「爆豪さん、また泊まり?」
「うっせー」
かっちゃんが来てから事務所の仮眠室は彼の城となってしまった。元々うちの事務所で利用するひとなど極稀ではあったけど。わたしが残業している時に仮眠室の前を通り掛かると、扉の隙間から不躾な頭が大抵ソファーにこれまたぶっきらぼうに寝転がっているのが見えた。ご飯しっかり食べてるんだろうかと余計なお節介心が顔を出してしまう。悪い癖。
「ご飯ちゃんと食べてないでしょ」
「食っとるわ」
体を起こして此方を睨むかっちゃんがゴミ箱を指差すと、そこにはカップラーメンの山。呆れた、それも辛いやつばっかり。こんなので大丈夫なんだろうか。ヒーロー業は体が資本なのに。ぎゅっと結んだ口を解いたらお節介ばかりが飛び出しそうだ。
「つーかやめろよ、その呼び方」
「一応職場だから」
「二人ん時は関係ねェだろが」
正直、心臓が跳ねるのがわかった。しれっと言ってのけるのだ、この男というやつは。文字にしてたったの数文字、そのたったの数文字でいつもわたしの心を掻き乱してゆくし、眩暈を起こすようにくらりとさせた。この世界を構成する文字や言葉など数え切れないほど存在しているのに、10年ほど前の「もう別れる」とか、久しぶりに会った時に呼ばれた自分の名前とかそういうものがわたしの奥にしまっておいたものを酷く揺さぶった。この瞬間のかっちゃんに再び熱を燃やしたわけじゃない。ただ、しまっておいたあの時の気持ちを引っ張り出されたような気がして、ドキリとしたのだ。
「お前変わんねえよ」
「変わったよ」
「母親みてえに俺の飯のこと気にするのとか、まんま変わってねえ」
「それは、ヒーロー業は体が資本だから」
「10年前も同じこと言ってたわ」
ぼんやりと忘れかけていたような記憶が嫌というほど鮮明に蘇る。目の前にいるのはあの時より年を重ねたかっちゃんなのに、まだあどけなさを残して制服を着ている、今よりずっと尖っていたあのかっちゃんが重なった。ちょっぴり、苦しい。二人の時はその呼び方をやめろと言われたことも。勝手に別れを告げてわたしの前から去っていったのに、W二人の時はWなんて、二人の間にしかない繋がりを思い出させるなんて。なんともなかったのに、あの時の苦いような、甘酸っぱいような記憶が、今はほんの少し苦しい。かっちゃんが何気なく告げた言葉が妙に心を騒つかせていることを真っ直ぐこちらに向けるその視線に悟られたくなくて、わざと明るい声色で話す。
「でもさ、ほんとに体が資本なんだからしっかりご飯食べないと」
「……」
「聞いてる?」
「じゃあなまえが作ってこいや」
「は、」
「寝る」
「ちょっと、まってよ!」
それきりふいっとあちらを向いてブランケットを被ってしまったかっちゃんはこうなったら何が何でもこっちを向かないだろう。なんだかこの間から泣いてしまったりワクワクしたり昔を思い出したり、今も昔も彼に振り回されっぱなしだ。そういう意味では変わっていないのかもしれない。仮眠室の扉をそっと閉める前に「おやすみ」と声を掛けると小さく手を挙げるかっちゃんの背中が、10年前のかっちゃんと重なったようで、また少しだけ心臓がキュッとなった。
世界が息を吹き返して三秒後にまばたきをする、私とあなたの小さな話 180904
ALICE+