ドキドキしながら緑谷家のチャイムを鳴らしたら、数ヶ月ぶりだということもあってかほんの少しだけ緊張した。髪の毛を手櫛で直したら、紙袋の中の不格好なトリュフが小さく音をたてた。ぼさぼさ頭の出久くんがへにゃりと笑う姿を想像して胸の奥がきゅんと音を立てるの同時にぐらりと揺れる恋心。雄英高校が全寮制になってからは出久くんとは一回だけしか会っていない。それも会えたのはオールマイト引退となった神野の事件後の包帯ぐるぐる巻きでぼろぼろの傷だらけの出久くんだった。数ヶ月ぶりだというのに、出久くんの目の奥の奥に揺らがない信念みたいなものがあって、声も少しだけ低くなっていて、周りにはたくさんのお友達がいて、その中にはもちろん、可愛い女の子もいて。はじめて別の道を歩むその意味を目の当たりにしたら、気軽に会おうなんて言えなくなってしまった。
「はあい、あらなまえちゃん!久しぶりねえ!さ、入って入って」
「おばさんこんにちは。お邪魔します」
「出久!いーずーくー!なまえちゃん来てくれたわよ!」
緑谷家はいつもおばさんがせかせかと動いていることもあってか優しい石鹸のにおいがしている。出久くんもそのにおいをさせていた。おばさんに呼ばれて、ドタドタと騒がしい音と扉の開く音。ひょこんと現れたのは、またたくましくなった幼馴染み。
「出久くん、今日バレンタインだから」
「えっ?!今年も僕に?!」
「毎年渡してるから」
「わ、ありがとう…!なまえちゃん、よかったら、その、ゆっくりしてく?」
「…うん、ありがとう」
出久くんの部屋にはもう出久くんはいないのにそっくりそのまま、昔のように変わりなく家具たちが揃っていた。きっと、いつでも帰ってきていいよ、というおばさんの親心だ。ローテーブルを挟んで向かい合って座る。
「わあ!トリュフだ、美味しそう!食べてもいい?」
「いいよ」
「んん、おいひい!」
歪な丸をしたトリュフを美味しいという出久くんは、自分がちっぽけに感じるほどに優しい。学校はどう?とかこんな授業をしていてこんな友達がいて、とか他愛もない話すら頭に入ってこなくて、ただ相槌を打つことしかできなかった。相変わらずわたわたと忙しく動き回る腕はおばさん譲りで可愛いと思う。けれど、変わったこと。細っこい頼りない腕は、いつの間にか誰かを守れるほど太く筋肉質になっていて、指先なんて生々しいが遠慮なく刻まれている。心なしか身長だって伸びたように思うし、肩幅も広くなった。個性が突然発現したと聞いた時は嬉しかった。けれどこんなに遠くにいっちゃうなんて、聞いてないよ。
「なまえ、ちゃん?どっか体調悪い?どうしたの?」
「出久くんは、どんどん大人になっちゃうね」
「えっ?ぼ、僕?」
「出久くんが雄英の体育祭で活躍してたの見たよ。でもね、その時よりも今の方がずっとずっとかっこいいよ。それは、出久くんが頑張ってるからなんだよね。でもね」
「なまえちゃん」
「何だか、知らないことだらけになっちゃった」
勝手なことを言い過ぎた。唖然と口を開ける出久くんの方をチラッと見たら、申し訳なさそうに頭を掻いている姿が飛び込んで、自分の身勝手さが嫌になって膝を抱えた。出久くんの隣にいることが当たり前だと思っていたし当たり前になり過ぎていた。ずっと、お隣さんで居られるのだと思っていた。幼馴染みという肩書きだけがなんの努力も踏み出そうともしないわたしを繋ぎ止めるものになっていたのだ。泣きたい。いや、こんなこと急に言われて泣きたくなるのは、出久くんの方か。
「なまえちゃんも、僕の知らない顔してるよ」
「わたしは、変わってない」
「変わったよ」
ひた、と熱を帯びた出久くんの手のひらがわたしの頬っぺたに触れたら、思ったよりも出久くんの顔が近くにあった。やっぱりその顔はどんぐりのような可愛いくりくりの目をしているくせに男の子の顔をしている。
「いつから、そんなに女の子の顔をするようになったの?」
「わたし、ずっと、」
いつからこんなに歪で不器用になってしまったんだろう。小さい頃は、「出久くんと結婚する!」なんて簡単に言えてしまったのに、ずいぶんと遠回りな方法しかとれなくなってしまったのは、大人の階段に足をかけはじめているから?それとも、ただ不器用な自分のせい?
「出久ー、なまえちゃんー、入るわよ!」
コンコンと軽快なノックの音が聞こえてしばらくしたら、おばさんがあったかいココアを持ってきてくれた。手がぱっと離れて何故だかふたりとも正座をした。絶妙なタイミングに、ふたりともギクシャクしているのがわかる。「ごゆっくり」とニコニコ笑うおばさんは昔から変わってない。そっと出久くんの方を見ると、顔を真っ赤に染めながら気まずそうに忙しなく指を触ったり、への字で唇を噛みしめている。劣等感や置いてけぼりで寂しくなるなら、追いついたらいい。自分から踏み出さなきゃ、変わらないのよ、なまえ。自分に言い聞かせるように深呼吸をして、そのまま出久くんの方に体を寄せて、その姫林檎みたく真っ赤で可愛らしい頬っぺたにちゅっとキスをする。
「わたし、ずっと女の子として出久くんのことが好きだもん、」
「え、あっ、ぼ、ぼく、!」
「置いてかないで」
出久くんの指先をきゅっと握る。歪でもいいや、出久くんの隣に胸を張っていられるなら。「ぼくも、すき、」震えた声が上から降ってきて、そのまま不器用に背中に手が回される。なんだ、そうか、両思いだったのだ。いつだって不器用で、歪で、遠回りをするわたしたちの形を愛と呼べたらいい。
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