バレンタインが大っ嫌いだった。浮き足立った世間の空気も、スーパーの甘ったるい特設コーナーも、ニュースに取り上げられるくだらないW恋人にしたいプロヒーローランキングWの上位に食い込む恋人のことも、全部含めて嫌いだった。自分よりもいちオクターブ高い声色で笑う女子アナの声を遮るように、テレビの電源を落としたら重たい溜め息が出た。どうせ今年も恋人は、大量のチョコレートやらプレゼントやらを持って帰ってくるのだろう。昨年度はこれでもかと両手の紙袋から溢れんばかりのラッピングされたお菓子たちになまえはげんなりしたものである。クリスマスよりも気軽に思いを伝えたり、贈り物を渡せてしまうこのイベントは、轟の恋人であるなまえにとって地獄であった。いちファンとして事務所にバレンタインの贈り物をする気持ちは痛いほどわかる。しかし、大衆からの好意の中には本気のものもあったりするのだ。恋人としては如何なものか。割り切れない思いとプロヒーローの恋人としての在り方はどちらに傾くこともなく不安定な天秤の上で揺れる。ベッドの上で転がるクッションを抱きしめたところでそれが揺れを止めることはなかった。こんなことで一喜一憂していてプロヒーローの恋人なんて務まるのだろうか。毎年毎年自分に問い掛けては、深い溜め息の海に沈むばかりだった。
「何にも用意してないし、」
自分の可愛くなさに、憂鬱はさらに重たくのし掛かって嘲笑う。いじけて歪になった心を隠すように毛布を被ったものの、それが更に纏わり付くようで鬱陶しい。昨年は、大量に持ち帰ってきたチョコレートたちになまえの中で何かがプチっと切れた。当然の如く、既製品だけではない。(既製品すら、高級パティスリーやら有名百貨店のものなのだが。)手作りのものだって少なくはないのだ。それを「食べてもいいぞ」と言ってのけた恋人には呆気に取られた。「絶対に食べないから」と言うなまえに、恋人の轟もまた、頭にハテナマークを浮かべていたのである。しかも、それが原因でなまえはしばらく口を聞けなかった。何が悲しくて焦凍への思いのこもったチョコレートなど食べないといけないのか。女の子たちの気持ちはどうなってしまうというのか。不貞腐れてしまったおかげで冷蔵庫に隠してあった手作りチョコはなまえの胃袋に収まることになったのであった。
「ただいま」
玄関の扉が静かに開く音と恋人の帰宅を告げる声にも反応出来ない。いつまで子どもじみたことをしているのだろう。口を閉ざしたなまえの毛布がそっと捲られる。
「なまえ、起きてたのか」
「…うん、おかえり」
「ただいま、なまえに渡すものがある」
「っ、!今年も絶っっ対!!いらないから!!」
バッと体を起こしたなまえに轟はキョトンとした顔をする。何のことか分からないというの?鋭く睨みつけたところで、少し困ったように首を傾ける轟に響いていないようだったのがまた悔しい。
「これ、なまえに」
「いらない」
「いや、だから」
「いらないってば!」
「なまえ、勘違いしてねえか」
す、と差し出された小さな箱。不貞腐れたなまえを咎めることもなく、突き放すことなく、それでも色の違う両の目は優しくなまえを映し出す。差し出された箱は控えめな大きさながら、細身のリボンできちんと結ばれ、上品に澄ましている。台座に乗せられた宝石のように、パステルカラーの優しいマカロンがなまえの瞳を柔らかな色に染めた。薄桃にクリーム色、ミントグリーンにラベンダー。そっと手の中に落とされたそれと、心の中にすとんと落ちる宝石よりも澄んでいる彼のことを好きだという気持ち。宝石箱の中身みたいな色の異なる両の目は軽く透き通り、なまえの心にふわりと舞い込んだ。
「俺が選んだやつだ」
昨年見た紙袋から溢れるラッピングの山も無ければ、甘ったるいにおいもその身に絡わせてはいない。この宝石箱のようなマカロンたちは、まぎれもなく彼自身が選んだものだという。決して恋愛に器用とは言えない焦凍が、わざわざお店に立ち寄りわたしのことを考えて選んでくれたというその姿を想像するだけで胸が締め付けられるようにきゅんと音を立てる。それと同時に、昨年からひとり、足踏み状態でいた自分が幼稚で情けなくなる。なまえが眉を下げて見上げてなお、轟はやんわりと口端を持ち上げて包み込むように笑う。
「焦凍、ありがとう…でも、わたし何にも用意してなくて、」
「そんなの気にしなくていい」
「でも、ほんとごめん」
「いや、いい。俺にはなまえがいる」
「しょ、」
軽く肩を押されてそのままシーツの海と甘ったるい恋人の言葉に溺れて、呼吸をしようにもぱくりと唇を食べられて息もできない。小さく漏れた吐息の甘いこと。艶っぽく閉じた睫毛の長さの愛おしいこと。鼻先や額をくすぐるその髪の先と緩やかに絡まる指先の熱っぽさに今夜はゆっくり出来そうにないなあ、となまえは小さく覚悟を決めたのであった。
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