いつもとなんら変わりのない朝だった。朝ご飯をしっかり食べて、しっかりと化粧をして、髪を整える。強いて言うなら、星座占いが一位だったということにちいさくガッツポーズをしたことくらい。履き慣れたパンプスが職場まで運んでいってくれる休み明けの出勤、いつもと変わりない職場が少し色めき立って騒がしい。後輩の女の子たちの頭に浮かぶ吹き出しは桃色に染まっている。
「来週から、代理でヒーローが来てくれるんですって。有名なひとみたいですよ」
そういえば、なんだかそんな話を小耳に挟んだような気がする。わたしの所属する事務所のヒーローが怪我をしてしまって、しばらく代理のヒーローが応援に来てくれることになっていたんだった。どうやらお昼頃に代理のヒーローが来てくれるようだが、その来週が今日だったのか。小さな話題を気にかけることもなく、月日の流れを気にも留めることなく取り留めもなく変わりもない毎日を送っているような年になってしまったんだなあ、と後輩の女の子たちを見て苦笑いが自然と溢れた。それもそうだ、アラサーと言われる年齢に片足どころか両足突っ込みかけているんだから。
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「失礼します」
任されていた書類を上司に届ける為に部屋に向かう。控え目にノックをして扉を開けて、伏せていた目をあげると、視界に飛び込んできた景色を脳が処理出来ず次の言葉が見つからなかった。ミルクティーのような金髪、つり上がったルビーの瞳は年月が経ったからなのか幾分かの穏やかさが垣間見えるような気がした。視線が交わると同じくらいに呼吸が止まってしまうような息苦しさと無重力でふわりと体の芯が何処かに行ってしまったようなくらりと眩暈を起こすような感覚。わたしが瞬きを繰り返すと、そのつり上がった瞳がすこし大きく開かれる様子が見えた。
「おー、みょうじ!ちょうどよかった、今日から代理で来てくれる爆豪くんだ」
知ってるよな、有名だもんなあ、と呑気に笑う上司を横目に爆豪勝己という男のことについて走馬灯のようにいろんな思い出が駆け巡りはじめる。
爆豪勝己、もといかっちゃんは、雄英高校の同級生であった。そしてわたしの恋人でもあった。「俺と付き合え」と強引な告白を受けたのが1年生の終わりの頃で、高校を卒業すると同時に「もう別れる」と理由も告げず勝手で酷い別れの言葉だけ残して去っていった彼は、ヒーロー界では一躍有名人となり今や手の届かないような存在である。当時の自分はかっちゃんを高校生という青春を送った日々の中で拙いなりに愛していたし、振られた穴を埋めるように涙を流したりもした。しかし、月日と年齢というものはすごいもので、だんだんかっちゃんへの怒りだとか虚しさだとか縋りたい気持ちだとかは心の奥にそっとしまわれ、恨みの気持ちなんていうものは湧き上がることはすぐになくなった。これが大人になるということなんだろうかと頭のどこかで感じていた。卒業してからは、かっちゃんの活躍を告げるニュースをよく見たし、なによりもかっちゃんがかっちゃんらしく、夢であったヒーローとしてこの世界に関わり続けていることが嬉しかった。人生の中で高校生という青春を駆け抜けた季節、爆豪勝己という人間に愛されていたことを思い出したしわたしもそんな彼を愛していた、そこには確かに愛があった。そうだ、そうだった、自尊心の塊ではあるけれど、不器用なりに一生懸命でヒーローという夢を胸にがむしゃらに突き進んでいく姿を愛していたのだから。そのルビーのような光を灯した瞳に射抜かれて記憶が溢れるように蘇る。懐かしくてちょっとだけ、涙が出そうだった。
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「久しぶりだね」
「おう」
上司にかっちゃんの案内を頼まれた。不思議と気まずくはなかった。気まずいという感情を持つには月日が経ち過ぎているのかもしれない。寧ろ、懐かしいと笑えそうな程だった。逞しくなったかっちゃんの横顔を見るとやはり10年という月日を感じさせるものの、かっちゃんの態度はあの頃と変わらない。
「なまえ」
自分の名前を構成するたったの数文字。花が開くように、樹々が芽吹くように、そのたったの数文字で胸の奥がじわじわと熱を帯びる。かっちゃんは大人になった、もちろんわたしも。見た目は年を取ったけれど、名前を呼ぶその声やすこし細まったつり気味の目もとが、当たり前にある昨日のことのようで、なんだか懐かしさとか切なさとか変にアンニュイな気持ちになってしまって、やっぱり涙が出そうになったのは大人になったからなんだろう。
あどけない青が揺らぐような耳鳴り 171211
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