ブーゲンビリア



ここのところどうしてか花に心を奪われていて、近所(と言っても歩いて行けるほど近くもない)のフラワーショップに立ち寄ることが多くなった。
仕事帰りに寄ると閉店ぎりぎりのことが多いので申し訳ないが、それでも快く迎えてくれるのは寡黙な男性の店員さんだ。肩まで伸びる茶髪の髪を後ろで束ねて、いつも紺色のエプロンを身に着けている。

「いらっしゃいませ」

「こんばんは」

ここは個人的にお気に入りの花がたくさん揃っているので、眺めているだけでも嬉しくなってしまう。疲れていても癒される気がするので、花瓶に飾ろうとまた今日も買ってしまう。
定番中の定番、バラやチューリップなんかはもちろん、季節に合わせてコスモスを飾ってみたりなんかもした。今日は、久しぶりにカスミソウにしてみようか、なんて。

フラワーショップの店員なんて、憧れるけどセンスが必要だろうな、といつも思う。

相手に喜ばれるように素敵な花束を贈れるようになったらどんなに楽しいだろう。
しかし彼は、それをさらりとやってのけるのだろう。その、一見クールそうな見た目に反して、いつも可愛い花を選んでくれるあたり、意外とロマンチストだったりするのかもしれない。
個人的に寒色系が好きだからと、いつも青系統ばかり飾っているけれど。

「もうすぐ春ですね」

早いですね、と投げかけると彼は伏し目がちな瞳をこちらに向ける。

「この間年が明けたばかりだと思っていたのですが」

「ね。あっという間です」

「ええ」

ほんのりと笑って、彼の手のひらは花をやさしく新聞紙に包んでいく。大きな手のひらに長い指、少しだけ骨ばった男らしい手がそれらを傷つけまいと包むさまを見るのがとても好きだった。

きっと、やさしい人なんだろうな。

「また、お待ちしております」

「はい、また来ますね」

何か月か通ううちに、すっかり打ち解けてしまっていた。
最初は無表情気味で怖い人だと思っていたけれど、そんなことはなかった。


***


その日はたまたまどしゃ降りで、雨から逃げるようにその店に駆け込んだ。
傘をさしていても濡れてしまうほどの雨で、おかげで足元が冷たい。まだ冬の寒さの残る2月、雨の日の寒さは息も白くなるほどだった。

「いらっしゃいま……」

入り口をくぐるなり石動さん(というらしいのを最近知った)が驚いたように目を見開く。

「すみません、雨、強くて。少し雨宿りさせてください」

「はい。こちらの、ストーブの前へ。温まってください」

少し強引に私の手を引いて、カウンターの裏にある、店員さんしか入れないスペースへ誘導される。中に、寒くないようにこっそりストーブが置いてあるのを見て、ちょっぴり笑ってしまった。寒がりなのだろうか。そして、横の方にあった椅子を差し出して、私に言う。

「そこに座ってください。それから、タオルをお持ちします。少しお待ちください」

相変わらずあまり表情を変えずに、しかし困ったように小走りでお勝手場へと向かう姿が少し可笑しい。
いつもは見られない彼のこんな姿、貴重かもしれない。

「すみません、ありがとうございます」

「いえ。お気になさらず。温まるまでそこにいて下さって構いません」

そう言うと軽く会釈をして彼はまたカウンターへと向かった。
やっぱりやさしいなあ。
思っていた通りだった。こんなにやさしくされたことなど生まれてから初めてかもしれない。昔付き合っていた男性は、知れば知るほどあたりが強くてきつい性格だったから、こういうのは慣れていない。だからか、こんなにやさしくされたら、どうしていいかわからない。

こんな大雨の日に、来客なんて知れていた。
店内は穏やかなオルゴールの音(いつもこれがBGMだ)が流れているだけで、お客さんの気配はない。
私は少しだけストーブから離れて、カウンターの方をこっそり覗いた。
そこには、真剣に花束を作る彼の端正な横顔があって、微かに胸の奥が熱くなった。気がした。

慌てて引っ込めて、また定位置に戻る。
やだ。どうしよう。急に、そんな。
いつもこんなことなかったのに、どうしてだろう。恋とは、こんなに突然、雷のように落ちてくるものだったろうか?
顔が熱くなるのを必死に隠しながら、もう一度覗こうと恐る恐る椅子から立ち上がると、中へ入ってきた彼とぶつかりそうになった。

「あ、ごめんなさい」

いいえ、と言って彼はまた少し笑った。
よく見たことなかったけれど、凛々しい眉の下にある瞳は、蒼くてとてもきれいだ。それがとても、私の好きな色で。

「いつも来て頂いているお礼に」

「えっ」

目の前に差し出された、小瓶に入った控えめな大きさの花をとっさに受け取る。
鮮やかなピンク色をした花びらが印象的なそれは、私の知らない花だ。

「本当は暖かい時期にしか咲かないので、プリザーブドフラワーにしたのですが」

「え、え、ありがとうございます」

白いリボンで縁取られたそれは、対照的でとてもかわいらしい。
それにただの花束ではなく、わざわざプリザーブドフラワーにしてくれるなんて。
嬉しさに思わず頬が緩む。

「このお花、何て言うんですか?」

「……ブーゲンビリア」

彼を見上げて問いかけると、石動さんは小さく教えてくれた。



花言葉は、「情熱」「あなたは魅力に満ちている」「あなたしか見えない」

これを知ったのは、それを受け取った、その、夜のこと。







a love potion