いたいのいたいのとんでいけ
石動が怪我をしたらしい、という一報を受けてからすぐに、私は彼のもとを訪れた。
話によるとそんなに重症ではないらしいが、それでも心配には変わりがない。いつも私が紙で指を切ったくらいの怪我でも丁寧に消毒して絆創膏を貼ってくれるような心配性の石動が怪我をしたなんて、滅多にないことだし一体どんな顔をしているのかと思うと部屋に入るのも少し躊躇われたけど、思い切ってノックをして部屋に入れてもらった。
中へ足を踏み入れると、思っていたより彼はケロッとした顔でこちらを向いた。
「怪我は……?」
「問題ない」
即答だった。どこを怪我したのかと思い近づけば目をぱちくりとする。どうしてそんなに不思議そうな顔をするのだろう、疑問に思いながらも目を向けるとすぐに目に入ったのはまず額の傷。そして左腕、はだけた襟元からは白い包帯が見えた。
「……そんな顔をするな。大した傷じゃない」
「それなら、いいけど……」
額に貼られている大きな絆創膏をやさしくなぞる。きっと破片か何かが飛んできてついた傷だ。そして首から下、胸のあたりに巻かれているであろう包帯と、左腕に巻かれている包帯について問う。
「身体の傷は?」
「准将をお守りするときに運悪く当たってしまった。包帯のせいで大げさに見えるが、実際は大きな傷じゃない」
「本当に……?」
「ああ」
困ったように石動は笑う。
今の医療技術なら数日で治る傷だろう、と言いながら右手で左腕をさする。きっと痛むのだろう。というか、痛くないはずがない。
隣に腰掛けて彼自身がさすっていた左腕にそっと手を添えた。
「……これでは暫く護衛の任務にはつけない。デスクワークしかこなせないだろう」
「……大したことなくないじゃん」
石動のほっぺをつねってやる。嘘ばっかついて、いつも強がるんだから。苦笑しつつこちらを見るその目は「痛い」と言っているようだった。
普段比較的無表情を決め込んでいる分、気を許すとわりと表情に表れるらしかった。
肩につく長さのブラウンの髪が揺れて、彼が乱れた襟元を直そうとしているのがわかった私は、「直すよ」と言うと今度は制服へ手を伸ばす。
「すまない、ありがとう」
こんなに弱っている石動を見るのは初めてだ。しかし、なんだか悪くない。変なスイッチを入れられ、私は口を尖らせる。
「……まったく。心配になるから次はなしよ」
そう言うと彼は眉間にシワを寄せて唇を噛む。どうしてそんな顔をするの。そんな顔をされれば、泣きたくなってしまう。
「やめやめ、やっぱこの話はなしね」
「……ん?」
途端に表情が元に戻るのを見て軽く笑い、直し終わって整った襟元から手を離し、彼の顔を両手で挟んだ。
「石動は准将の副官でしょ、彼のため以外で負傷したら、私が許さないから」
「……そうだな」
「っていうか、いつもみたいに強くてかっこいい石動でいなさい!」
ぺしっと本当にやんわりと頭のてっぺんをたたくと、石動はきゅっと目をつぶった。今日は珍しく表情がころころ変わって面白い。とても可愛らしい普段はハンサムな男を見て、なんだか愛しくなって眉尻を下げた。
「怪我をしてる間は、ぎゅってしてもらうの我慢するから」
「我慢する必要は無いと思うが。腕は動く」
「……ううん、先に怪我を治してほしい。それで、治ったら思いっきりぎゅって。ぎゅってしてほしいかな」
「わかった」
怪我をしていない方の右手で、私の頭をぽんぽんとしてくれた。その行為が引き金となって、私の目からは涙が溢れ出す。
「ああ〜、でも、」
視界がぼやけてしまった。さっきまで鮮明だった石動の顔も白く曇って不鮮明、見えない。
「しばらく我慢するから、そのぶん、いま抱き締めさせてください」
震える声で紡ぐと石動はそっと自身の方へ私を引き寄せる。それに合わせて腕を回して、ここがちょうど石動の耳元だとわかっていても声を上げて泣いた。
ぼろぼろ零れる涙が頬を伝って彼の制服を濡らした。彼は私をあやすように背中をさすって、私が泣き止むのを待った。
落ち着いた頃、小さく謝りつつ身体を離してもう一度向かい合い、石動を見つめると彼の瞳も少しだけ潤んでいて、たまらず愛おしくなって髪に指を通した。
「すまない、少し感傷的になってしまった」
「ううん、私こそ。いつもごめん」
互いに眉尻を下げながら笑って、なんとなくキスを交わした。相変わらずいつも甘ったるいそれに酔いながら、もう一度彼を見据えて、額の傷を再びなぞる。ふと、昔やってもらったおまじないを思い出しながら。
「昔ね、まだほんとうに子どもの頃、怪我をしたときにおまじないをしてもらったことがあってね」
「おまじない?」
聞きなれない言葉だな、と石動は呟く。
「そう、痛くなくなるおまじない」
そう言って痛くないように傷を丁寧にやさしくさすって、目を閉じてそれを口にする。
「いたいのいたいの、とんでいけ」
いたいのいたいのとんでいけ
彼は嬉しそうに小さく笑った。