わたしの欲しいもののひとつ、太陽を目一杯吸い込んだ海面みたいにキラキラと透けるような金髪。そんなことは願っても叶わないのだけど。窓ガラスにぼんやりと反射した何とも言えないぼやけた自分の髪の色に溜め息が出た。「なーに溜め息ついてんの」と一佳がぽんと肩を叩く。一瞬にして、がやがやとひとの声の溢れる食堂の喧騒がわたしの鼓膜を一気に揺らして戻ってくる。


「もー話聞いてた?」
「ごめんね聞いてなかった」
「なまえらしいっちゃらしいけど。で、なまえはさあ、気になるひととかいないの?」
「んん、気になるネ!」


天下の雄英高校ヒーロー科とはいえど、みんな所謂花の女子高校生。少しばかり落ち着いてきた今日この頃、頻繁に花が咲くのはやっぱり恋愛話である。切奈の一言に目をぱちくりさせるとポニーちゃんがキラキラとした目を輝かせ、唯ちゃんがコクリ、とうなずく。気になるひと、気になるひと。


「わから、っわあ!」
「どこに足つけとんだクソボケ女」
「イライラしないでよ、でもごめん」
「…だッれのせいでこんなイラついとると思っとんだブス!」


わからない。そう返事をしようと思っていたところだった。少しばかりテーブルからはみ出していた足に遠慮なくぶつかってきたその人物、爆豪勝己。爆豪くんのことを知ったのは、例のヘドロ事件でもなく、彼が一位合格となった入試の仮想敵戦でもなく、初めて雄英高校の制服に袖を通してワクワクと心躍らせた電車の中だった。具沢山のスープみたいに通勤や通学でごった返す人びとの間をギュウギュウに押し込められて息苦しかった。いろいろなひとのにおいに胸が潰されて酔いそうになっていたわたしの鼻先を掠めたのは、とろりとあまい春先によく似たにおい。ふと、顔を上げるとわたしの視界はただひとりに奪われた。よく手入れされた上品な猫のような透けるような金髪、朝だというのに煌々と熱を帯びるルビーの輝きを灯した瞳、そして同じ高校の制服。どこか鬱陶しげに吊革につかまる彼のへの字の口すら完璧なものに見えた。整った顔立ちよりも、それよりも彼の纏うその空気感にそわりと肩の辺りから鳥肌が立った。電車のアナウンスや線路を駆け抜けるリズミカルな振動の中で、イヤホンから小さく刻まれる音楽。誰のどんな曲かわからなかったけれど、彼のことをもう少し知りたいと思わせるほどだった。…まあ実際、こういう人だったのだけれど。あの時は言葉を交わすこともなく、同じ駅で降りたものの人の波にのまれて彼のことを知る由もなかったのだけど、後々彼がヒーロー科のA組でわたしがB組ということを知るのであった。

爆豪くんがやたらめったら突っ掛かってくるようになったのは、確か秋頃にA組とB組の合同授業を経てからだった。2対2の対人演習。結果から言うと、わたしは爆豪くんのチームと当たって、爆豪くんをあと一歩というところまで追い詰めて隙をつかれて負けた。センスも抜群にいいと言うのは対峙して改めて分かる。爆豪くんは強い。爆豪くんの強さは彼の中にひとつ、絶対ブレない芯みたいなものが存在していて曲げないところだ。だから相手が女だろうが誰だろうが顔面に爆風をぶっ放してくるわけだ。爆豪くんが戦いの最中、ニイッと不敵な笑みを浮かべたのが何故だか心臓を疼かせた。


「爆豪くん、強いねえ」
「黙れクソ」
「…はあ、」
「次は絶ッ対ェ!完膚無きまでに叩き潰す!」


これがわたしたちが交わした初めての言葉だった。そしてその日を境に、より強くわたしの瞳は、揺れる小麦畑みたいな金色を視界の端に捉えることとなる。

・・


前髪を、誰にも気付かれないほどほんの少しだけ切った。そんなだけでも割と気分は変わるもので、移動教室の道のりでさえ何となく気分が上がるものに感じるのはなんだか不思議だ。一佳たちと談笑しながら教科書やノートを抱きかかえ、目的の教室に向かう。「あ、」A組も、移動教室なのか。前から、あの日と変わらない金髪をなびかせて王者の風格を持て余すライオンのように悠々と爆豪くんが切島くんたちと歩いてくるのが見えた。切島くんの赤毛はよく目立つし、上鳴くんだって金髪なのに、それでも目に飛び込んでくるのはどうして爆豪くんなんだろう。不貞腐れたような表情の爆豪くんがふとこちらに目を向けてニヤリと悪どい笑みを向けた。すれ違う間際、おい、と小さく呼ばれて足を止めた。


「だっせェ前髪」
「…切ったの気づいたの君だけ」
「ーーッうっっっせェ!思いあがんなよブス!」
「はいはい」


みんなに置いてけぼりをくらわないよう、軽くあしらって一佳たちに追い付く。「何言われてたの?」「何でもない、いつもの」「爆豪も懲りないね」そんな会話をしながら、ちょっとだけ後ろを振り返ったら切島くんや上鳴くんに何か言われたのだろうか「うっせえ爆破すんぞカス!!」と両手からバチバチと火花を散らしてブチ切れる爆豪くんの姿が見えた。みんなにバレないように少しだけ、下を向いて唇を噛み締めてどうやったって上がってしまう口角をなだめた。どうしてこんなに心がスキップしたくなるほど弾んでいるのだろう。前髪を整えるよう、そっと触れる指先の熱のことを、なんとなくこれからも忘れない気がした。爆豪くんの言葉が頭の中でくるくる回って喉元を甘ったるく染め上げる。前髪、お洒落に敏感な希乃子や一佳たちだって、気付いてないのにな。

・・


夕暮れ時の図書室は神秘的で、秘密を抱え込むにはうってつけの場所という感じがする。差し込む橙から伸びる影が本棚に張り付いて、ゆらゆらと揺れて今にも離れて動き出しそうだ。今日は珍しく誰も居ないようで自分の呼吸ひとつぶん、だだっ広い図書室に霞んで消える。


「おい前髪ダサ女」
「へっ?」


思いがけない来訪者に間抜けな声が出た。爆豪くんだった。無表情とも不機嫌ともとれるその顔は相変わらず整っていて、今日もその口角は上がらない。爆豪くんも本読むんだ、と似合わない姿に口を開けたまま彼の顔をじっくりと眺めてしまった。爆豪くんが何か言いたいことがある、と言わんばかりに腕組みをして本棚にもたれかかる。橙が金色に溶け込む。


「俺の毎回毎回視界をチョロつきやがって」
「理不尽」
「ムカつくんだよ」
「嫌いだってわざわざ言いにきてくれたの?」
「あークソ!」


苛立った爆豪くんがつかつかと歩み寄って、そのまま両手をわたしの耳の横にダン!と叩き付けた。殴られるのかと思った。彼なら殴りかねない。思わずギュッと目を瞑って薄っすら少しずつ瞼を持ち上げた。陶器のように艶やかな頬をやけに赤く染めた爆豪くんがわたしの左側の髪にそっと触れたのがわかった。


「ムカつく、」
「……」
「かき乱してきやがって、マジでムカつくんだよなァ」


言葉の鋭さに反して爆豪くんの指先は意外と優しく左側の髪の毛を耳にかける。あっ、まずい。慌てて耳元を隠そうとするわたしの手のひらを固く掴んだ爆豪くんの考えていることがわからない。


「ピアスしてんじゃねェよ、しかも軟骨」
「ん、バレちゃった」
「気づいとったわ、対人演習ン時からな」


雄英高校に受かった記念に何か残しておきたくて、本当はダメなのだけど、軟骨にピアスを空けた。これは、わたしの中の小さな秘密と、頑張れるようにの願掛け。普段は透明ピアスを付けてるし髪の毛で隠してるから絶対バレないのだけれど、今爆豪くんは演習の時から気付いていたと言った。どうして、爆豪くんはわたしのことをそんなに知っているの。上手いこと言葉が出てこない。わたし馬鹿になってしまった頭は爆豪くんの羨ましいほどやわらかそうな髪の毛を見つめることしかできない。


「…大人しい顔して、悪ィ女」


爆豪くんが耳元に顔を寄せてわざとらしく言う。しなやかな指先がわたしの耳朶をつう、となぞって、ぞわりと腰元から這い上がるような疼きと背徳感に指先から痺れてしまいそうになる。それだというのに、わたしはと言うとこんな時にクラスの友達の言っていた言葉を朧げに思い出していた。「一目惚れってあると思う?」一目惚れなんて、本当にあるのだろうか、とあの時のわたしは思っていた。後から理由を都合よくこじつけて、ロマンスにロマンスを重ねて運命だとか必然だとか言うことをいうのだろうか。しかしこの感情に答え合わせをすると、あれはやっぱり一目惚れ、だったのかもしれない。この気持ちに気付くよりも先に、目が、無意識の中の意識が追いかけていたあの時から、わたしはずっと。爆豪くんも同じだろうか。「なァ、なまえ」その答えは、視線を交わして4秒後、重なる唇により分かることとなるのであった。ああずるい男。


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