Bar.AMERIで働き始めたときにオーナーから教えてもらったことは、キャッシャーの仕事でも酒卸業の仕事でもなく、月初めはキッチンが忙しくなるので手伝いに入らなければいけないということだった。
丁度働き始めたときが月終わりだったため、「月初めはお店が混むんだな」と自己解釈をしたのを覚えている。
その時に自己解釈をしていなければ林檎の皮剥きで呆れられることもなかったはず。
私はお店が混むと思っていたが、オーナーは一言もお店が混むだなんて言っていなかったのだ。
知らないことの方が多かっただけ
「これ、先月より進歩したって言えるか?」
「あー…、先月よりは多くなってるじゃん。りんごのうさぎ」
「ピー、ここ見たか。耳の部分欠けてるぞ」
「いやー、まぁ。食べれば、うさぎでも何でも一緒じゃん」
『ピーの言う通りだよ。食べれば一緒じゃん』
「見た目も大事だろ」
『そんなこと言うなら、食べなきゃいいじゃん!』
「まぁまぁ、タケシも名前も落ち着け。な?名前は入れ物持ってるんだから」
「なんで耳が均等じゃないんだよ」とタッパーに入っている林檎を1つ摘まむタケシと、フォローをしようと頑張ってくれるピー。
カーキ色のコートを羽織っている2人の前で、うさぎ林檎の耳が不揃いだったり、切った林檎の形が不揃いだったりと、沢山の林檎が入ったタッパーを持つ私。
そんな私たちの先には、荷物が入っているダンボールを分担して持つフロアメンバー3名とオーナー。
ここは、一度入ると出てこれないという無名街。余所者は一瞬で刈り取られるといわれる場所に足を踏み入れられるのも、普通に歩けているのも、こうやって無名街を統括してるルードボーイズのメンバーと話ているのも、全部「月初めに忙しくなる」ことに関係している。
月初め、私たちは食料品や必要品を片手に「無慈悲なる街の亡霊」の取引相手として無名街を訪れている。
このビジネスが始まった経緯は、オーナーしか理由を知らないらしい。
オーナーも経緯を話すつもりはないみたいで、誰が聞いてものらりくらりと返答をしないという。
いつの間にか始まっていたビジネスは月日を追うごとに変わっていき、今ではおまけと称してキッチンメンバーが作った料理の差し入れを中に入れるまでになっていた。
そして、私が働いてから初めて迎えた月初めの日。
いつもより早い出勤時間にお店に着くと、いつもキッチンメンバーが身に着けている黒いエプロンを渡され「林檎の皮剥き」をお願いされた。
その結果は散々で、「箱入り娘」とキッチンメンバーに揶揄われる原因となり、荷物を届けに行くのに同行した私が初対面となるタケシやピー達に「料理ができない新人」と認識されることとなった。
「そういえば、あれ作れるようになったの?アップルパイだっけ」
「いや、うさぎりんごの耳が欠けてる時点で無理だと思うけど」
『アップルパイはまだ無理だけど、林檎のカップケーキは作れるようになったよ』
「お、少しは料理できるようになったんだな」
『…ふふ、うん。ちゃんと上手にできたから、数は少ないけど持ってきたんだ。ルードの皆とララの分しかないんだけど』
「無名街の全員になんて言ったら、何人いるか分からないだろ。それより、髪の毛ぼさぼさなのを如何にかしろよ」
『えー…。林檎もってるからタケシやって』
突然ピーにわしゃわしゃと少し乱雑に髪を撫でられたけど、不快感はなく自然と笑いが込み上げてきた。
言葉は優しいのに仕草が少し乱雑なところがピーらしい。
私の髪の毛を呆れながらも梳かしてくれるぶっきら棒なタケシ。
そんな2人の姿に益々笑いが込み上げた。
『ルードの皆にはタケシとピーから渡してもらってもいい?』
「ララの分も俺達で渡すよ」
『え?ララいないの?』
「最近、反抗期ってやつらしい。できたぞ、髪の毛」
『ありがとう、タケシ。そっか、ララいないんだ』
「スモーキーなら上にいるけどな」
タケシが言葉と共に指す場所を見ると、「遥か高いところに人がいるなぁ」しか分からなかったけど、きっとタケシの言う通りスモーキーがいるんだろう。
ここから誰がいるか分かるって、すごく視力がいいんだなぁ。
『上って、これ登るの時間かかると思うんだけど』
「タケシが上いけば早いんじゃない?」
「いや、名前が大声で呼べば早いと思ったんだけど」
『まって。え、そんなことさせるつもりだったの』
「え。タケシお前、まじか」
不思議そうにしてるタケシと、戸惑う私とピー。
私達のいる地上から無名街で1番高いだろう場所まで、どれぐらいの声量があれば聞こえるんだろう。
『本気で言ってるのかな、タケシ』
「多分あの表情だし冗談じゃないと思うけど、流石に男の俺でも無理」
『そうだよね。そうだ、ピーがスモーキーに渡してくれる?』
「あー…、名前から渡してよ。多分もう来るからさ」
一度上を見上げたピーが、私に視線を戻すのとほぼ同じくらいに空から人が下りて来るのが見えた。
普通なら落ちるっていう言葉が適切なんだろうけど、ルードボーイズが空を飛ぶ時は不思議と落ちるより下りるという表現の方が合ってる気がした。
「どうかしたのか、3人で上を見上げて」
「いや、スモーキーにも渡したいものがあってさ」
「俺は大声で呼べって言ったのに」
「だから、それは無理だって。タケシだって無理だから」
空から下りてきたのがピーとタケシが予想していたであろう人物だったからか、2人は驚くこともなく「やってみたら意外とできるって」「タケシが大声出したことあったか?」と未だに私を挟んだ状態で大声談義を繰り広げている。
初めて無名街にオーナー達と共に来た時、タケシ達と違いスモーキーとは自己紹介程度しか話さなかったから、態々ここまで来てくれるとは思わなかった。
ルードボーイズを率いるリーダーと気軽に話せる仲でもなく、目の前に立つスモーキーを見るしかできない。
タケシやピー、今オーナーたちと荷物の確認をしてるシオン達とかは話していて気軽さとかがあるけど、リーダーともなると私の中の心構えなのか、少し緊張する。
「渡したいもの?」
「ほら、名前」
『あ、えっと。林檎のカップケーキを作ったから、渡そうと思って』
「少しはできるようになったのか」
『え、もしかしてララから?』
「それもあるが、切られたりんごを見て薄々はそうだろうと思った」
不揃いに切られた林檎を見て、そう思わないほうがおかしいもんね。傷んでいる箇所を切ったにしては、歪な形に切られた林檎が多かったし。
ララから聞いてるにしろ、そこまで知られている状態でカップケーキが入った袋を渡すのを躊躇する。
「ほら、渡せって」と背中を押してくれるピーに、渋々カップケーキを入れた袋の中から個々に包装されたうちの1つを取り、スモーキーに差し出した。
差し出した袋を受け取ったスモーキーの表情に変化はなかったけど、一言お礼を言われて少し気恥しい気持ちになる。
「まぁ、見た目は普通」
『…どうゆう意味、タケシ』
「やべっ」
『見た目は普通って、味だって普通だったんだからね!』
タケシの一言で気恥しい気持ちから一転した私と、悪かったってと笑いながら謝るタケシを見て、表情にあまり変化のなかったスモーキーが目じりを下げて笑っていたなんて、私は知る由もない。