かっちゃんが、変わった。秋になった葉っぱが、緑から黄色、黄色から赤といつの間にかゆるりと姿を変えていくように、緩やか穏やかに、かっちゃんは変わっていった。理由は明確だった。


「おーす」
「なあ緑谷、横いいか?」
「あっ、切島くん!もちろん!って、珍しいね?いつもはかっちゃんと一緒なのに」
「爆豪なら、みょうじんとこ」


ガヤガヤと賑わう食堂に、いつもはかっちゃんと来る切島くんと瀬呂くんが珍しくやってきた。大きな天窓から見事な鱗雲が見える日だった。いただきまーす、と切島くんたちが手を合わせてカツ丼を食べ始める。僕の前に座る轟くんも左隣にいる飯田くんも、みょうじさんとかっちゃんの組み合わせに些か疑問を抱いているようだ。けれど、僕は気付いている。かっちゃんのみょうじさんに向ける視線に含まれたほんの少しの柔らかさの意味とかっちゃんの釣り目がよく見ないと分からないほど少し下がることを。僕が一番最初にそれに気付いたのは相澤先生の座学の授業のことだ。葉隠さんがプリントを回す一瞬、たった一瞬の間があったのだ。いつもならさっさと受け取って、僕に投げつけるように速攻プリントをよこすかっちゃんが頬杖をついたまま、視線を左に向けていた。体調が悪くてぼんやりとしていたわけでもなく、考え事に憂うわけでもない。それは、今までのかっちゃんではあり得なかったようなことだったのだ。かっちゃんは王様で、自分以外の人間は視線を奪うに足りない。強いて言えば、かっちゃんの視線を奪えたのは、オールマイトくらいだ。それくらいにかっちゃんは誰かになびいたり憧憬することはないのだ。寧ろかっちゃんの素行は粗暴にも関わらず天性の才で待ち合わせたカリスマ性で色々なひとの視線を総ナメにしてきた。例えば、かっちゃんのそのカリスマ性と将来有望な個性を持った肩書きに惹かれたひと、やんちゃで強い男の子に憧れ恋慕の情を熱烈に送る女の子。かっちゃんにはそんな視線も取るに足らないその他大勢で、そんな物はどうだっていい。そんな風なかっちゃんがみょうじさんというたったひとりのことを素直に真っ直ぐに見ていた。


「なっっに見とんだクソナードが!!」
「えっ!いや、ご、ごめん…!」
「おいそこうるさいぞ」
「チッ、はよ受け取れや!!」


やっぱりプリントは投げつけられるみたいにして僕の腕に飛び込んだ。あわや大惨事だ。僕のぽかんとした顔を見て怒り狂うかっちゃんは、まるで導火線に火をつけた爆弾だ。相澤先生の言葉にすら舌打ちをするかっちゃんを見て、僕の左斜め前からぶふっと吹き出す音が聞こえてクスクスと笑いを堪えて肩を震わすみょうじさんの手で覆った顔から困った眉が見えた。僕たちのやりとりがそんなに面白かったのかな…!と思いながらも、かっちゃんはみょうじさんに怒鳴りつけることはなかった。ああ、そうか。そうだったのか。かっちゃんの耳がほんのりと赤い。


「どうして、みょうじと爆豪が?」


轟くんが箸を止めて切島くんに問う。へ?と切島くんは間の抜けた声を出したし、瀬呂くんはニヤニヤと今にでも悪戯しそうなやんちゃな笑みを浮かべる。


「爆豪が、みょうじのこと好きだから」


まだ片思いだけどな…あれ、みんな知らねェの?キョトンと目を丸くした切島くんと、驚きを隠せない轟くんと飯田くん。瀬呂くんは「あーあ、言っちまったねえ」と爆笑している。切島くんが喧騒の中でさらりと、けれどはっきりとかっちゃんの思いをぽろりと溢したことで僕の憶測は決定的となった。瀬呂くんたちの他に上鳴くんたちもかっちゃんの恋心を知っていたらしく、瀬呂くんや上鳴くんの最近のニヤニヤしたり、かっちゃんに耳打ちして爆破されかけたりの理由もすっぽりと当てはまる。喧騒の中ではっきりと告げられたそれと誰かが食べているデザートの甘い香りによく似ていた。それから、かっちゃんとみょうじさんが恋人同士になるのに、そこまで時間を要さなかった。雄英での生活がちょうど1年、経つか経たないかくらいのことだった。学校中で有名なかっちゃんがたったひとりの女の子に恋をして、それを成就させた。その話題は容易く広まった。あの爆豪が?とか彼女はどんな人なのだろう?と驚く人は山程いたのだけれど、みんなみょうじさんを見て、こんな可愛い人が?とか、脅されているのか?と驚いた。当然だと思う。それでも、一見ミスマッチなようなふたりだったけれど、どの人もふたりが一緒に居るところを見るとお似合いだと口を揃えて言う。僕もそうだと感じた。その意味は、ふたりのルックスだけではなく、ふたりの纏う空気感が凸凹なのに、それがうまくぴったり当てはまるようにしっくりくるのだとかを指していたと思う。何にせよ、かっちゃんがあんなに穏やかな姿なんて見たことないし、廊下を歩いている時とか、寮に帰る時とか、かっちゃんがさり気なくみょうじさんに近づいているところを見てしまったら、かっちゃんも当たり前に人の心があって、たったひとりの女の子の前ではたったひとりの男の子なんだと安心したりもした。


「(遅くなっちゃったな…!)」


そんなある日、トレーニングを終えて自室に戻ろうとした時である。Tシャツが汗で背中に張り付く気持ち悪さを感じながら足早に共同スペースを通り抜けようとした。が、僕はすぐ曲がり角で足を引っ込めてしまった。なぜなら、ソファの背もたれのところに見覚えのある金髪が立っていたからだ。反射的に隠れてしまった。かっちゃんの向こう側にももうひとつ、頭が見えた。タイミングの悪さにウッと喉を詰まらせたし盗み見るつもりもなかったのだけど、結果盗み見る形になってしまった。

***


春とは言えど、まだ肌寒い。お気に入りのカーディガンを仕舞うのはまだ先になりそうだと少し嬉しく思いながら、先程お湯を注いだばかりのカップに息をふうふうと吹きかけた。カフェオレの甘い匂いがふわりと鼻先をくすぐる。けれどわたしはこの季節が好きだった。切ないような冬の面影を残したまま、春が手を差し伸べている。


「おい、なまえ」
「えっ、かっちゃん?」


突然呼ばれた名前に少しびくりと肩が跳ねたけれど、その声の主に少しだけ嬉しくもなった。かっちゃんは、1ヶ月と少し前に恋人同士になったばかりだった。この数ヶ月間で、わかったこととわからないことがある。わかったこと、それはわたしがどうやらかっちゃんにいつの間にか惹かれていたということ。いつからだかわからない。明確なこれと言った理由もない。それなのに太陽に透ける柔く美しい、やわらかな小麦畑みたいなその髪をいつからだか目で追うようになっていた。頭や戦闘のセンスは抜群に良いけれど、はっきり言って素行がいいわけでもなくて、「俺と付き合え」だなんて不良が喧嘩を売るような色気のない告白しか出来ないこのひとに、わたしはどうしてこんなにも心臓の鼓動をはやめているのだろう。それなのに向けられた視線の意味だとか恋愛に関しては驚くほど不器用なところだとかを知って、その色気のない告白にですらわたしの頬は高揚してしまうほど、わたしはかっちゃんのことが好きだ。そして、わからないこと。それは、かっちゃんがわたしをかっちゃんの恋人に選んだこと。


「何やってんだ」
「カフェオレ飲んでる」
「そういうことじゃねえ」
「かっちゃんこそ何やってるの?」
「べっつに何でもねェわ」


やや強調されたW別にWに笑ってしまうほどにわたしはかっちゃんに甘い感情を抱いている。ソファの上に行儀悪く体育座りで折りたたまれたスリッパを脱ぎ捨てた素足。その指先は少しだけ早い夏の浜辺に打ち上げられた珊瑚の色をしている。かっちゃんのため、だなんて押し付けがましいことは思わない。けれど、自分が好きな色を乗せたその爪先はかっちゃんのことを考えて塗ったのも事実だ。気づいて欲しいのならば自分で可愛らしく言えばいいのにそれが言えないからわたしは可愛くない。伝えたところで甘い言葉が聞ける訳ではないのだけど。というかそういうことをかっちゃんの口から聞けた日にはこの世界の終わりの日なのかも。兎にも角にも、かっちゃんがそんなことに気づくわけもないのになあ。なんて言い訳を考えたら少し恥ずかしくなったりして、机にカップを置いて自分の爪先を手で隠した。かっちゃんが隣に座ったらしく、ぐんとソファが沈む。わたしの背中の辺りに腕を回され、かっちゃんの腕とわたしの肩が触れるか触れないかの位置に置かれる。


「前髪、きっただろ」
「えっ?!」
「あと、爪も」
「う、うん…!」


かっちゃんがそっぽを向いてわたしに言う。瞬きするたびにかっちゃんの睫毛が上下に動いて、それがひどく愛おしいだなんて。かっちゃんのことをまだよく知らない。それでも、今わかった事がある。


「悪くねえんじゃねえの」


そのまま頭をガシガシと強く撫でられた。目頭がじんと熱くなって、ぶわっと頬に熱が集う。わかったこと。それは、かっちゃんがわたしのことを好きだということ。人よりも体温の高いかっちゃんの手のひらが意外と優しいことを感じたら、理由なんて探すのが馬鹿みたいに思えた。隣にいて嬉しい。それでいい。けれど、いつかわたしを好きなところを教えてくれたらもっと嬉しい。…うん、わたしは、かっちゃんの恋人だ。そのままかっちゃんに気づかれないようにそっと少しだけ近づいた。

***


何を喋っていたかはわからない。けれど、かっちゃんのそっぽを向けた顔が今まで見たことないくらいに柔らかで、みょうじさんの目じりがとろりと優しく下がって、ああ、このふたりは結ばれるべくして結ばれたのだと心臓がきゅっとした。蕾が花開くようにふわりとあたたかなこの気持ちは何と呼ぶのだろう。そわそわと胸の奥を撫で付けながら、気づかれないように僕はそっとシャワールームに向かうのであった。



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