センチメンタルは夜に泣く
「そういうのは無しだ、今は」
きっぱりと放たれた一言は少しだけ胸に刺さってしまった。彼はそういう人だとわかっていたつもりでも、期待してしまっていた自分がいたのも事実ではあったし……と。
「……そうね。ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんだけど。我儘だったかも」
そう言うと、一瞬困ったような顔をした……気がする。別に困らせたかったわけじゃない。
ただ、今ぬくもりが欲しかっただけだった。
穴のあいた心を埋めて欲しくて。
恐らく、ここがヴィーンゴールヴ(ギャラルホルン本部)の、人通りのある通路だからだろう。私を腕の中に入れるなんてことしてくれるわけがない。それは単に彼自身が恥ずかしいのもあるだろうとは思うし、今がファリド准将を待っている時間だということもあるだろう。……こればかりは推測に過ぎないけれど。
「……任務が終われば、考えないこともない」
仄かに微笑みが見える口許も、准将の姿が見えてしまえば淡く消えた。
***
「そんなところで作業していたら風邪をひく」
ふわりと肩にブランケットを掛けられて気がついた。
どうやら端末の画面に夢中になりすぎていたようで、足音に気が付かなかった。
格納庫はしんと静まり返っている。他に誰もいない。作戦時間外の夜はこんなもんかとひとつ溜息をつく。
「昼間はすまなかった。気にしないで欲しい」
あんまりやさしい口調で言うから。
「……気にしてない。私こそごめんなさい」
いろんなものが積み重なってしまっているせいで、泣きそうになった。ブランケットが温かい。でも、手は冷たい。冷えきったそれは、端末をしっかりと握りしめていたまま、隣の彼に伸ばそうとはしなかった。
拒否されるなんてことがあるはずないのに、今は自ら手を伸ばす気にはなれなくて。震えるくちびるをぐっと噛み締めた。そのときだった。
「リリー」
名前を呼ばれたと思ったら肩に重みを感じた。そしてそのまま、ふわりと彼の匂いが鼻腔をくすぐって、長い両腕が私を包み込んだ。
「……ん」
ぽんぽんっと背中をやさしくたたいてくれて、温かさと安心感に包まれる。こんなふうにされたら泣いてしまう。鼻の奥がツンとなって、堪えるのに必死だった。
「詮索はしない。泣きたいならば泣いてもいい」
鼻をすすったことでバレてしまい、そう言ってくれる。髪を撫でる仕草が本当に愛おしくて、端末を置いて回された腕に手を添える。
「……ありがとう」
言葉にすると同時に目頭と目尻から涙が溢れてくる。人肌の体温の温かさがこんなにも好きだったのかと思うくらい、今はそれにすがりたかった。
石動はどこまでもやさしい男性。
無神経に人の心に入ることはせず、何も言わずに隣にいてくれる。寡黙で余計なことは喋らないけれど、かといって愛想が悪いわけでもない。軍人らしいといえば軍人らしい人だ。そんなとこが好きだ。
静寂とひやりとした空気を纏う格納庫に私の泣き声が響いて、しばらくずっと彼に抱きしめられていた。
そしてそのまま、どうやら安心して眠ってしまったみたいだ。
次の日の朝、目が覚めたら自室のベッドの上にいたし、隣に石動の姿があった。
私は布団を掛けていたけれど、彼は掛けていなくて、冷えていないか、寒くないかが心配で慌てて起き上がってしまうと、石動も目を覚ました。
「あ、おはよう。……その、昨日はごめんね、ありがとう」
「おはよう。いや、構わない。それより、よく眠れたか?」
彼もむくりと起き上がり、手を伸ばして私の頭を撫でる。
「……うん、眠れた。すごい安心しちゃって」
「そうか」
小さく笑ってくれて、私も笑顔になる。するとそのまま、彼は私の顔を覗き込む。たぶん、目が腫れている。
「目が腫れてしまったか。ホットタオルを用意しよう」
立ち上がり、「少し席を外す。持ってくるから待っていろ」と言い残すと部屋を出ていった。
朝からシャキシャキ動けるところが羨ましくも思った。さすがは准将の副官だ。抜け目がないというか、しっかりしすぎているというか。まさに“デキる男”の部類に入るであろう人だ。そんな人が私の彼氏でいいのだろうかと何度も考えたが、結局答えは見つからないまま付き合ってもう随分経つ。お互い、居心地はとても良い。だからだろう。
思考を巡らせているうちに彼は戻ってきた。
ちいさなトレーに湯気が立つタオルを載せて、それを私に差し出す。
「暫くこれで目を押さえているといい」
「ありがと」
タオルを受け取り目に当てて押さえる。
じんわりと広がる熱が緊張した目をほぐしていくのを感じた。気持ちよくて、また眠ってしまいそう。
数分後、タオルを外すと目の周りがすっきりして、腫れがなんとなく治まった。目の赤みもだいぶとれたようだ。
「石動は風邪とかひいてない?ほら、何も掛けずに眠ってたから……」
「問題ない」
やさしく髪を撫でてくれる仕草がたまらなく好きで、思わず微笑んだ。
「今日の予定は昼の12:00からだ。それまでは空いているから、一度自室に戻らせてもらう」
「うん、わかった」
「いろいろ済ませたらまた来るつもりでいる。そのときには連絡を入れる」
「了解」
ちゅ、と触れるだけの軽いキスをすると石動は私の部屋を後にした。
私もシャワーを浴びて、身だしなみを整えなければ…と思い、火照る顔を手のひらで覆いながらシャワールームへと向かった。
センチメンタルは夜に泣く
彼はどこまでもやさしく、あたたかいひと。