はじめての味



「ねえ、ちゅーってどんな味なの?」

唐突に投げかけられた質問に、目の前の彼……アンジェロは絶句した。気持ちが通じあって以来、交際というものをはじめることになったはいいが、お互い知らないことが多過ぎた。ふたりして恋愛初心者な上、何をどうしたらいいのかすらわからない。ましてや、ちゅーの話など……。

「わ、わたしが知っているわけないだろうが」

「えー、アンジェロなら知ってると思ったのにな」

「ちゅ、ちゅーなどというものはしたことがない」

「えっ!じゃあ……しようよ?」

「は……?」

先程からなんとなく逸らされっぱなしの視線がやっと絡んだ。頬を真っ赤に染めたアンジェロは新鮮で、とてもかわいい。口にすれば怒られるので、言えない。

「……だって、私たち恋人だよ?したってなんの問題もないじゃん」

「いや、だが……」

ここは軍の敷地内だし、執務室の中だ。と言いたげな視線をこちらに向けてくるアンジェロ。私はこの関係が親衛隊以外にバレてもいいじゃないと思っているが、アンジェロはそうではないらしい。どうやら、大佐の親衛隊の隊長だから…というのがいちばんの理由らしいが……。

「やっぱり恥ずかしいの?」

「……おまえは本当に口が減らんな」

「だって」

「うるさいぞ」

アンジェロがぷいと後ろを向き、話を遮断される。私とちゅーするのがそんなに嫌か。

「……もういい!キュアロン中尉に言いつけちゃうから!」

「は!?キュアロンは関係ないだろう!」

私の言葉に敏感に反応してくれたアンジェロがこちらを向く。さっきとは違う理由で顔を赤くして。

「だって……アンジェロケチなんだもん。世間の恋人はちゅーなんてすぐするのに私はそれすらも出来ないのかなーって」

「だから……!」

「だから?」

うっ、と声を上げたアンジェロ。今日は珍しく私が優勢だ。

「……だってさ、ちゅーしたことあるよっていう人に聞くと、とっても甘くて、おいしいって言ってるから確かめたいなって思ったし……」

「食べ物の話をしているみたいな感想だな」

そういうときばかり口を開くアンジェロを睨みつけた。それに対して眉間に皺を寄せ、軽く睨み返してくるアンジェロ。

「うるさいな。だからちゅーしよって」

「断る」

「アンジェロ!」

「こんなムードも何もないところでしても、何も感じないだろうさ」

「ムード?今更何よ」

そう言って言い訳をして結局してくれないんだから。それに何より恋人らしいことをしてくれないアンジェロにかなりご立腹だった。
私は無言で踵を返すと、大股で親衛隊の執務室へと向かった。アンジェロがそのときどんな顔をしていたかは知らない。


***


「ちゅーの味?」

素っ頓狂な声を上げたのはキュアロン中尉で、飲んでいた紅茶で噎せたのがセルジ少尉。真顔でこちらを見つめてきたのはゼクスト少尉だ。

「はい!アンジェロがどうしてもしてくれないので聞きに来ました!」

大声で訴える私を見てキュアロン中尉は笑う。

「そうなんですか〜。いやあ、もうとっくにしたものだと思ってたんですけど」

「まだなんですよ!アンジェロ、ああ見えて臆病なのか奥手なのか知らないですけど、手を繋いだこともないですし……」

そう考えるとちょっぴり寂しくなった。本当にアンジェロは私のことを好きなのかもわからない。実は好きじゃないということも考えられなくはない。

「不安になっちゃいます?」

「……そりゃあ……私だってオンナノコ、ですから」

再び笑ったキュアロン中尉が、「大丈夫です」と言う。

「アンジェロは、かなりリリーのこと好きですよ?」

「えっ??」

予想外(でもないが)の言葉が飛んできて目を丸くする。
古くからアンジェロと仲のいいキュアロン中尉がそう言うならそうなのだろうが、アンジェロはそんな素振りを一切見せてくれない。

「だって、 いつもリリーに会うために早く仕事を終わらせようとしてるし、急な任務が入って残業になると、かなり不機嫌になりますから」

「ええええー?」

知らなかった。

「隊長、 リリーさんが渡したツーショットの写真、いつも机にしまっておいて、たまに疲れたときとかに見ては満足そうな顔をしてるところを見たことがあります」

横からセルジ少尉が言う。ツーショットの写真と聞いて心当たりがあるのは、付き合い始めた頃に初めてデートしたときに私が半ば無理やり撮ったものだろう。

「ほら、リリー大事にされてるじゃないですか!だから不安にならなくても大丈夫ですよ!アンジェロなりに愛してくれてるんですよ、きっと」

にこりと笑って励ましてくれるキュアロン中尉。これだからいつも彼に頼ってしまう。アンジェロのことをよく知ってるからこそ、だ。

「そうですかね?それなら、よかった……」

どことなく涙が出そうになったとき、キュアロン中尉が「あっ」と声を出した。その瞬間、腕を引っ張られて何処かへ連れて行かれた。


***


「何の話をしていたのだ」

しばらく引っ張られて連れてこられたのは人があまりいない資料室だった。所狭しと本が並べられている高い本棚がいくつもある、古くからあるこの部屋。

「……別に」

私の言葉を聞くなり整った眉をくいっと上げて目を細める例の彼――アンジェロ。
今彼と本棚に挟まれて、世間で流行っている“壁ドン”とやらをされているらしい。

「別に?ふざけるなよ」

「ふざけてないもん」

「ほう……」

アンジェロがその綺麗な唇を歪める。嫌な予感しかしないが、やけにSっ気のある態度に疑念を抱いた。

「……ち、近いから」

ぐっと詰まったふたりの距離に、思わず肩を震わす。こんなに間近でアンジェロの顔を見るのは初めてかもしれない。整った顔立ちが、眩しく感じる。

「……キスをして、ほしいんだろう?」

「きっ……」

その単語が、やけに恥ずかしかった。普段はなんとなく誤魔化すために敢えて口にしていなかったのに。

「わたしとしたいと、言ったよな」

「言った……けど」

「けど?」

「……やっぱり恥ずかしいかも」

今更になって込み上げてきたこの感情の行き場に困る。こんなに近くて、こんなにドキドキするなんて。アンジェロのことは普段から色っぽいと感じてはいたが、ふたりきりで、誰にも邪魔されないこの空間で感じるこの色気は、半端ない。

「あれだけわたしに迫っていたのに、今更何を」

ふわりと彼の香りが鼻腔をくすぐった刹那、唇に温かくて柔らかいものが触れた。それはとてもふわふわしていて、とろけそうなくらい甘い。離れたと思えば、少し角度を変えて……と執拗に繰り返される甘い行為は、病みつきになりそうで……。頭がくらくらする。でも、幸せ。

「んっ……アンジェロ……」

「……何だ」

ちょっぴり潤んでいると見えるアンジェロの瞳を見つめ、蒸気した自分の頬に手を添える。思ったとおり頬は熱くて、思わず溜息がこぼれた。

「……ちゅーって、こんなにおいしいんだね」

率直な感想を述べれば、アンジェロは薄く笑った。彼の頬もほんのり紅くなっていて、少しだけ眉間に寄せられた皺がなんだか愛おしかった。

「だからその言い方はやめろと言ったろう」

「でも、とってもぴったりな表現だと思うの」

「……呆れるよ」

一度視線を逸らされたが、結局こちらに戻ってくる。目が合う度に胸の奥がもやもやして、くすぐったい。初めてのキスの初めての感触が離れない。

壁ドンとまでは言わないが、目線を私と合わせるために屈んでくれているアンジェロの首に腕を回して抱きしめようとしてみる。少しだけ驚いたような顔を見せたアンジェロだったが、すぐに抱きしめ返してくれた。

「……アンジェロが誰かのものにならないようにって思ったの」

「誰かのもの?……わたしはおまえのものだろう?同時に、おまえはわたしのものということだがな」

「ほんとに?絶対離れない?ずっと私のそばにいてくれる?ずっと愛してくれる?また、さっきみたいなちゅーしてくれる…?」

急に何だ、と言いたげな瞳が私を捉える。が、数秒後には言葉が飛んできた。

「余計な心配などせんでいい。わたしには、おまえしかいない……」

囁かれた声がとてもつややかで、私の耳を赤くさせるには十分すぎるものだった。そんなに長い言葉ではないけれど、そこにぎゅっと大事なことが濃縮されている気がして、胸が熱くなった。

「……私にも、アンジェロだけだから。こんなに人を好きになれるなんて……本当に、思ってなかった。だから…」

上手く言えないなりに言葉を紡ごうとして、でも言葉が出てこない。次の言葉を待ってくれているアンジェロが大きな瞳をぱちくりさせながら私を見つめている。どことなく恥ずかしい。落ち着かない。胸がドキドキとうるさくて、はち切れそうだ。顔に集まる熱を覚えながら、アンジェロの顔に手を伸ばす。柔らかく白い頬に触れて、唇を指でなぞってみた。女の私よりもぷるぷるとして、艶々で、変わらず色っぽい。ずるい。

「ほんとにずるい。アンジェロはずるい。私の好きなモノ、全部持ってる」

くすぐったそうに薄ら顔を歪めたアンジェロが、再び至近距離に迫る。鼻先が、唇がまた触れそうなところまで来て、きゅっと身構える。

「わたしは、 リリーしか欲しくない」

「……え?」

若干噛み合わなかった会話に反応するより先に、吸い付くように唇が重なる。何度触れても慣れないそれに、されるがままになってしまう。甘いリップ音が響いたって、酸素が足りなくなったって、アンジェロは唇を離さない。吐息と、時折漏れるふたりの甘い声だけが空間を支配する。誰にも邪魔されない、ふたりだけの空間を――――――。


***



「リリー、綺麗になりました?」

数日後、セルジ少尉から発せられた台詞。思わず「えっ!?」と大きな声を上げてしまい、後ろから来たアンジェロに片手で口を塞がれた。

「なんか、雰囲気が違う気がして……」

「そうか?そんなことはないだろう。化粧でも変えたのではないのか?」

私の代わりにアンジェロが言い、含み笑いをする。そんなにあからさまに変わるものなのか?

「えっ、でも…」

「もしかして、お二人ともしちゃったんです?アンジェロ意外と手が早そうですから」

通りかかったキュアロン中尉が茶々を入れる。返事に困っているとアンジェロがまた言う。

「わたしがそういったものはあまり好まんことを知っていて言っているのか、キュアロン?」

「おっと、そうでした」

「キスしかしていない。誤解をするなよ」

アンジェロの放った一言に、ぱあっと顔を明るくしたキュアロン中尉がこちらを見た。良かったですね!そんな意味が込められているように感じて、少しだけ顔が熱くなる。

「というか、手を離してあげてくださいよ」

セルジ少尉の言葉にああ、と思い出したように呟いたアンジェロが私の口から手を離す。

「で、化粧は変えたのか?」

上から降ってきたアンジェロの声に首を横に振る。

「変えてないよ〜。でも、最近お肌の調子が良くって」

そう言うと、キュアロン中尉とセルジ少尉が顔を見合わせて笑った。

「リリー、本当に恋、してるんですね!」

にっこにこの笑顔を向けるキュアロン中尉が放った言葉で私の顔が熱を持つ。隣にいるアンジェロに視線を向けると、今にも「黙っていろ」と言いそうな瞳をキュアロン中尉に向けていた。



はじめての味
甘くて、とてもおいしいそれは、元気をくれる魔法のようだ――――。




a love potion