"今日、営業先の接待で帰れそうもない"
"りょーかい。あんまり飲みすぎないようにね"
いつからだろう、返事だけはいい子を演じるようになったのは。
既読すらつかないトークアプリの文字を画面越しに撫でる。
そこにあるのは、生ぬるい携帯の温度だけ。私が欲しいものは、そんな無機質な温度じゃないのに。
目を閉じて手持無沙汰に無機質な携帯を撫でれば、震えるそれに期待する。
画面に表示されている名前を見て、勝手に期待した心に見えないガラスが刺さったような気がした。
『もしもし』
"「今日、彼帰ってこないんでしょ」"
『よくご存じですね』
"「だって、さっきまで一緒に帰ってたからね。途中で違う方向行ったけど」"
『そうなんですか』
"「今日はどうする?」"
私の返答なんて分かっているのに、決まり文句のように尋ねる電話越しの彼。
『迎えに来て』
電話越しに聞こえる他人の笑い声が、まるで私を嘲笑っているように感じた。
私はいつから二番目のような扱いになってしまったの。
最愛の果ての結末
少し寒かったから作ったミネストローネ、鮭のムニエル、行きつけのパン屋さんで買ったアンチョビのフランスパン。
二人で囲むはずだった食卓に並ぶ料理が眩しく感じる。
キッチンに立って、彼の帰りの時間を考えながら料理していた時間が恋しい。
その時間にそっと蓋をするように、二人分の料理にラップをかけてスープはお鍋ごと冷蔵庫にしまう。
クローゼットの手前に掛けてあった思い入れもないワンピースを纏い、ドレッサーの前に座る。ドレッサーの鏡に映る自分が泣いている気がして頬に手を添えても、触れるのは自分の肌のぬくもりだけ。
目の端に映る彼の香水を視界に入れないようにしながら、仕事のときよりも濃いメイクを自分の顔に施せば泣きそうな自分はいつの間にか消えていた。
小さな鞄に携帯と家の鍵を入れて、マンションの住人用の裏口から外に出る。
人通りが少ない裏口からさっと周りを見れば、暗闇の中に溶け込むようにしてBMW8シリーズのクーペが停まっていた。
目的の人物が運転席に座っているのを確認して車に乗り込んだ。日本ではあまり生産がない左ハンドルの車を器用に操って、裏口のある狭い道を抜ける。