Bar.AMERIで働き始めたある日、オーナーから「うちで多く取引してくれるクラブに行く用事があってね。名前ちゃんも一緒に来て欲しいんだ」と言われたのが始まり。

初対面の印象は真っ白。

誘惑の白い悪魔って言うんだよと後から教えてもらったけど、金色の髪を思い出して、悪魔とは程遠いなと思ったのを覚えている。

ふるえるまつげ



「こちらが、HEAVENのオーナーのRockyくん。隣に立ってるのが、KOOくん」
『はじめまして。苗字名前です』

黒のタイトスカート、薄いピンクのYシャツ、それと黒のベストに身を包んだ彼女を見て、RockyやKOOは名前の挨拶や服装よりも足元が気になってしまった。

名前が履いていたのは、ヒールの高さが12cmは超えるだろう黒エナメルのハイヒール。
AMERIのオーナーから「新しい子に今後、酒卸業を手伝ってもらうことにしたんだ」と言われてはいたが、まさかハイヒールを履いた女性が担当になるとは思ってもいなかった。

AMERIのオーナーの趣味か、名前の趣味かは分からないが、外回りで店を何件も回ることもあるだろう女性がハイヒールを履くなんて、店として配慮にかけているんじゃないだろうか。

男は履かないから大変さが分からないが、ハイヒールの靴を履くと足が痛くなるとは世間でも知られているし、HEAVENの女性キャストも「ヒールは辛い」と言っていた。

だからHEAVENでは極力足に負担がかからないように、ヒールではなく厚底のサンダルを提供している。
キャストの中にはこだわりから、彼女のようにハイヒールを履く者もいるが、そういったキャストへは殊更配慮を欠かさないのが、ここHEAVENだった。

だからこの時、RockyもKOOも名前に対してHEAVENの女性キャストと同じように声をかけた。
彼らにとったら女性を気遣っての言葉で、常日頃から彼らの言葉を耳にしてるキャストだったら当たり前のように受け止められる言葉。

いつも通りに声をかけただけだったが、名前にとったら初対面で商談の相手である。
普通に受け取れるわけがなかった。


「おい、座れ」
『...?オーナー、座らないんですか?』


自分に言われたと思ってない名前は、オーナーとRockyを交互に見る。

名前を言われたわけでもない、しかも自分は仕事としてHEAVENに来ているのだ。取引の場所で上司よりも先に座る部下がどこにいる、という父親の仕事の手伝いをしていた時から身についた名前の中での判断だった。


「Rockyは名前さんに言ったんですよ」
『私?私なら大丈夫です。座るならオーナーが座ってください』
「ふ、ふふ、僕は大丈夫だよ」


AMERIのオーナーはRockyとKOOがなぜ気遣うのか、その気遣いの根底が何処から来るのかを知っているので、上手く名前に伝わらない状況に笑いが漏れた。


「履き慣れてない靴で怪我をされても、こっちが困る」
『靴?ヒールの事ですか?それなら、大丈夫だと』
「もう一度言う。座れ』


Rockyから言われる言葉の真意が分からず困った顔をした名前は、心中穏やかではなかった。

今まで名前の周りには、哲学的なことを言う人も中にはいたが、きちんと気持ちと理由を伝える人の方が多かった。
嬉しいなら、嬉しいと言う言葉。
心配なら、心配という言葉。
だから、怪我をして困るというのは、何が困るのかが分からなかった。

怪我をしたら、自分が痛い思いをする。
オーナーに心配をかける。
ここまでは、名前の中でも分かったけど「困る」とはどうゆうことだろう。
もしかしたら、責任感が強い人なのかもしれない。
自分のお店で、自分たちに過失がないとしても怪我をされればいい気分もしない、ということか。

言葉の真意が分からない中で想像するもしっくりこないが、名前は1つだけ理解した。
今この状況を作って、仕事が進まないのは自分のせいだと。

名前が履いているハイヒールは、彼女にとってBar.AMERIのメンバーから初めて貰った大切なプレゼントだった。
家出をした際に服や化粧品は持って出たが、流石に靴は履いていた1足しか持っていない。
面接の時に家出とは言っていないものの、一人暮らしを始めたい、自立したいとオーナーに言ったのが広まったのか、一人暮らしのお祝いにプレゼントされたのが今履いているハイヒールの靴だった。

「仕事でも履けるように」と言われ貰った靴は、確かにヒールが高くて仕事に不向きだと思われるが、階段を降りる時などに気を使えば履けない靴ではない。

それにお店回りは車移動なので、足が痛いということもない。

名前自身、手持ちの1足よりはプレゼントで貰った靴の方がタイトスカートと合わせても違和感がなかったので、このハイヒールを愛用していた。

外回りの仕事の時、ハイヒールのことを言われたことはない。
でも、気になる人には気になることなのだと気付かされた。

何故困るのか分からないが、このまま仕事の話ができないのは不味い。
それに、初対面でもあるRocky達に不快感を与えれば今後の取引にも影響が出るかもしれない。

この場から少し離れた方がいいだろう、と全くの見当違いの結論に行き着いた名前の行動は早かった。


『Rockyさん、お心遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。オーナー、私外で待ってるので仕事終わったら声かけてもらってもいいですか?』
「分かった。終わったら声かけるね」


名前から言われた言葉を理解するのに時間がかかったRockyは、彼女が出て行った扉を見ているしかなかった。
それはKOOも同様で、確かに自分の上司の言葉が足りないのはあったが、何故出て行く判断を彼女がしたのか理解できず首を傾げる。


「はは、理解できてないって顔してるね」
「...何か不味いことを言ったか?」
「うーん、こればっかりはなぁ。Rockyくんは少し言葉が足りなかったけど、変なことは言ってないと思うよ。その言葉の真意まで理解してれば、の話だけどね」
「では、名前さんは違う解釈をしてるということでしょうか」
「違う解釈というより、なんで困ると言われるのか理解できてない。でも自分が仕事の邪魔をしてるんだろう、ってところかな」


絶句とはこのことかと思った。
自分たちは女性に幸せでいてほしい。
女性が悲しむことから守りたいし、痛い思いはして欲しくない。無理はして欲しくない。
ただ、女性を大切にしたいだけ。
仕事の邪魔だとは思ってない、ただ立っていて辛いよりは座ってほしい、見える範囲で怪我をしないでほしい、その思いが伝わってない。


「名前ちゃんは、素直で先まで考える子だから」
「...なるほど。だから邪魔だと。おそらく、私たちがヒールを履いてることに不快感を示したと思ったのでしょうね」
「KOO、呼んでこい」
「えぇ、分かりました」


理解してしまえば、成る程と思う。
仕事として来ている中、「怪我をされたら困る」と初対面のやつに言われたら、迷惑だと言われてるように思えなくもない。
そこまで理解すれば後は誤解を解くだけだと、KOOに名前を部屋の中に連れて来るように指示を出したRockyだった。


その頃、名前は部屋を出てすぐの階段の手すりに寄りかかり、自身が履いてきていた靴を見ていた。
黒エナメルのハイヒールは、開店前のHEAVENの暗めの照明の中でも光を反射して輝いていた。
感じ方や考え方は十人十色なのだから仕方ない。次の休みの日には新しい外回り用の靴を買いに行こう、と心に決めた名前の耳に扉が開く音が聞こえた。
オーナーが出てきたのかもしれない、と思い振り返った名前の目にはオーナーではなく、KOOの姿が映った。


「どうぞ、Rockyがお呼びです」


仕事の話が終わるには余りにも早い、ましてやKOOが呼びに来たことで名前の中で不安が広がった。もしかして、取引が破綻になったのかと。
不安から揺らぐ名前の瞳に気づいたKOOは、上司の言葉が足りないと言ったが自分も大概言葉が足りなかったことを自覚する。


「Rockyも私も、貴女が怪我をしないか心配だったんです」
『...心配』


本来なら一言断りを入れて女性の手を取るべきだろうが、KOOは敢えて声を掛けずに名前の手を引いて部屋に入った。こうゆう時は、少し強引なぐらいがいい。
名前の手を引いて部屋に戻ったKOOは、扉の近くにRockyが立っているのを確認すると引いていた手をRockyに渡して横にずれ場所を譲る。


「さっきは悪かった。足は痛まないか」
『だ、大丈夫です』
「そうか、痛まないならいい。だが、怪我をしないか心配だから痛くなくても座れ」


名前は困惑していた。
部屋に戻るのにKOOに強引に手を引かれ、部屋に戻れば引かれていた手をRockyに引かれている。KOOが言った言葉の通り、心配からの「困る」という言葉だったのだろう。
でもそれが手を引かれ、あまつさえ隣に座ることになった状況に、困惑の感情以外浮かばない。
困惑していても仕事の話は進むもので、気づけばHEAVEN側から発された商品の要望等のメモを取っていた。


「じゃあ、次回の納品に時に要望のお酒を入れられるように進めるね」
「納品ができないようであれば連絡してくれ」
「了解。その時は、名前ちゃんに連絡してもらうね」
『あ、はい。連絡します』
「じゃあ、話も終わったし僕たちは戻ろうか」


メモを取っていたタブレットを鞄にしまい、座っていたソファから立ち上がろうとした名前の目の前にスッと差し出される手の平。


『え?あの、』
「怪我をしないか心配だからな」


席に座る前と同様、Rockyに手を引かれて部屋を出ることになったが、そこにあるのは心配という感情だと理解したから戸惑いも困惑もなくなっていた。


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初めての家出少女のHEAVEN訪問