雫のようにこぼれる好きをあげる
「うーん、上手くいかない」
ある日の朝。最近伸びてきた髪の毛が、無重力空間にいる私にとって邪魔になってきた今日この頃。長い髪は束ねないと周りの人にも迷惑をかけるし、ふわふわと漂うのでとにかく邪魔なのだ。そのため、結ぼうと思ったのだが……上手くいかない。
長いといってもボブから少し伸びた程度の長さの髪は、結んでも結んでも言うことを聞かない。困り果てていたところ、どこからやってきたのかアンジェロが、「何をしている」と声をかけてきた。
「あっ、アンジェロおはよー!あのね、髪が上手く結べなくて」
「髪が?邪魔になったのか?」
「うん。だから結びたいんだけど……」
貸せ、という声に素直に従い、ヘアゴムをアンジェロの手に渡すと、アンジェロは手慣れた手つきで私の髪を櫛でとかす。鏡越しに見えるアンジェロの表情は真剣で、整った顔立ちがまた際立っていた。
「……髪が少し短いな。それでまとまらんのだ」
「そうなのよねー。でも結びたいし……」
重力がほとんどないから余計にまとまらない……そんな困った髪を器用に束ねだしたアンジェロ。あっという間にひとつになって、ふわっと舞い上がる。
「これでどうだ?」
横からはみ出る短い髪をピンで留め、流れるのを防ぐ。アンジェロの白くて長い指が触れる度に体中がふわふわしてくすぐったい。思わずくすっと笑いが漏れると、片眉を綺麗に上げたアンジェロと鏡越しに目があった。
「ありがとう!上手なのね」
「髪を束ねるのは日課だったからな」
「そうなの?」
ああ、と寂しげに笑ったアンジェロに、掛ける言葉がいまいち見つからなくて、唇をきゅっと結んだ。数秒後、ふと思い立ったことを口にしてみた。
「……ねぇ、私毎日アンジェロに頼んでもいいかな?」
何が言いたいのかわからないというような顔をし、眉間にしわを寄せたアンジェロに、もう一度くすっと笑う。
「髪を結ってもらいたいの、上手だから。……日課にしたら、怒る?」
「怒りはしないが……何故だ?」
「何となくよ。アンジェロが好きだからかな」
そう言うとさっきとは違った意味で眉間にしわが寄る。私はアンジェロがいる方を向くと、手を優しく握った。
「だめ?」
アンジェロは目を左右に泳がせ、普段は見せない困ったような顔をした。が、すぐにばちっと目が合い、「いいだろう。わたしがやる」と返事をよこした。
「やった!やっぱりアンジェロは優しい」
「おまえには適わん」
ふと自分から握った掌に急に熱が集まった気がして、恥ずかしくなりぱっと手を離す。すると今度はアンジェロにぐいっと手を引っ張られ、強制的に立ち上がる形になり、勢いに任せ抱き締められる。
「おまえは、自覚していないことが多すぎる。もう少し、その上目遣いを控えるべきだな」
えっ?と声を上げると、空いている方のアンジェロの手が私の頬に触れる。途端にじんと熱を持った頬から、全身に熱が回る。
近づいた顔が、今にも触れ合いそうな距離まで来ていて、心臓がうるさい。
「アンジェロ……?」
どうしていいかわからないという衝動に駆られ、思わず名前を口にした。彼の綺麗な顔が近すぎてぼやける。アンジェロの髪が小さく揺れて、私の頬に触った。くすぐったくて軽く身震いをすると、耳許に寄せられたアンジェロの唇が、微かな声を放った。
「好き、だ」
その一言が無性に嬉しくて、無防備なアンジェロの頬に優しくキスを落とす。驚いた彼の綺麗な瞳が見開かれるのを見届けて、今度は私から言った。
「私も好き」
知ってる癖に、唇を尖らせて言うと、苦笑を零したアンジェロは「そうだったな」と返した。
「……ねぇ、おはようのキスして?今日はまだよ?」
いつもは朝一番でするキスを今日はまだしていない。アンジェロは頷くと、今度は両手で私の頬を包み、ゆっくりと唇を触れさせた。
甘いキスの味に酔いしれそうになる朝、今日も1日幸せに過ごせそうだと心の中でひとり、思った。
雫のようにこぼれる好きをあげる
「好きだと言っただろう?わたしにはおまえしかおらんのだからな」
冷たいようでやさしい彼の、“好き”。