「爆豪くんのこと、好きでいてもいいですか」
それはわたしが爆豪くんとまともに向き合って話した最後の会話だった。この会話というには満たない一方的な言葉を放り投げたのは中学最後の、卒業式の後のことだった。わたしは、ずっとずっと、爆豪くんが好きだった。きっかけは本当に些細なことだったのだ。廊下に広がるように歩いていた爆豪くんの仲間の肩がわたしにぶつかって、ペンケースや教科書を落としてしまったことがあった。わりー、と去ろうとした爆豪くんの仲間にわたしの友達が少し嫌味を言い放つも効果はなく、無残に散らばったペンケースの中身を友達と拾い集めた。爆豪くんと言えば、折寺中学の王様だった。下がったズボンが示すように、彼の素行は不良そのものだった。それなのに成績は常に学年一桁、将来の夢は一流のプロヒーロー。それに、あの雄英高校を受験するのだという噂も聞いた。わたしの人生と交わることのない線上を大股で堂々と歩くような人生を送っているようだった。そんな雲の上の存在が「おい」とわたしを呼び止めたのだ。自分に言われたとは思わなかったわたしはそのまま歩き出そうとしたのだが、足は進むことはなく、そのまま肩を掴まれ無言で消しゴムを投げるように渡されたのである。時間にしてみればほんの数秒の出来事が世界を一変させた。ぶっきらぼうで愛想もなくて、それなのに真っ直ぐ突き刺すようなルビーの破片が目の奥に刺さって抜けない。ありがとうも言えないまま、わたしはその場に餌を待つ鯉のようにぱくぱくとさせて、なぜだか輝いて見えた爆豪くんの背中を見送ることしかできなかった。冷静になってみれば、それはただのギャップだったのかもしれない。不良が人助けをしたら驚かれるとかそういう類いのものには近いような気もしたが、恋に落ちるのなんてそれだけで十分だった。その日からわたしの目は爆豪くんを探してよく動くようになったし、爆豪くんたちのクラスと合同になった時なんて授業どころではないほど揺れ動く心臓の高鳴りを押さえつけるので必死だった。無謀な恋だったと思う。けれど、うちに秘めた恋心の鮮やかに芽吹くその色の広がりをやはり無下にはしたくはなかった。
「しかし、なまえが爆豪くんを好きになるとは」
「こ、声がおっきいよ…!聞こえちゃう…」
「ごめんごめん。でも、爆豪くんかあ、意外過ぎるよねえ」
ばすん、と重い音と同時に、ゴールにバスケットボールが吸い込まれていった。得点を決めてもさも当たり前だと言わんばかりの自信に満ち溢れた笑顔は、歓声と爆豪くんを取り囲む友達で見えなくなっていった。爆豪くんのクラスと合同になることが多かった授業は体育だった。それまで得意ではなく憂鬱だった体育は一瞬で好きな科目に順位を上げた。爆豪くんは運動神経まで良かった。天は二物を与えず、と言うのに二物以上を与え過ぎているなあと思う。サッカーをしてもバレーをしてもソフトボールをしても、爆豪くんはいつだってエースと化す。そしてその姿が目に焼き付けられるたびに、やっぱり交わりそうにもない自分の平々凡々な人生とスーパースターのような右肩上がりの人生を送るであろう爆豪くんを好きであることを烏滸がましくも思ってしまうのだった。雲の上の人を好きにはなったものの、そこまで苦しくはない片思いにわたし自身満足していたのだけど、やっぱりこの間消しゴムを拾ってもらったくせに御礼のひとつも言えなかったことだけが心に尾を引いて残っていた。しかし、こんなわたしにも、神様がチャンスをくれたらしい。友達に囲まれてはいるものの、試合を終えた爆豪くんが休憩をとるためにわたしの横に座ったのである。次のグループの試合が始まった。ボールが地面とぶつかるドリブルの音に負けないくらいに、心臓がばくばくと弾けた。このチャンスを逃したら、きっと先は無いかもしれない。
「あ、あの」
「あン?」
ドリブルのずっしりと重たい音、体育館シューズがワックスのかかった床と擦れる音、歓声。その中で爆豪くんに向けた小さな一言が運良く届いたのだ。誰だこいつと言わんばかりの視線に言葉を詰まらせたけれど、爆豪くんが気のせいだと思わないように次の言葉を紡ぐ。
「その、こ、この間は、消しゴム拾ってくれて、ありがとうございました、」
「……あ、」
「なあかっちゃん、数学の宿題やった?」
「んなもんやったに決まっとるわ」
突然のことに爆豪くん自身も戸惑っているようだった。わたしにとっては、電撃の走るような出来事だったのだけれど、爆豪くんにとっては駆け抜ける日々の中の出来事の、それも気にも留めないような1ページにも満たない出来事だったのだろう。爆豪くんの目を見て御礼が言えたのだけは、自己満足だ。正直、爆豪くんの友達が話しかけてくれて良かった。「お前誰だ」とか「何の話だよ」とか、無かったことを事実として目の前に突き付けられたら絶対に凹んでいた。わたしがどこのクラスの誰なのかを追求してこないという事実も、傷つかなくてよかったかもしれない。爆豪くんのことをまだまだ知らない。これからも知ることは出来ないかもしれない。それでもピカピカにワックスの掛かった体育館の床の反射を受けてなお、負けないほどに輝く透き通る金髪も、ルビーの瞬きを灯した純粋な強さを持つ瞳も、わたしには無いものをたくさん抱える彼の背中の逞しさはわたしの恋心を簡単に揺さぶり続けるのだろう。
「爆豪くん、少しだけ、時間、いいですか」
「…別に」
「かっちゃん行ってこいよー!」
「モテる男は違うねえ」
「うっせェモブ共黙れや」
結局、卒業までこの恋心は息を続けた。桜の蕾がふくふくとふくよかに頬を染める卒業式、4月からこの学び舎に来ることはないという現実と、もう爆豪くんの姿を校内で見ることはないという寂しさが足元でぐらつく。爆豪くんは雄英高校に、わたしは別の高校への進学が決まっている。爆豪くんには二度と合わないかもしれない、話すことができるのも最後になるかもしれない。最後、というワードが弱虫の背中を押した。おへその辺りがきゅっと苦しくなるような緊張感で足がすくみそうだったけれど、爆豪くんは意外にもわたしに時間をくれるようだった。
「あの、えっと、」
「……」
明らかに告白であるに違いないこの雰囲気に急かすこともしない爆豪くんは意外と優しいひとなのかもしれない。もしかしたら、このシチュエーションに慣れ切っていたり、呆れていたりするだけかもしれないのだけど。そっと顔をあげたら透き通る白い肌と鋭さを持つルビーの瞳が春の日差しに柔らかに滲む。
「爆豪くんのことが好きです」
大切な贈り物リボン紐を解くように、するりと口から溢れた。爆豪くんはほんの少しだけ瞼をぴくりと動かしただけで動揺する様子もない。きっとモテる爆豪くんはこんなの日常茶飯事に違いない。両思いになりたいとか図々しいことは言えないけれど、色鮮やかに芽吹いたこの色をしまっておくにはまだ鼓動をし過ぎている。
「爆豪くんのこと、好きでいてもいいですか」
これがわたしの答えだった。ふたりの間を春の風がびゅうと強く吹いた。一歩、二歩と少しずつ、爆豪くんから離れてそのまま背を向けて走り出す。追い風が背中をぐんぐん押して今までで一番早い速度で走っているような気がした。校舎から離れてしばらくしたところで息を整えるようにして胸を押さえて振り返る。爆豪くんはきっと、なんだあの女とか名前も知らせず好意だけ向けられて気持ち悪がっているだろう。言い逃げも良いところなのに、何故だかわたしの心はすっきりとして、背筋もしゃんと伸びた。まだ整わない息が吐き出されるたびに爆豪くんの好きなところがぽわぽわと浮かんで弾けて、ああわたし、本当に恋をしていた、と思うのだった。
真新しい制服もようやく身体に馴染んできた。憧れだったチェックのスカートとブレザーは何度着たってわたしを少し、大人にさせる。爆豪くんに告白というには足りなさすぎる言葉を伝えた卒業式、その後は当たり前に爆豪くんに会えることはぱったりなくなったけれど、電車の中で雄英高校の制服を見る度にもしかして爆豪くんでは、という期待が電気みたいぴりりと走る。きっと、あのグレーのブレザーは彼によく似合っているだろう。未練というにはあたたかすぎて、愛情と言うには知らなさすぎるそれは、憧れにも似た好意だったのかもしれない。夕暮れの橙と電車の路線を走る軽快なリズムに少し欠伸をかみ殺す。イヤホンをそうっと耳にはめて最寄りの駅に降りた。しかしそれは、突然に訪れた。ぐんっと腕を引かれる感覚に小さく悲鳴を上げて振り返ると、白昼夢でも見ているのかと思う光景がそこにはあった。わたしの腕を掴んでいるその人は、まぎれもなく爆豪くんだったのだ。
「やアっと、見つけたわ、!」
「ば、ば、爆豪くん?!」
「ちょっとツラ貸せや」
少しだけ肩で息をしている爆豪くんの少し汗ばんだ額とぎゅっと掴まれたまま引かれる腕を交互に見やる。引っ張られる腕は決して痛くはなかった。連れていかれた場所は駅のベンチだった。ベンチは夕暮れであたたまっていたけれど、今のわたしには暑いくらいで、においとか髪の毛とか、大丈夫かなとソワソワしてしまう。ちょっと座っとれや、と座ったままで3分ほどすると膝の上に投げられた缶ジュースがちょうど心地よく身体を冷ましていった。
「ジュース、ありがとう。お金払うね」
「いらねえ」
「そ、そっか…」
「おい言い逃げ女」
「い、いいにげ…!」
噛み合っていないような会話だけど、夢みたいで、ひとりで浮かれているわたしの脳みそは馬鹿になってしまっているのかもしれない。いや、きっともう可笑しくなってるのだ。隣でプシュ、と小気味のいい音を立ててゴクゴクと喉を鳴らしてコーラを飲み干す爆豪くんをチラリと見やる。やっぱり雄英のブレザーは爆豪くんにぴったりだったけれど、中学の頃と同じようなズボンの下がり具合にはなんだか少し安心してしまう。爆豪くんが、ゆっくりとこっちを見る。
「お前のことが頭から離れねえ」
「へ、」
「やっと見つけた」
どくどくと駆け巡る血潮の熱っぽさと、これは肯定的な気持ちなのかとそわりと小さく鳥肌が立った。橙に溶けてしまいそうな色の髪の淡さと芯の強さを反映させたような瞳は相変わらず美しくて、そこに映されているのはまぎれもなくわたしで。
「名前教えろ」
「みょうじなまえ、です」
「なまえ」
「爆豪くん、なんか、緊張しちゃった…!」
「なんでだよ」
「……好きだから?」
「俺に聞くなや」
わたしの名前って、こんなに特別なものだったっけ。爆豪くん、爆豪くん、わたし、自惚れてしまいそうだよ。爆豪くんの少し緩んだ口元の尊さにわたしも思わず視界が滲むほど目が細まった。これからどんな風に広がっていくのかなと少しの期待と今すぐスキップしたくなるような高揚感。スタートラインにようやく足を踏み入れたくらいの恋心。これからもたくさん爆豪くんのことを知れたら嬉しい。食べ物は何が好き?休日は何をしてるの?どんな女の子が好き?誰かと時間を重ねるということは緊張するしちょっぴり怖い。それでもわたし、まだまだ恋をしていたいみたいだ。