やらかした。

目が覚めて、一番最初に思ったことである。喉が張り付くように乾いていたことで瞼を持ち上げた瞬間、昨晩の熱が簡単に蘇る。その熱は身体を熱らせた。わたしは結局、なんて返事をしたんだっけ。そもそもしていなかったような気もする。身体からの関係のリスタートなんて、やらかしたとしか言いようがない。小さくため息を吐いたら、着ているトレーナーが見覚えのないものだということとベッドに移動していることに気づく。トレーナーからほのかに香るにおいは、かっちゃんのものだ。行為後に律儀に服と下着を着せて、更にはベッドにまで移動させてくれたんだなあとシーツの端っこを握りしめた。そういうところは、マメな男である。妙に冴え渡った頭と隣で健やかな寝息を立てる隣のかっちゃんの横顔を改めて眺めたら、忘れかけていた感情にぐんと手を引かれる。この男のことを、忘れかけていたと思っていたのに。いつからこんなに惹かれていたのだろう。蓋をしていた分、はち切れるように溢れてとめどない。ほんのちょっぴり、悔しかった。けれど、かっちゃんはこの思いを10年間も患っていたというの?わたしが当たり前のように他の人と恋をしていた間も、ずっと?切ないような苦しいような年月にぎゅっと心臓を丸ごと掴まれたように痛い。


「かっちゃん」

「好き、」


抑えていたロマンチックは簡単に鍵を開けて飛び出す。いつから、と明確にはわからない。それでも素直になった心で思い返すと、再会していつからだかかっちゃんに惹かれていたのも事実。年齢と関係のせいにして素直さを閉じ込めてしまったわたしの扉を、かっちゃんは何枚も何枚もぶち壊してそこから見事に引っ張り上げたのだ。ここからは、ちゃんとわたしの足で歩み寄りたい。好きという感情に、ちょっとずつ素直になりたい。かっちゃんの頬をそっと撫でたらなんだかやっぱり恥ずかしくなって寝返りをして背を向けた。そんなに直ぐには、素直にはなれないらしい。今の自分に見合った形で、精一杯伝えたらいいのだ。


「…可愛いこと言ってくれんじゃねェか」
「わ!か、かっちゃん…!起きて、!」
「昔っからなかなか素直にならねェなまえが素直になってんだ、ちゃあんと聞いてやらねェとなァ?」
「やめてよその悪役みたいな台詞!」


突如お腹に回された腕にびくりと身体が跳ねた。首をそちらに向けると、かっちゃんが悪どい笑みを浮かべて満足気に見下ろしていた。


「もっかい言えや」
「強いるものでもないでしょ」
「昨日の夜はあんなに言ってた口がよく言うわ」
「あーあー聞こえない!…そもそも身体からのリスタートって、あー、もう、やらかしたよねえ…」
「いいだろ別に。つーかちゃんと伝えただろが」


かっちゃんの方を向き直したら、当たり前に10年前より年を重ねたかっちゃんがそこに居た。唇をギュッと噛んで、喉の奥から心臓が飛び出さないように堪える。少女のような気持ちが蘇る。どうしよう。

わたし、かっちゃんのことがすごく、好き、みたいだ。


「かっちゃん、」
「んだよ」
「すき」


堪え性のないわたしの口から簡単に飛び出した二文字。かっちゃんの瞳がまあるく見開いて、少しだけ眉が下がる。鼻先が少しぶつかって、そのままとろけるようなキスを降らせた。


「…抱きてえ」
「!!それはダメ!今度こそシャワー浴びさせてもらうからね!」


慌ててベッドから飛び出すと、欠伸を噛み殺しながら「わーったよ」とそのまま伸びをするかっちゃんを後に浴室に向かった。このワクワクやソワソワをどうしようもなく抑えられない。感情のコントロールが馬鹿になってしまったみたいにとめどなく溢れる。そうだ、そうだった。これが、恋というやつだったっけ。かっちゃんのトレーナーをすっぽり脱ぐと胸元に点々と咲く赤い花。10年間誰かと関係を持ったことがあるのか無いのかは知らないが、気持ちが爆発したのはわたしだけじゃなさそうだとその数を見て思わず笑ってしまう。首筋に痕を残すような自己顕示欲の示し方をするような、稚拙な男じゃないところが好きだった。知っているのは自分たちだけでいいのだと秘めた部分に残していく。見せつけるだけの痕ではなく、ひとつひとつのそれが愛であると伝わる。それにしても。お茶子たちに何と言おうか。シャワーを頭から被りながら、「やっぱりほら!」という顔が簡単に浮かんだのでひとりで笑ってしまった。




「かっちゃん、お風呂は?」
「昨日入った」


頭をタオルで拭きながら洗面所から顔を出すと、すっかり起きたかっちゃんが朝食の支度をしてくれていた。トーストの焼けるにおいとバターの甘しょっぱいにおいが部屋いっぱいに充満している。コーヒーの香ばしいにおいも漂ってきたので、慌ててドライヤーで髪を乾かした。そんなことをしている間にかっちゃんはオムレツまで作ってくれていたらしい。


「かっちゃん、ありがと」
「おう」
「…なんかさあ」


コーヒーを一口飲んで、かっちゃんの顔を繁々と眺めたら、わたしの含んだ言葉に怪訝そうな顔をしてみせる。


「ずっと一緒に居たみたいだね」
「…俺は、ずっと一緒に居たかったけどな」


かっちゃんの素直さにぽかんと口を開けたまま、固まってしまった。こんなこと、10年前のかっちゃんに言ったら「うるせー黙ってろクソが!!」くらいの言葉が返ってきそうなものなのに。その素直さをからかってやろうかと思ったけれど、今はただ、その真っ直ぐさが嬉しかった。10年間という長い長い歳月。もっと早く出会っていればとか、早く素直になっていればとか、色々なもしかしたらが頭を駆け巡ったのだが、たぶん、今こうして出会ったから良かったのだと思うことにした。きっと、意味のある空白の10年間。今から紡いでいけばいい。


「かっちゃん、オムレツ美味しい…天才だ…」
「誰だと思ってんだよ当たり前ェだわ」
「さすが、わたしの恋人」


笑って、冗談を飛ばし合って。時々立ち止まる時間すら愛おしいと思えるようなそんな日々を紡いでいけばいい。かっちゃんのミルクティー色の優しい髪をひとつ、くしゃりと撫でたら思わず頬が緩んだ。


「ねえ、かっちゃん」
「今度はなんだよ」
「10年分、デートしようよ」


今度は、かっちゃんが目をまあるくする番だった。「そんなんとっくの前に決まっとるわ」目を伏せた後、優しく、小さく笑ったのを見逃さなかった。平行線が続いていたわたしたちの地球。平行線の端と端をくっつけてまあるくなった地球を歩いて歩いて、ようやく再び巡り会えたその人。普遍的な形をした日常を幸せだと思わせてくれる人。今度は同じ方を向いて歩くのだ。


やっと地球がまるくなったね 181119

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