最悪だ最悪だ最悪だ!もう全部全部全部あいつらのせいだ!頭の中をぐるぐる回り続ける、したり顔の瀬呂、にやにやと悪どい上鳴、そしてわたしの全てをおかしくしている元凶の、切島。やつらのせいで、ここ一週間、わたしはもう最悪におかしい。それはもうわかりやすく、切島のことを避けてしまっているのだ。その度に、瀬呂と上鳴はわかりやすくにやにやとこっちを見ているし、今までの態度と一変した様子にクラスの女子たちは不思議そうにしていた。それに、なによりも、切島のぽかんとした顔が頭から離れないのはどうして?わたしと切島は、どっちかと言えば仲は良い方だった、と思う。それも、男女の友達、というよりは、なんだか男友達のような扱いが多かった。お茶子や梅雨ちゃんたちみたいに可愛らしいとは程遠いわたしは、やつらにあまり女子という扱いをされていなかったはずだった。ふざけて肩を組んでくることなんてまあ普通だった。はいはいと手を払いのけたり、寧ろそんなこと今まで気にしたこともなかった。瀬呂やら上鳴ならなんとも思わない。けど、だ。


「なあ、みょうじ!昨日の8時からのテレビ見た?」


お茶子や響香、梅雨ちゃんたちと休み時間に談笑している時だった。ガシッと首回りに腕が回される。わたしの背中の方で話していた男子たちの輪から抜け出してきた切島の、腕だった。声の聞こえる左側に顔を向ける。


「ひゃ、!きっ、切島、!」
「え?」
「ちっ、ちがうの!テレビは見たよ面白かったねそれじゃ」
「みょうじ?!ちょ、え?!おい!」


切島の腕を振り払って、ものすごく不自然に立ち上がって教室から出てしまった。ああ、またやってしまった。話しかけられれば顔に熱が集まって、目が合えばふいっと逸らしてしまう。それでもここまで露骨なのははじめてだった。切島からしたら、わけがわからないだろう。切島じゃなくたって、ほかのみんなもわたしのあまりにも不自然な態度に困惑していたと思う。楽しんでいるのは、たぶんそんなわたしを見ている瀬呂と上鳴だけだ。当てもなく廊下をうろついていると、予鈴の音が聞こえてくる。慌てて教室に戻って、空気のように誰とも目を合わせないようにして席に着いた。


「なまえちゃん、大丈夫?顔が赤いわ」
「ありがと、大丈夫」


梅雨ちゃんがくるりと振り返って心配そうにわたしを覗き込む。梅雨ちゃんが心配してくれた通り、まだ頬が火照っていた。左斜め前の赤がまた目に入ってしまったりして、見ないように顔もぐっと右側に向けた。そもそも、どうして、こんなにも乱されるほどにおかしくなってしまったのだろう。切島が、わたしのことを、かわいい、って思ってるって、聞いてから?かわいいなんて単語、誰かとの会話で毎日のように聞きな慣れた単語なのに、どうしてこんなに、意識してしまっているんだろう。寧ろ、かわいいっていうのは、目の前に座っている梅雨ちゃんみたいな子のことを言うのだ。相澤先生が気怠そうに入ってきてプリントを配る。回ってきたプリント越しに切島と目が合ったような気がして、入ってもこない文字に無理矢理視線を合わせる。切島って、わたしのこと、かわいいって、本当に思っているの?それは、もしかして、ほかに大きな意味を含むのだろうか。それは、わたしをおんなのことして、かわいいって、思ってくれてるということ、なの?


「(切島って、おとこのこ、なんだよなあ、)」


ふざけてガシッと首回りに回される腕はわたしの腕より随分と筋肉質で、せっかく直した癖毛をデリカシーなくわしゃわしゃと撫でてくる手のひらだって思い返せば大きくて、身長だってゆうに頭ひとつ分大きいのだ。チラリと見やる左斜め前。やっぱり、切島の肩幅は意外としっかりとしていて、わたしなんかよりおとこのこで、こんなに頬を赤らめて馬鹿みたいに意識しているわたしはまぎれもなくおんなのこで。わたしは梅雨ちゃんやお茶子みたいに可愛らしい要素なんてない。素直にもなれないし物言いはキツい。ピンクよりも黒が好き。それなのに、たったひとつ、切島にかわいいと思われていたことが、こんなにも心臓を染め上げるように嬉しくて、キュウっと縛られるように恥ずかしいだなんて。けれど、頭を不器用に撫でられたり切島から話し掛けてくれることは、なんとなく、満更でもなかったのだ。その心地よさの意味はまだ確信はできない。そんなことばかり考えていたら放心状態で授業では散々だったけれど、透き通る感情が、心臓から脳の奥まで溶け込んで芽吹いてあたたかくなったことだけはなんとなくわかった、ような気がする。

***


「ごめん、わたし図書館寄ってから帰るね」
「わかったわ」
「じゃ、また後でー!」


ハイツアライアンスに先に帰った梅雨ちゃんとお茶子に手を振って、図書館へ向かう。本当は、なんとなくひとりになりたくって、できれば、こんな自分らしくない自分の感情をちゃんと整理して、向き合わなきゃと思い立って、図書館に行こうと決めたのだ。なるべく人気の少ない階段を選んで駆け上がる。窓から眩しいくらいに刺さる夕暮れの橙。階段を上りきってはた、と足を止めたのと同じくらいだった。


「みょうじ?」
「えっ、え、!きっ、切島!」


自分の向き合おう、という決心はできていた。でも、まだしっかりと向き合えていないのだ。それなのに、こんな、タイミングって。先ほど静まった鮮やかな感情がどっくんどっくんと喉のあたりを強く波打って、頬を伝って熱くする。思わず後ずさって逃げようとしてしまった、のに。左手首に強い力。強いけど、痛くない。あったかい。


「みょうじ、待てって!」
「やっ、やだ、!」
「やだじゃねえって!」


恥ずかしさで、死んでしまいそうだ。切島が掴んだ左手首。切島の顔が素直に見られない。切島が頭上ですうはあと深呼吸を繰り返す音が聞こえた。


「みょうじ、なんで、最近そんな変なんだよ。あー、なんつーか、キツいっつーか…」
「…ごめ、」
「俺が宿題教えてってお願いした時からだよな?…もしかして、瀬呂たちに、なんか、聞いた?」


力が緩むのを見計らって、切島の右手から抜け出して腕で顔を覆う。頭がクラクラした。クラクラして、視界がぐらぐら揺れて、瞳に薄い膜が張って潤んだ。気管が狭まっているのかと思うほどに呼吸ができなくなった。眉の辺りに力が入って、眉尻がキュッと下がる。高熱が出たみたいに頭も頬もこれでもかというほど熱い。わたしはスカートで、切島はズボン。わたしは女の子で、切島は男の子。たったそれだけのこと、それだけのことが、はじめて飲んだブラックコーヒーみたいに苦しくて、みずみずしい果実を実らせるほど甘酸っぱい。切島がわたしの顔を隠す腕をぐっと掴んで覗き込む。かおが、ちかい。切島って、こんな、おとこのこだったんだ。


「みょうじ、な、んでそんな顔、してんだよ」
「だっ、て、はずかし、もう、むり…!」
「あー、そういうとこなんだよ…そういうとこ、かわいいって、おもってる」
「…かわいく、ないから」
「かわいいよ」
「っ、」
「だから、そんなかわいい顔したら、期待しちまうだろ」
「期待って、なに、?」
「俺、みょうじのこと好きだから、みょうじがそんなかわいい顔して恥ずかしがってくれたら意識してくれてんのかなって」


照れくさそうに、そして少し困ったように切島が優しくさとすように笑う。はじめて、真っ直ぐ切島のことを見れた、気がする。切島の頬もふわっと桃色に染まっているのは夕陽のせいじゃない。好き、好き、好き。頭の中でさらっと言われた言葉が何度も何度も何度も繰り返される。好き?すき?切島が、わたしのこと?わたしは、わたしは。


「わっ、わたし、わかんないの」
「…それは、俺、フラれたってこと?」
「ちがう!」
「じゃあ、」
「でも、切島が、その、かわいいって言ってくれたって聞いて、恥ずかしくて、もう毎日おかしくて、そんなキャラじゃないのに、でも、」
「おう」
「でも、切島っておとこのこなんだ、って思って、それで、わたし、」
「あークソ、みょうじ、めちゃくちゃかわいい」
「からかわないでよ、っ!」
「からかってねえよ。マジでかわいくて、俺だって、どうしようって思ってるくらいなんだぜ?みょうじは、女の子だよ。例えば、髪の毛とかすっげえさらさらで綺麗で、睫毛長えし、友達思いで、勉強もできて、普段ちょっとクールなとこあんのに意外に豪快に笑うとことか、確かにそんなキャラじゃねえかもしれないけどこんなに顔赤くしちまって、俺けっこー限界だったりするよ」
「へ、」
「俺は、女の子としてなまえがすきだ」
「きりし、」
「なまえが俺のこと、男だって思ってくれてんなら、その、付き合ってくれねえか?わかんねえって、さっき言ってたばっかだけどよ、なまえが、良いかなって思ってくれるなら、いつでも良い。返事、急かさねえから」
「…」
「なんか、いっぱい言ってごめん!困ったよな、じゃ、また」


切島が、一歩後ろに下がる。離れていく切島に、体の奥の方でチクンと小さい痛み。やだ、はなれたく、ない。いつのまにか呼ばれた名前も、ケーキのてっぺんを飾る苺のように特別感でいっぱいだった。もうそう思ったら、足が動いていた。はなれていく切島の服の裾を掴む。ほんと、ここ一週間自分のキャラじゃない。けれど、切島に女の子って、言われるのは胸の中の蕾が色づいて、膨らんで、花を咲かせるようにあたたかで嬉しかった。まだ、恋とか好きとかの本質はわからない。でも、この気持ちを、恋だとか好きだとか呼ぶんだろう。キャラじゃないかもしれない。まだ恥ずかしい気持ちだってある。けれどこんなわたしもわたしなんだろう。


「わたし、切島が、」
「切島が?」
「え、と」
「うん?」
「、すき」


切島の声にならないような、噛みしめるような声が聞こえてそのまま勢いよく腕を引かれたら切島の腕の中だった。指先から心臓の奥まで、オペラピンクに染まるわたし、女の子。


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