fireworks
夏の湿った空気が髪に触った。
花火、なんてものは毎年行われる夏の風物詩とかいうものだし、特別大事にしているイベントではなかった。毎年一緒に行く相手を探すのも正直大変だったし、そんなに苦労してまで人混みに紛れるのもしんどかった。
……ただ、今年はちがった。
一緒に行きたいなって、そう思える人が、できた。
「今年はだれと行くの?」
ともだちに言われたひとこと。そんなのあなたには関係ないじゃない。そう思ったがくちに出せる訳もなく、「わかんない」と言った。一緒に行けるものなら彼と行きたい。ただ、彼は人混みが嫌いだと言っていた気がする。それなのに連れ出したりしたら不快にしてしまうだけだろう。それに私となんて行ってくれるはずがない。
「なあに、好きな人でもできた?」
「違う」
そうやって深入りしてくるようなところがきらいだ。一定以上の距離に侵入してくる人とはうまく付き合えない。その点彼はどんなに親しくなっても深く、深く侵入してくることはなかった。
***
「ねえ、花火は好き?」
「花火?」
照り返す日差しが嫌で逃げ込んだカフェ。私も、彼も、日の光はどうも苦手だった。そんな中きょとんとした顔でアンジェロは言う。
「話を聞いたことはあるが、見たことはない」
目を合わせると数回まばたきをして首をかしげた。そういう、ふとしたときの仕草がとてつもなく好きで、胸の奥がくすぐったくなった。私ばかりが彼に揺るがされて、彼は私にはきっと何も思っていなくて。そういうふうに考えてしまうととても悲しくなってしまうが、きっと片想いの方が楽しい。でも。だけど。例えもしこれから先ふられたとしても、言ってみる価値ならあるだろう。
「……よかったらさ、行かない?」
「花火を見に、か?」
「うん。……暇だったらでいいけど」
「構わん。どうせ予定もないからな」
「えっ、いいの!?」
「ああ」
思ったより快い返事で、あっさりと承諾してくれて、びっくりした。と、いうことは。所謂デートというやつになりかねないわけで。人生初のそれに飛び上がりたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて目の前のジュースを啜った。
「いつなのだ?」
「花火の日の8月7日だよ」
軽く頷いたアンジェロはまた口を開く。
「夜だろう?何時にそちらへ行けばいい?」
「私の家に来てくれるの?そんなの、申し訳ないよ。どっかで待ち合わせでいいよ?」
「いや、わたしが行くからリリーは待っていろ」
そう?と返すと彼は目を逸らしてコーヒーを飲んだ。いちいち色っぽいから心臓に悪い。好きだなあ。そう思うのに一秒もいらない。なぜか引き込まれる紫色の瞳や、思わず触れたくなる優しい色の髪。赤いくちびるが動くたび、目を奪われてしまう。別に外見が好きで恋に落ちたわけじゃない。そんなことで落ちた恋ならばきっとすぐに冷めていただろう。それとは違う何かがあって、私は彼が好きなのだから。
ゴロゴロ…と鳴り出した空に気づき、現実に引き戻された。外を見れば空は灰色。今にも雨が降りそうで。
「降るかな……」
ぽつり呟くと、アンジェロが私を見つめて言った。
「降ったなら止むまで居ればいいだろう?それとも、濡れてまで帰りたい用事があるのか?」
「特に、ないけど……でも、アンジェロはいいの?」
「今日の一番の用事はおまえに会うことだからな」
こういうとこ、ほんとうにずるい。
***
8月7日。浴衣なんてものは持っていないから普通の洋服の中からお気に入りを着た。可愛いとか似合ってるとか絶対にくちにしないタイプだけど、せっかくのこういう日くらい、おしゃれをしたかった。何もかもが整っている彼の隣を歩くのだから。
インターホンが鳴って、慌てて玄関の扉を開けた。相変わらずにこりともしない顔で、彼は立っていた。
「お迎えありがとう!じゃあ、行こ?」
「ああ」
夏っぽいサンダルを履いて、アンジェロと並んで会場まで歩き出す。ヒールで少し背が高くなっているとはいえ、すらっとした彼には到底届かない。いつもと変わらぬ服装の彼と、少しだけおめかしした私。会話の内容も見つからないまま暫く歩く。花火会場へと向かう人の群れが徐々に増えて、浴衣姿の女の子やカップルが目立つようになる。私たちも傍から見たらカップルだと思われているかもしれない。微かにそんな思いを抱き、ちらと隣を盗み見ると、アンジェロは眉間に小さくシワを寄せていた。
「人が多いな」
「年に一度だからね……ごめんね、人混み苦手なのに」
「いや、いい。そんなことより、はぐれるなよ」
鋭い声で放つと人混みの中へ入っていく。左手は、私の右手をつかんだ。引っ張られるような形になったが、それどころではない。右手が熱い。心臓がどきどきする。アンジェロはどうしてそんなに平気な顔でいられるのか。
「アンジェロ、なに食べる?」
さまざまな屋台が立ち並ぶところまで来た。かき氷、唐揚げ、たこ焼き、綿菓子……夏だなと感じさせる屋台たちにふと懐かしさを感じた。
「唐揚げが食べたい」
「ほんとに?私も!」
「気が合うね」そう言いながら笑ってアンジェロの顔を見ると珍しくアンジェロが笑った。
「では買おうか」
少し歩くと唐揚げ屋さんが見えてきて、足を止めて列に並んだ。列はそこまで長くなっていなかったため、すぐに唐揚げを買うことが出来た。しかもなんと、アンジェロが「ついでだ」と言いながら奢ってくれた。
「ありがと」
「礼を言われるほどのことではないよ」
ふたりで人混みから外れて、座れる場所を探す。ここは川が近いため川原に座ることができて、先に座ったアンジェロの隣に腰を下ろした。川から吹く風が少し冷たくて心地よかった。
しばらく無言で唐揚げを食べていると、ふとアンジェロは呟いた。
「なあ、なぜ今日一緒にここへ来たと思う?」
「へ?それは……」
期待しても、いいのだろうか。
「アカリのことが嫌いだったら、もちろん来ていない」
「……うん」
「……好きだ」
反射的に彼の方を向いてしまった。その瞬間に空に大きな花火が打ち上がった。音に驚いて空を見上げようとした刹那、アンジェロの手のひらが頬を掠め、そっと、キスをされた。一瞬だった。
「誘ってくれたということはリリーにもその気があるのだろうと思ったのだが…」
「……私も好きだよ、アンジェロ」
また、花火が打ち上がった。今度は連続で打ち上がり、私たちを照らし出した。
「ずっとね、好きだったの。でも言い出せなくて。だからすごく嬉しい……!」
そう言うときょとんとした顔をするから、なんとなく頬が緩んでしまった。可愛い。途端に顔が熱くなって、アンジェロの目を見るのが少し恥ずかしい。気持ちがひとつになるって、思いが通じ合うって、こういうことなんだ、と。
「アンジェロ、顔がちょっと赤い」
「何を言っている。おまえの方が赤い」
「じゃあお互い様だ」
「そうだな」
また手をつないで、立ち上がって、人混みの中へと戻る。次はかき氷を食べよう、そう言ってきゅっときつく手のひらを握る。はぐれないように、離れないように。さっきと違って、心がとても温かい。
花火はまだ終わらない。
私たちの夜は、まだずっと、長く続いていく。
fireworks…
この人混みの中で、花火の下で、生まれた小さな奇跡。