「なまえちゃーん、腹減ったァ…」
「おかえりー」
「ただいま。あーめっちゃええにおいするわ」


愛おしい恋人がお腹を空かせて帰ってきた。ちらりと玄関を振り返ると、お腹を押さえて情けなく眉を下げる姿に愛しくなって笑いが止まらない。美味しい湯気で曇るフライパンの蓋をパカっと開けて、じゅうじゅうとお腹の減る音を立てるハンバーグをひっくり返す。冷蔵庫には、生チョコタルトだって隠してあるのだ。


「おー、ハンバーグ」
「あとスパゲティとサラダ、それとコーンスープ」
「スパゲティ何のやつ?」
「明太子」


後ろから腰に手を回しながらわたしの首筋に何度か繰り返しキスを落としてそのまま鼻先を埋めた。くすぐったいよ、と言ったところで、んーとひとつ、炭酸の抜けきったソーダ水みたいな返事が返ってくるだけだった。今日は、よっぽど疲れたらしい。そのまま大型犬を撫でるみたいにして片手で頭をわしゃわしゃと雑に撫でた。

生きる上で最低限のこと。美味しいご飯、たいちゃんの腕枕、たいちゃんが生きていること、その他諸々。わたしの最低限は随分と欲張りらしい。学生時代からの付き合いのたいちゃんはぐんぐんたくましくなったし、たくさんのひとに愛されるヒーローになった。それでもたいちゃんは一直線にわたしのことを好きだという。それはわたしも同様であるのだけれど。エプロンのリボンを結び直して、お疲れモードのたいちゃんをソファまで誘導する。ぼすん、と鈍い音をたてて仰向けに寝っ転がるたいちゃんがじーっとこちらを見た。


「なまえちゃんは、俺の人生に絶対必要やわ」
「わたしもおんなじこと思ってたよ」
「あーかわい」


くんっと引かれた体はいとも簡単にたいちゃんに吸い込まれてそのままさっきわたしがしたのと同じようにたいちゃんは頭をわしゃわしゃと撫でる。尊い時間だと思う。ゼロ距離でのふれあいを、いまだに愛おしいと思う。たいちゃんはヒーローだ。痣を作ることもある、時には骨折や大きな傷を作ってくることもある。治癒で治してもらうで大丈夫や!とたいちゃんは言うけれど、そういうことなんかじゃないのだ。たいちゃんが傷つくのは、いやだ。玄関の扉が開いて、そこにたいちゃんがいる。たいちゃんに触れて生きていることを感じる。わたしには治癒の個性は備わっていないけれど、たいちゃんのお腹を満たして活力に繋げることはできる。名残惜しいけれどたいちゃんから離れてキッチンに立つと、しばらくしたら豪快ないびきが聞こえてまた笑ってしまった。

・・

「美味かった、ご馳走さん!元気出たわ!俺皿洗てくるでなまえちゃんは休んどき」
「わたしやるよ」
「あかんあかん!さっきちょっと寝かしてもろたし、なまえちゃんも疲れたやろ」


立ち上がろうとしたところで、たいちゃんにソファに押し戻されたので、優しさに甘えることにした。たいちゃんの独特な鼻歌とお皿がかちゃかちゃとぶつかり合う音が心地よかった。子犬の尻尾みたいな癖っ毛がぴょこぴょこ跳ねて愛おしい。少し元気になったようで思わずわたしの口元が緩む。


「なまえちゃん、こっちおいで」


とろりと甘やかすように、お皿洗いを終えたたいちゃんが甘い声色で両手を広げる。こうなったらわたしはそれにあらがえない。それを知っているであろうたいちゃんは自分で呼んだくせに、「ほんま、しゃあない子やで」と笑う。ひとしきり撫でられた後、するりと背中で結ばれたエプロンのリボンを解かれる。手首をそっと引き寄せて啄むようにキスを降らせて、熱っぽい指がやわやわとお腹を撫でた。たいちゃんの、スイッチが入る音がする。


「あっ、たいちゃん待って」
「あかん、待たれへんわ」
「だめ」
「ファットさんなまえちゃん不足やもん」
「可愛くいってもだめだよ…!バレンタインだから冷蔵庫に生チョコタルトあるよ」
「……なまえちゃんお手製の?」
「そう」
「それは聞き捨てならへんな」


大男のくせしてしゅんと拗ねても可愛いなんてずるいと思うところ、わたしもベタ惚れなのだ。たいちゃんの腕をするりと抜け出してつやつやとなめらかに出来上がったタルトをたいちゃんに見せると、くうっと下唇を噛みしめた。今日はわたしの勝ちだ。渋々フォークを用意するたいちゃんをやっぱり愛おしいと思う。


「「いただきます」」


ふたりで向き合って手を合わせたら思わず笑みが溢れる。口の端っこ、チョコをつけるたいちゃんのことを好きで良かった。生きる上でたいちゃんという存在は欠かせない。大きな口を開けて笑って、帰ってくる場所はここだよと甘ったるいにおいをさせて、時々もたれかかって。馬鹿っぽくたっていいや。とびきり甘ったるいまま、一緒に生きてくのだ。



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