさを増長させた。ブレーキの衝撃でまた身動きが取れない。


「わり、みょうじ、大丈夫か?」
「こ、こっちこそ、なんかごめんね…!でも、動けなくて、」


耳元で囁くように発された声は意外と低くて、思いの外近いところにあった。胸の辺りからも響く声が、やけに艶っぽくて、ぞわぞわと背中を這い上がる背徳感みたいなものに苛まれる。そのくせ、もうちょっとこのままいたいと思うわたしは欲張りだと思う。こんな時に、なにを考えているのだろう。


「なあみょうじ、このまま、いていいか?嫌だったら、言ってくれ」
「その、だいじょうぶ、です…」


そんな風に言われたら、顔なんて見られるはずがない。片手でそのまま抱きすくめられて切島くんの腕の中にきちんと収まるほかなかったわたしは、ひっそりと肯定の意味も込めて控えめに切島くんのカッターシャツの裾を握った。

𓇬𓇬

やってしまった。自分の中の欲に勝てなかったことに後悔しながらも、正直いうと今の状況を神様に感謝する俺がいた。満員電車なんてついてないと思っていたのに、ふわりとよく知る甘いにおいにはっと顔をあげたら気になるクラスメイトが俺の目の前にいたのだった。俺に気づかないみょうじが苦しそうに息を吐き出して目を伏せた時には衝動的に声を掛けていた。知らないふりをしてもよかったのだが、如何せん俺の理性がぷちっと切れそうになったのだ。意中の相手がゼロ距離で、しっとりと汗ばみ、高揚した頬でそんな艶っぽいため息を吐くところなんて見てしまったらこのまま黙っているなんて出来なかった。申し訳なくて、体を離そうとするもあまり効果はなく、結果白々しい話をすることしかできない俺は本当に男らしくねえなと思うばかりだ。こうなったら、みょうじが押しつぶされそうになるのを防ぐことだけを考えることに集中しよう。そう思っていた矢先にこれだ。敵とヒーローの交戦により急ブレーキをかけた車両の衝撃にみょうじの体に思わず手を伸ばしていた。もう手を離してもいいのに、離せない。離したくない。この状況に乗っかって、好きな女に触れようなんてずるいって分かってる。それでもどうして、こんなに我が儘になってしまうのだろう。


「なあみょうじ、このまま、いていいか?嫌だったら、言ってくれ」
「その、だいじょうぶ、です…」


みょうじがどんな表情してるかなんて分からねえ。抱き寄せた肩の小さいこととかいつもみょうじの傍を通るとふわっと香る香水のにおいが近くにあることとか、そんなことばかりが頭を大半を占めていてどうしようもなかった。何にせよ窓にぼんやりと映った俺の顔が締まりなく、噛み締める唇と緊張した眉がもう後戻りなんてできないぞと言っているようで、それに気づいた時にはもう心は決まっていた。もう腹は括った。しばらくすると交戦を終えたことを告げるアナウンスが放送され、電車がゆっくりと速度をあげて進む。駆け抜ける窓の外の景色と一緒に加速する恋心。一駅、また一駅と過ぎ去るけれど、ふたりとも一言も発さなかった。それでも俺はみょうじの肩を抱いたままで、みょうじもなんとなく俺の方に体を寄せてくれている、気がする。

𓇬𓇬

プシューと気の抜けた音と共に人々が外に雪崩れるように飛び出した。人の波に飲まれないように、肩を抱いた手はそのまま移動してわたしの手のひらを覆って引いていく。握られた手がしっとりと汗ばんでいて何故だかわたしは少しだけ緊張した。切島くんは何も言わない。そのまま人の少ないところまで流れてきて、はたと足を止める切島くんの腕まくりされた腕と首筋を伝う汗を見ていたらばくばくと心臓が破れそうなほど動く。


「あの、切島くん、ありがとう、助けてくれて」
「みょうじ、俺さ…!」
「嬉しかった」
「っ、みょうじ、俺!ごめん!あんな形で、みょうじに、その、触れちまって」
「わたし全然嫌じゃなかった、よ」
「俺、みょうじが好きだ。俺と付き合ってください」


あんなの出来事を経て、好意に気づかないわけなんてないのに、それでも真っ直ぐに向けられた好意は眩いほどに輝いて、頬を熱くさせる。「わたしも、」と小さくうなずくのを合図にぎゅっと強く引き寄せられて抱きしめられる。片思いじゃなかった。切島くんも、同じ気持ちを抱いてくれていた。頭を軽くぽんぽんと撫でられて離れた距離がまだもどかしくて、頬を簡単に緩めていく。


「帰り、アイス食いにいかねえか?」
「食べたい!ソーダのやつ!」
「あー、やべえ、夢見てるみたいだ」


日常に溶け込む切島くんの姿はきっとこれからも変わらない目に見える恋の形なのだと思う。見上げた横顔がこれでもかと言うくらい赤くなっていて可笑しくなったことは、わたしだけの秘密であればいい。


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