たまに、ふと自分が何をしたいのか分からなくなる。
何かを変えたくて、それが何かも分からないまま家を出たけど、外の世界に求めたものは何だろう。
家を出て触れた外の世界は思っていたよりも沢山のことに溢れていて、今まで過ごした自分の世界がいかに閉塞的だったかを知った。

でも、他の世界を知れば知るほど自分が分からなくなる。
自分が今まで生きてきた時間、過ごしてきた環境を否定したい訳じゃない。
ただ、今過ごしている時間があまりに鮮烈なだけ。

様々な感情が私の中で生まれては、消えて同化していく。
家出をする前はなんとも思わなかったことを、悲しく思うこの気持ちは必要?不必要?


早朝、仕事が終わったその足でタクシーを捕まえて海が見える場所へ向かう。
家出してからというもの、ぐるぐると回る思考のループを断ち切りたい時に海に来るのが習慣になった。
夜明け少し前だから対岸の地区は見えないけど、橋を渡ったすぐ先にある地区があるだろう場所と海を眺めながら電話を掛ける。


「どうかしたの」


数コールの後に聞こえる声と言葉に、安心した自分がいた。


『たぁくん』
「こんな早朝に電話なんて珍しいね」
『きっと起きてるかなって思って』
「起きてないかもしれないじゃん」
『そうかな。これぐらいの時間でしょ、賭け事が終わるの』
「よくご存じで」


時折吹く風が体温を奪っていくのが分かる。でも、時折電話越しから聞こえる別の声に自然と笑顔になった。大丈夫、まだ寒くない。


『相変わらず夜行性なんだね』
「それ、人の事言えないと思うけど。名前だって、どちらかと言えば前から夜行性でしょ」
『そうだっけ』
「さぁ?それは自分が一番分かってると思うけど。それより、探し物は見つかった?」


問いかけられた言葉に返事ができない。
電話した理由を話したわけでもないのに、電話越しの向こうの相手は核心をつく言葉を吐く。
あぁ、やっぱり寒いかもしれない。


『どうかな。そもそも、探し物なんてしてないのかも』
「そう?あぁ、でも今の名前は出会った頃みたいだね。自分の世界を広げすぎて、あれもこれもと望んでしまう。また繰り返すのかな」


電話越しでも分かる、ほの暗く冷たい空気に体の中に冷たいものが落ちる気がした。
ぬるま湯のような空間で過ごしてきたのが祟ったのか、あの頃を思い出したからか、喉が締め付けられるような息苦しさに空気が上手く吸えない。

自力で立ってるのが辛くて、服が汚れるのも気にせずに地面にしゃがみ込んで、自分を守るように膝に顔を埋めた。

自分の世界を広げれば、それだけ大切なものが増える可能性があるのは分かっていた。
大切なものが増えていけば、いつの日か選択しなければいけないことも知っている。

分かっているのに、前にも一度同じことになったのに、また繰り返そうとしている自分が愚かに思えた。
私はあの時から何も進歩していない、ただの愚か者だ。


その言葉には愛しかないと知っていて




「はぁ、地面にしゃがみ込んでたら汚いんじゃない」


人間は驚くと声がでないらしい。
私はいま夢でも見てるんだろうか。電話越しに聞いていた声が聞こえた気がして顔を上げたら、少しだけ眠そうにしてる人が立っていた。

目鼻立ち、立ち姿、全部が彼に似ている。

いままで声が聞こえていた携帯を見ると、いつのまに通話が切れていたのか見慣れたロック画面になってる。


『たぁくん?』
「何?」
『なんで、たぁくんがいるの』
「なんでだろうね。誰かが呼んだ気がしたからかな」


気だるげにしてるのに、この場を立ち去らないところに優しさを感じた。

しゃがんだままの私を一瞥して、何も言わずに腕をつかんで引っ張り上げてくれる。
そのまま引っ張ってくれる腕を頼りに歩いていくと、1台の車が止まっているのが見えた。
車の近くまで歩いてき、腕を引っ張るたぁくんに引きずられるように後部座席に乗り込む。


「おはようさん、名前」
「少し寝てていいよ。ついたら起こしてあげる」
「いやいや、運転するのお前とちゃうけど。というか無視かいな、劉」


ずっと前に聞いたことあるやり取りに笑いが込み上げる。この人たちは本当に何も変わらない。
決して柔らかいとは言えない、たぁくんの太ももに頭を預けて目を閉じる。


『たぁくん、電話の続きなんだけどね。選択を間違って邪魔になったら』
「その時は終わらせてあげるよ」
「後ろで物騒な話せんといてくれるか」

『私寝るから安全運転でね、ナイン』


「おーおー、寝ろ。今すぐ寝ろ。そんな物騒なこと言い出す娘は寝てしまえ」と言う声を聞きながら、今度こそ寝てしまおう。

きっと起きてもないことを考えたって、どうにもならない。
それよりも、まずは今日の仕事のことを考えよう。出勤時間までに私はまた今住むアパートに帰らなきゃいけないんだから。


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