「まあ!」
「爆豪くんが!」
「やっぱり!運命ってやつだったんだ!」
定期的に開かれる飲み会で、うっかり口を滑らせてしまった。しまった。その途端、百、お茶子、三奈が目を輝かせて詰め寄ってくる。「なまえ困ってるじゃん」と窘め役の響香でさえ、興味有り気にちらちらと此方を見ている始末だ。今日は欠席の透ちゃんが居たらもっとヒートアップしていただろうし、梅雨ちゃんが居たらもっと静止してくれていただろう。わたしの次の言葉を目を輝かせて待つ4人の期待をため息で吹き飛ばす。待ち切れない三奈が腕をぶんぶんしながら更に詰め寄る。
「で!で?!爆豪に久しぶりに会ってどうだったの!」
「それは、年取ったな…とか」
「いやー!もっとあるでしょ!」
「丸くなったなあとは思ったかなあ…」
「んんん、ちーがーうー!」
後輩にもそんな質問、された気がする。わたしはいつからこんなに恋愛事情に疎くなってしまったんだろう。確かに、今でも誰かの恋愛話を聞くのはドキドキするし進展を知りたくなったりはする。恋愛が人生の全てではないけれど、ふと思う。自分の恋愛は何処に置いてきてしまったんだろう。最後に恋人が居たのは、3、4年程前だった。その後も何度かお付き合いをしたいと言ってくれたひとは居た筈なのに、「ああそんなこともあったな」くらいの認識しか自分の中には無い。ごめんなさいと断り続けていたら、いつしか断る理由も忘れてしまった。
「でも、なまえちゃん、爆豪くんと会うの何気に高校生ぶりと違うん?」
お茶子の言葉にグラスを傾ける手が止まった。卒業と同時に行き場を無くした恋心。無理矢理心の奥底にある箱に押し込んで出てこられないようにテープでぐるぐる巻きにした。久しぶりに会ったかっちゃんは、そのテープをいとも簡単にべりべりと剥がしてのけたのである。わたしだけがしんどかったのだろうか。会えなかった、と言うより会わなかった10年間、恋心をうまいこと咀嚼して自分なりに時間を進めてきたつもりだった。その間のかっちゃんの抱いていたであろう恋心はどんな風に在ったのだろう。直ぐに捨ててしまったのか、其れとも無かったことになっているのか。わたしには到底理解し得ないことだ。グラスの氷が溶けて涼やかな音が響いてハッと我にかえる。
「高校生ぶり。あの日以来会ってないから」
「そっか。でも爆豪くんは嬉しいんと違うかな。こないだ現場が同じだったんだけど、何となく生き生きしてたように見えたから」
「そんな、まさか」
どこか真剣な目をしたお茶子に戯けて答えて見せた。わたしを振ったかっちゃんが喜ぶ理由なんてあるのだろうか。どうして振った理由を教えてくれなかったのか、そもそも理由とはなんなのか。わたしも10年間考えたけれど、答えには未だ辿り着いていないし、辿り着こうと思うほどの熱量もほとんど残ってはいない。久しぶりに会ってしまったあの日、込み上げかけた言葉ももう喉の奥に収まってしまったし、目の前にいたところで今更その理由をわざわざ時間を設けて問うこともないだろう。泣いてしまったのも、ロマンチックにも懐かしさを思い出した恋心と重ねようとしていたのかもしれない。わたしが振られてしまった理由を知らないように、別れを告げられた時のわたしがどんな気持ちでその後を過ごしていたかなんてことを、かっちゃんも知らない。
・
・
「はあ、」
ざぶんと桃色に染まった湯船に浸かったら、ため息が出た。お茶子たちとの飲み会を終えた時にはもう短針が11を指していた。今日の飲み会のメインはわたしとかっちゃんの話題で持ちきりだった。みんなと話して色々言葉にしてみたけれど、わたしがかっちゃんをどう思いたいのか、かっちゃんがわたしのことをどう考えているのか、結局こんがらがって分からなくなってしまった。
「でもさあ、なまえたちって、お似合いだったよ」
「うん、それすっごくわかる」
「爆豪さんみたいに尖ってはいないですけど、纏う空気がどこか同じでしたわね」
「爆豪くん、なまえちゃんの隣にいる時だけは優しかったよねえ」
皆が口々に言う。響香がスマホで昔の写真を探し出してきたのである。何気ない教室の中を撮影したそれに、あの頃のわたしとかっちゃんが写っていた。2年の秋くらいだろうか。別れた時に、決別する為に写真は全て消去してしまったから、妙に懐かしさがこみ上げる。あの頃のあどけなさの残るかっちゃんの隣で笑っているわたしの顔の緩んでいることと言ったら。かっちゃんのいつもつり上げていた目の奥に、少し穏やかさみたいなものが感じられる。確かに、あの時のふたりはちゃんと好き同士だったのだ。けれど、今は?大人になったわたしたちは相手に真意を見せないように秘密で心を覆っている。かっちゃんの本心がわからない。けれど、自分の本心はもっとわからない。名前の付けられないような曖昧で不可思議な関係。職場の同僚というには親密過ぎて、元恋人同士というには昔のこと過ぎる。
「でもわたし、振られてるんだよ。それも理由も教えてもらえず突然。もう昔のことなんだよ」
その昔のことに振り回されているのは自分なのになあ。ゆらゆらと揺れる、桃色に色づいた水面はわたしの今の心情にぴったりである。お節介心というか変なところで発揮してしまったお人好しみたいなもののせいで、暗黙の了解のようにかっちゃんにお弁当を作り続けている。綺麗に洗ってあるお弁当箱がロッカーに返却されるたびに、日常に溶け込むかっちゃんの姿を思い知る。居ないことが当たり前だということに慣れてきたのに、かっちゃんはいとも簡単にわたしの暮らしに馴染んでしまった。たった2年、人生の中のたった2年間がわたしの心を掻き乱していく。納得して少しずつ進んだのも事実だし、もやもやに足を取られて進めない思いもある。けれど、かっちゃんと同僚として話すのは楽だったしヒーローとしての活躍を間近で見られるのは嬉しかった。曖昧なのは、ふたりの関係だけ。それだけがわたしの上手く進もうとする所を阻む。名前の付けようのない曖昧な関係を複雑に絡まった心ごとバスタブの海に沈めた。
深夜零時のバスタブと甘いため息 181002
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