かっちゃんと再び付き合いを始めてから、あっという間に毎日が輝いて流れていった。10年分のデートをしようと約束した再スタートを切ったあの日から、映画を見に行ったり、居酒屋をハシゴしたり、美味しいコーヒーを飲んだりした。10年分にはまだまだ足りない。それでも10年分のうちの中の幾らかを少しずつ取り戻しているような毎日に心が弾んできらめいていた。今までならひとりでも平気だと思っていたことが、こんなにも輝いていて眩いなんて、そんな気持ちはいつぶりだろう。
そして、かっちゃんがこの事務所の応援を終えるまで、あと1週間。うちの事務所のヒーローの怪我のリハビリが終わり、ついに復帰が決まったのである。この数ヶ月、目まぐるしく溢れる感情に、幾度となく振り回されて、振り回した。再会したのが遠い昔のことのように感じる。誰がこの結末を想像しただろうか。未だに夢を見ているような、変わらなかった日常が帰ってきたような、相反するふたつが混同する不思議な気持ちだった。給湯室でケトルがお湯を沸かすのをぼんやりと眺めながら、その日常を振り返る。コポコポと沸騰する音が鼓膜に心地よく響く。お昼にしてはやけに遅い時間を指す時計の針。混雑していない給湯室でスープパスタのフィルムをぺり、と剥がした。今日は珍しく寝坊してしまったから、スープパスタで昼食を済ませようと欠伸を噛み殺す。午後からは、書類を終わらせて、と頭の中でスケジュールを組み始めたら、「おい」と耳に馴染んだ声が降る。
「お疲れ様」
「飯いくぞ」
「…フィルム開けちゃったよ」
「んなもんまだ蓋開けてねェから大丈夫だわ」
苦笑をこぼしながらケトルの電気を切ったのを見て、かっちゃんはW飯いくぞWの返事をイエスと捉えたらしい。どこいく?ふと振り返ったら、ポケットに手を突っ込んだまま、かっちゃんが此方に近づいてそのまま軽くキスを落とした。ついでにわたしは手に持ったスープパスタを落とした。びっくりした。誰が来るかも分からない給湯室。誰かに見られるかもしれないという可能性があるにも関わらず、そんなことをするなんてかっちゃんらしくないなと思うのが本音だった。そんなわたしの視線を感じ取ったのか、かっちゃんがニヤリと笑う。
「たまにはいいだろ」
「らしくないなあ」
「うるせえ」
・
・
「わたし、明太子クリームスパゲッティで」
「…カレーで」
「かしこまりました!少々お待ちください」
結局、職場の近くのカフェに来た。窓際の、陽射しが眠くなるようなあたたかさを運ぶ席。人も疎らな時間帯で、ゆったりと時間が流れている。先に運ばれてきたアイスコーヒーを口にして、窓の外を眺めた。街路樹の緑がアスファルトに反射して海の底のような影を作り出していた。
「そういえば、1-Aの集まりの連絡きてたね」
「そういやそうだったな」
「行く?」
「行くだろ、ふたりで」
「みんなびっくりしちゃうだろうな。ヨリを戻した、なんてまだ誰にも言ってないし。…かっちゃんは誰かに話した?」
「切島だけだな」
「あー上鳴とか峰田辺りはちょっと面倒くさくなりそうだもんねえ。切島くんなら安心だ」
そこまで話したところでかっちゃんのカレーが運ばれてきて、ちょうどいいスパイスのにおいが食欲を刺激する。どうやらわたしのパスタが運ばれてくるまで待っていてくれるらしいかっちゃんがコーヒーを半分ほど飲み干す。陽当たりが良いからか、グラスの下には小さな湖が出来ていた。そこに先程見ていた街路樹の影が映る。かっちゃんとこうやってご飯を食べたりするのも、あと1週間。いや、それ以降もふたりの関係は続くのだから、これで終わりということは無いのだけれど。それでも密に過ごした時間が続いたからなのか、少しだけ寂しいような気持ちが襲う。付き合いたての頃のウブな感情が首根っこを掴んで離さない。恥ずかしいやらもどかしいやら、訳がわからなくなりそうだ。
「かっちゃん、あと1週間かあ」
「んだよ、寂しいんか」
「んん、ちょっと」
「ちょっとかよ」
「嘘だよ、思ってたより寂しいかもしれない」
「…カワイイところあんじゃねェか」
わたしのパスタが運ばれてきたので、いただきますと手を合わせて食べ始める。可愛いと言われてこそばゆいような気もするが、それを表に出すほど可愛い性格ではない。けれど、寂しいと伝えることが出来るような素直さはまだ持ち合わせていたらしい。
「一緒に住むか」
フォークを落としそうになってあわててギュッとフォークを握り直す。あまりにもさらっと言うものだから、それが簡単なことなのではないかと一瞬錯覚する。一緒に住む、ということ。それは所謂同棲というやつである。わたしにとって、
人生の中での結構な決断となるようなこと。
「…話が飛躍してない?わたしたち付き合い始めたばっかりだよ」
「長さの問題じゃねえだろ。早かれ遅かれ一緒に暮らすんだ、別に今一緒になったっていいじゃねえか」
「今の家気に入ってるもん」
「似たようなところ探しゃあいい」
「…」
「俺は、なまえと一緒に暮らしてェけどな」
「は、」
「なまえんちの両親にも挨拶行かなきゃなんねーだろ」
ボッと噴火するように顔が熱っぽくなる。これは、流石に効いた。かっちゃんは年を重ねて素直になることを覚えたらしい。それはそれは、すごい破壊力で。少し拗ねたような子どもみたいな顔して、そんな可愛いことを言ってのけたら世の中の爆心地ファンは卒倒してしまうんじゃあないだろうか。
「あー、ダメ、この話また今度でもいい?恥ずかしくって死んじゃいそう」
「…ハア、そういうとこな」
「何が」
「なんでもねェ」
やっぱり、WこれからWを匂わせるような話は、気恥ずかしくて胸の奥がざわざわと浮き足立った。それはたぶん、相手がかっちゃんだからなんだろう。安っぽい言葉だが、恋をしているんだなという言葉がまさにぴったりだった。いつからこんなに好きだったんだろう。思い返しても「ここから」という線引きはできなかったし、きっかけも思い出せなかった。少女漫画のようにときめきやきっかけがキラキラとしたトーンに囲まれて、明確に「これだ」ということも日常に溶け込み過ぎていたが、まあたぶんそれが現実の恋なのかもしれない。いつのまにかじっとかっちゃんの顔を見つめていたらしい。ふ、と結び目が解けるように口元が緩むかっちゃんにつられて笑う。穏やかな午後、愛を囁く言葉は無くとも伝わるものがわたしたちの距離を近付ける。結んで解いてまた結んで、繋がった日々は確かに時間を経て愛を育んでいた。
距離と隙間を埋めるものが僕達の愛になればいい 181129
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